うちのすぐ近くに小学校があります。そこにはたぶん一周300Mくらいのトラックがあり、隣にはブランコ、鉄棒等の遊具やバスケットボールのコートなどがある。授業終了後は誰でも遊んでいいので、子供連れ(うちも)や、小中学生が遊ぶし、ウォーキングをする大人等もいます。
私はほとんど毎日そこへ行ってランニング。一人で淡々と走るせいか、しばしば小学校高学年、あるいは中学生と思しき男の子たちが、声をかけたり、からかってきたりします。たいていは遠くからだし、叫ぶので何を言ってるか分からないし、そもそもこっちに声をかけてきてるかどうかも定かでないので無視しているのですが、先日はこっちに向かってアメフトのボールを投げてきました。
まあ、たんにボールが逸れただけだとしか思ってなかったのですが、どうやら本当にこっちを狙っているもよう、といっても当てるというより、からかいたい、怖がらせたい、ということなのでしょう。そのうち、「おい、そのボール拾えよ!」という声もかかりました。果ては、水の入ったペットボトルも足元に投げつけられました。あっちにしてみれば、それでも反応を見せないこっちが気に入らないのかもしれません。
さて、予定した時間が終わったので引き上げようとする最終周、その男の子(といっても中学生くらいで体は私より大きい)の近くを通り過ぎるので、警戒してそちらのほうを見ていると、「何見てんだよ!」と叫んで、ペットボトルを投げてきました。さらに引き上げようと離れると、拾い上げてまた投げたらしく、後ろからもう一度足元に飛んできました。
彼らを特定はしていないのですが、近所の子であることは確か。私に限らず、近所の、とくにアジア人はターゲットにされているようで、怒鳴りつけてきたり、威嚇してきたりという経験のある人が少なくないようです。
去年引っ越してきたこの地域はBloomington市の西外れで、残念ながら、あまり住人の生活・教育レベルの高いところではありません。小学校の学業成績は市の最下位で、学童期の子供を持っていたら住みたいところではない、と聞いてました。それでも、上がり続ける家賃を考え、ここに越してくる非アメリカ人の院生・ポスドクも増えているようです。
以前、わが師匠にこの話をしたときには、「あの地域の様子は知ってる。私にだって怒鳴りつけてくるかもしれないですよ。」とのこと。一方、この話を一昨日、院生の友人にしてみると、「それは差別じゃないのか」と言います。「いや、たんに誰にでもケンカを売りたい粗暴な中学生ってだけじゃない? アジア人は小さいし、弱そうだし、ともかく『攻撃してもいい奴ら』って思ってるというだけじゃない?」というと、「そうかもしれないけど、ちがうかもしれないよ」と言って紹介してくれたのが、
RICER (Responding to Incidents of Casual and Everyday Racism)
という任意団体で、相談を持ちかけるとたんに話を聞くだけでなく、差別行動、ヘイトクライム的行動をした人間たちを見つけ出し、接触して、そういう行動をやめるよう働きかける、ということまでするのだそうです。今後は彼らを見つけたら遠ざかり接触を避ければいいことで、相談しようとは思いませんが、そういう団体があることには驚きました。恐らく、善良なアメリカ人らしく、生真面目に、真剣に行動するのでしょう。
あの中学生たちがたんに弱そうな人間をターゲットにしているだけなのか、誰かからアジア人への嫌悪を吹き込まれてやっているのか分かりませんが、本当の白人至上主義者もいるのは確からしい。でも、一方で、「差別はいけない」というイデオロギーに忠実に、他人の世話まで買って出る人々もいるということを知って、「これまたアメリカらしい」と。
聖書の創造神話をそのまま信じ、学校の進化論教育を嫌悪する行き過ぎたキリスト教信者がいる一方で、「神はなくても善く生きられる」とバスに広告を出そうとする無神論者もいる。世界をリードする研究者たちが人為による温暖化について最先端の研究を生産し、警鐘を鳴らす一方で、「彼らの研究はデタラメだ!」と攻撃する人々もいる。そして、そういう両者が、しばしば火花を散らし戦う。充実した運動施設で完璧なフィットネスを追求する人がいるかと思えば、アパート構内のゴミ収集所に行くのにも車を使うほど歩くのが嫌いでデブデブの人もいる。。。 などなど、アメリカ社会のこの両極への振れ幅の大きさは何なのだろう? と友人に問いかけてみました。
「まあ、世界中からの移民でできた国で、異なった背景を持った人たちが隣り合って暮らしているから、いろいろとぶつかり合うんでしょう」とのこと。なるほど、それは大きい理由かもしれませんが、何かそれだけではなく、そもそも、しばしば極端に走りがちな傾向をこの国の人には感じます。それはなぜなのか、探ってみたい気がします。
