時々雑録

ペース落ちてます。ぼちぼちと更新するので、気が向いたらどうぞ。
いちおう、音声学のことが中心のはず。

あなたが生まれてからの地球の歴史

2014年10月19日 | 
BBC.comで Your life on earth という記事をみつけました(こちら)。あなたの生年月日を入力せよ、とあります。娘のを入れてみると、2008年に生まれて以来、地球がどう変化したかについて、さまざまなデータが表示されました。たとえば、今日(2014年10月20日)の時点で、彼女の心臓は約2億5千6百万回脈動したとか。地球の人口は4億9千万人ほど増えたとか。

とくに心ひかれたのが下のスクリーンショットのもの。彼女が59歳の時点で世界の石油が、61歳で石炭が枯渇する。



もちろん、無くなるのも困るでしょうが、残り少なくなったとき、その奪い合いになり、それが引き金となったいさかいがおきたら... というのは悲観的すぎるでしょうか。ともかく、彼ら未来の世代に「親たちの世代は私たちにこんな世界しか遺さなかった」と思われないようにしたい。

彼女が生まれてから6年で世界の気温は0.2℃上昇して、海水面は2cm高くなったそうですが、一昨日のジュニアクラブでのヘニさんのお話によると、インドネシアには、近年、水没して失われた島がいくつもあるそうです。

はしご

2014年10月19日 | かぞく
きのうは、多治見ジュニアクラブ(こういうもの)の本年度第4回。インドネシアのヘニさんをゲスト講師にお招きし、国の紹介、アンクルンという楽器の紹介と演奏、調理実習(ナシゴレン)ともりだくさん。日本語も上手で経験豊富だったので、手際よく、分かりやすくやっていただいて、子供たちもとても楽しんだようす、「インドネシアに興味を覚えた」「行ってみたい」という感想が多々。大成功でした。

会場の都合などのため朝10時から12時の開催。ところが、近所の児童センターの「感謝祭」もたまたまその時間。プログラム二つ目の、「一輪車クラブ」の演技に娘も出ることになっていました。このクラブには、保護者なしで来てよくなる小学校一年生からしか加入できませんが、お姉さんたちの技量に憧れた娘は6月ごろ集中的にがんばって、けっこう乗れるように。そのようすをみた(そもそも、親切に指導してくれた)児童センターのS先生が、「メインの演目の前に短い曲で出てみようか」と、特別参加を認めてくれました。スケジュールが重なったので、企画・運営担当のわたしたち夫婦は、ジュニアクラブを優先、娘は残念がっていましたが、おじいちゃんといっしょに感謝祭に参加。

ジュニアクラブの進行がとても順調だったので、というかそもそも、企画・運営は嫁さんとヘニさんで完璧にやってくれていたので、私は途中少し抜け出して児童センターへ。さいわい、開始のちょっと前に到着、演技開始前の娘にも会え、(べつのそのおかげ、ということはないでしょうが)彼女はいつもの力が出せて、失敗せず演技を終えました。いそいで戻ると、ナシゴレン調理中。最後に一人一人、ヘニさんにインドネシア語でありがとう(Terima kasih みんななかなかおぼえられなかった)と言って、お別れ。

終了後の午後、こんどは親子テニス教室へ。これは市のスポーツ協会主催で、春・秋それぞれ土曜日、全8回。娘は嫁さんともう6回目、わたしは今年からまぜてもらって2回目の参加。午前の用事のせいでかなり遅刻しましたが、ともかく休まず参加。さらに終了後、すぐ脇の公園で、テニス教室に参加しているほかのお子さんたちと恒例の遊び開始。うち同様、ずっと参加している子たちなのですっかり仲良くなっていて、毎回、なかなか帰りません。

秋はイベントの連続で、子供も親も忙しいと、まだまだ初心者マークのわたくしは学習中。きのうもあちこちはしごでくたくたになりましたが、みんなとても楽しく、よい日になりました。急なお願いだったのにご快諾くださり、とても楽しい講座にしてくださったヘニさんと、よい方をご紹介くださったU先生に感謝申し上げます。

