時々雑録

ペース落ちてます。ぼちぼちと更新するので、気が向いたらどうぞ。
いちおう、音声学のことが中心のはず。

ワークショップ終了

2007年09月17日 | Indiana大学
1ヶ月をかけて準備したワークショップが終了しました。主催者側になるのはしんどいけど楽しみはもっと多いもの。本番2日間は楽しむことに徹しました。かなりのゲストを迎え、イベントを大過なく終えることができて、細かいミスはあったのですが、全体としては大成功だったと思います。写真のとおり、最大60人以上の参加。かなりの盛況。

私は最後の発表でしたが、まあ好意的に受け止めてもらえたよう。直後に午後のセッションを振り返ってのディスカッション。そこでも発表内容を受け、「研究手法」について(意見の違いはあれど)実り多い議論がなされました。われわれの発表は「容認性判断(その文がおかしくないか)から文法性判断(その文がその言語の文法に合致しているか)を取り出せるか」という話でしたが、Discussantに立ってくれた方は「容認性判断にかかわる、語用論、認知、韻律、語彙などの要素をそぎ落としていって最後に「文法性」というものが残るのか。「何も残らなかった」ってことだって、あり得るんでは?」と言う。

じつはこの考え方は嫌いじゃない。IU同級生のVolod(心的辞書が専門)もあとで「文法性判断が取り出せる」なんて思うの? と質問しに来てくれましたが「容認性判断の中に明瞭で一貫性のあるパターンを見出だせた、それでSyntaxの理論がチェックできる、それだけで十分満足。『文法性が取り出せるか』なんて議論までは関わる気は、個人的にはない」と言ったら「それなら納得」とのこと。

「容認度が言語研究につかえるのか」「一人二人の信頼できる(?)判断と、多人数の判断はどっちがいいのか」(私はもちろん後者)という議論もなされて、わが師匠De Jong先生と、ゲストのKluender先生からは「容認度に信頼性があるか」と言う研究論文が10年位前にLanguageに載ったから見てみたら、というアドバイスをもらいました。ご参考までに、これです。

E. G. Bard, D. Robertson & A. Sorace
Magnitude Estimation of Linguistic Acceptability
Language, Vol. 72, No. 1. (1996), pp. 32-68.

容認性のスケールはいくつがいいのか、等間隔と扱っていいのか、という問題がじつはいちばん気になっていたので、こういう反応があると、発表してよかったと思えます。

終了後のディナーで人数が足りず「参加者名簿は?」とK先生が言い出しましたが、持って行って忘れたのは当人。ほとんど徹夜続きで数週間がんばりまくって、最後はほっとしたんでしょう(そう言ってました)。ということでこれはご愛嬌。食事後はOrganizerでカラオケ。私は(他のみんなも)アメリカに来て初めて行きました。カラオケ大王の私は、大いに楽しみました。かわりに金・土の時間を使い切ってしまいました。大量の宿題が待ってます。今日一日で何とかしないといけません(じつはWorkshop中に少し内職)。

追記:イギリスの空港からS.O.S電話をかけてきた友人は無事たどり着き、研究テーマの近い彼と夜遅くまで話しこみました。これも今回のお楽しみの一つ。