私はほとんど毎日そこへ行ってランニング。一人で淡々と走るせいか、しばしば小学校高学年、あるいは中学生と思しき男の子たちが、声をかけたり、からかってきたりします。たいていは遠くからだし、叫ぶので何を言ってるか分からないし、そもそもこっちに声をかけてきてるかどうかも定かでないので無視しているのですが、先日はこっちに向かってアメフトのボールを投げてきました。
まあ、たんにボールが逸れただけだとしか思ってなかったのですが、どうやら本当にこっちを狙っているもよう、といっても当てるというより、からかいたい、怖がらせたい、ということなのでしょう。そのうち、「おい、そのボール拾えよ!」という声もかかりました。果ては、水の入ったペットボトルも足元に投げつけられました。あっちにしてみれば、それでも反応を見せないこっちが気に入らないのかもしれません。
さて、予定した時間が終わったので引き上げようとする最終周、その男の子(といっても中学生くらいで体は私より大きい)の近くを通り過ぎるので、警戒してそちらのほうを見ていると、「何見てんだよ!」と叫んで、ペットボトルを投げてきました。さらに引き上げようと離れると、拾い上げてまた投げたらしく、後ろからもう一度足元に飛んできました。
彼らを特定はしていないのですが、近所の子であることは確か。私に限らず、近所の、とくにアジア人はターゲットにされているようで、怒鳴りつけてきたり、威嚇してきたりという経験のある人が少なくないようです。
去年引っ越してきたこの地域はBloomington市の西外れで、残念ながら、あまり住人の生活・教育レベルの高いところではありません。小学校の学業成績は市の最下位で、学童期の子供を持っていたら住みたいところではない、と聞いてました。それでも、上がり続ける家賃を考え、ここに越してくる非アメリカ人の院生・ポスドクも増えているようです。
以前、わが師匠にこの話をしたときには、「あの地域の様子は知ってる。私にだって怒鳴りつけてくるかもしれないですよ。」とのこと。一方、この話を一昨日、院生の友人にしてみると、「それは差別じゃないのか」と言います。「いや、たんに誰にでもケンカを売りたい粗暴な中学生ってだけじゃない? アジア人は小さいし、弱そうだし、ともかく『攻撃してもいい奴ら』って思ってるというだけじゃない?」というと、「そうかもしれないけど、ちがうかもしれないよ」と言って紹介してくれたのが、
RICER (Responding to Incidents of Casual and Everyday Racism)
という任意団体で、相談を持ちかけるとたんに話を聞くだけでなく、差別行動、ヘイトクライム的行動をした人間たちを見つけ出し、接触して、そういう行動をやめるよう働きかける、ということまでするのだそうです。今後は彼らを見つけたら遠ざかり接触を避ければいいことで、相談しようとは思いませんが、そういう団体があることには驚きました。恐らく、善良なアメリカ人らしく、生真面目に、真剣に行動するのでしょう。
あの中学生たちがたんに弱そうな人間をターゲットにしているだけなのか、誰かからアジア人への嫌悪を吹き込まれてやっているのか分かりませんが、本当の白人至上主義者もいるのは確からしい。でも、一方で、「差別はいけない」というイデオロギーに忠実に、他人の世話まで買って出る人々もいるということを知って、「これまたアメリカらしい」と。
聖書の創造神話をそのまま信じ、学校の進化論教育を嫌悪する行き過ぎたキリスト教信者がいる一方で、「神はなくても善く生きられる」とバスに広告を出そうとする無神論者もいる。世界をリードする研究者たちが人為による温暖化について最先端の研究を生産し、警鐘を鳴らす一方で、「彼らの研究はデタラメだ!」と攻撃する人々もいる。そして、そういう両者が、しばしば火花を散らし戦う。充実した運動施設で完璧なフィットネスを追求する人がいるかと思えば、アパート構内のゴミ収集所に行くのにも車を使うほど歩くのが嫌いでデブデブの人もいる。。。 などなど、アメリカ社会のこの両極への振れ幅の大きさは何なのだろう? と友人に問いかけてみました。
「まあ、世界中からの移民でできた国で、異なった背景を持った人たちが隣り合って暮らしているから、いろいろとぶつかり合うんでしょう」とのこと。なるほど、それは大きい理由かもしれませんが、何かそれだけではなく、そもそも、しばしば極端に走りがちな傾向をこの国の人には感じます。それはなぜなのか、探ってみたい気がします。