負けて泣いたか

2014年10月05日 | かぞく
昨日は娘の幼稚園の運動会。最後の競技は、恒例の年長2クラス対抗のリレー。2年前、まだ娘が年少のとき、こちらの記事で、負けた組の女の子たちがみんなで大泣き、となるほどの子供たちの真剣さに驚いた件を書いたのですが、その番がわれわれに回ってきました。

結果、娘の組は一周半つけられた差を終盤追い込みながら若干の差で負け。悔しさで半べそ、という子はいたらしいけど、大泣きするようなことはなし。。。。二学期がはじまって運動会の練習に入ると、娘の組はさいしょのうちは負け続け。くやしいかれらは下園後、園のすぐ外の公園(運動会の会場でもある)で毎日のように練習、出走順も話し合って何度も変更、と超本気で取り組んできました。

練習では順番を決めるものの、途中でわからなくなって、いつの間にか全員が走り回っている、という状況に陥ることもしばしばでしたが、和気あいあいと、でも真剣に相談するようすに、「お前ら仲良しだなあ、成長したなあ」と。その結果、勝てるようになり、相手もくやしくて作戦会議。。。 と、このひと月で、みんな走力じたいずいぶん向上したようです。過去の年長さんたちも、こんなふうにみんなで積み重ねてきたからこそ、大泣きするほどの悔しさをかんじたのでしょう。

と、そんな様子を見てきた親の方も、みんな声をからし、飛び上がって大声援。終了後もみんなで感慨に浸り、私はある子のお父さんと「いい勝負でしたね」「ムネアツでしたね」。また別の子のお母さんは「これからみんなで打ち上げ行きたい気分」。

さて、その日の夜のふとんの中、「ところでね、小学校になると、リレーは選ばれた子だけが走るようになるんだよ」と嫁さんに教わった娘は、そこで涙。理由は、「みんなで走りたい」。。。 早い子もおそい子も、それぞれ自分の走力のかぎりでがんばって、ルールが飲み込めない子にはみんなで教える、親はそんな様子を垣間見せてもらい、レースになれば、みんなで、順番にぜんぶの子を、「行け~○○!」と声をからして応援する。なるほど、こういう機会はこのあとなかなか訪れないかもしれません。そんな仲良したちも、あと半年で3~4の小学校に分かれることになります。

西条市・小松地区

2014年09月21日 | フィールドワークから
先週の木曜日、今回の愛媛調査の最後は、西条市、旧小松町地区。この地にあった小松藩は、小藩ながら改易なく江戸時代のほとんど続いたこともあり、残された「会所日記」の一部の内容を基にした新書が出版されるほど豊富な文献が遺されているそうですが(『伊予小松藩会所日記』集英社新書)、古文書はまだまだある。今回、調査のお世話をしてくださった公民館の館長は元図書館長で、その解読作業や人材育成などについて、お話をうかがうことができました。写真は、公民館のすぐとなり、その小松藩が招聘した朱子学者、近藤篤山旧邸、ってすべてこの調査で知ったんですが。



お会いした3人の話者のうちお一人が、小松町の南の山中の石鎚地区出身、急激な過疎化(→こちら)でほぼ廃村(現在、一世帯だけとの話)となる前までそこにいらしたという方。この方だけ、他のお二人と違う特徴が見られたようなのは、年齢のためか、地域的なものか、(あるいは気のせいか)、今後の調査で明らかにしたい。

14:57の予讃線で帰途に。なんとか誕生日を迎えた娘が眠る前に帰宅(これを逃すと次は16:29)。多くの方々のご厚意のおかげで、とても楽しい三日間の調査でした。


6歳の誕生日に

2014年09月20日 | かぞく
愛媛調査から戻った日、娘は6歳の誕生日。その朝、仲良しの男の子から、おてがみをもらいました。

 おたんじょうび、おめでとう (中略) けっこんしようね

なんてお返事するの? と嫁さんが聞いたところ、

「まだ先の話ことだから、分からない」

との答えだったそうです。

むー、お前はそうやって、いたいけな少年の心を...

もっとも、そのままそう告げてはいないらしい。