つぼみな日々

いろんな花の蕾をもっていたい。たくさんの花を咲かせたい。
言葉を紡ぎたい私のブログです。

幸福な侵入者

2013-07-22 22:32:02 | 日記
ようやく、床に物が散らばっている状況に終わりが見えて、物の位置が決まってきた。
やむを得ず暫定的に置くことになってしまったものもあるから、たぶんしばらくしたらまた大幅に模様替えをしているかもしれない。
あとはピアスの置き場である。
今まではずらっと飾るようにしてあったのだけど、既に色々とごちゃごちゃしているのでこれは見せない収納にしておきたいのだけれど、となると選ぶときに容易なように収納せねばならない。
100個くらい、対であるばらばらの小物はどのようにしまうのが最適なのだろう。

すりガラスだからカーテンは要らないかと思っていた窓があるが、網戸がないため外から丸見えになってしまう。
適当な布を探しに外に出て、いくつかの中の布の柄を音楽を止めて想像力を利かせてチョイスする。
布の柄だけで選んでしまうと、私はどうしても原色に近い色のものか、エキゾチックな柄に行ってしまうので、既に7割方完成している一角の家具と、その配色、全体イメージの中から選ぶ。
いくらその色と柄が好きでも、全体でそれっぽくならなかったらだめだ。
想像力というのはずっと、どんなことにおいても、なるべく先入観なしに鍛え続けないといけない。

洗濯バサミにようになっているフックで吊るす。
天井のライトが北欧風で、その布を吊るしたら北欧感が増した。
これについての私の想像力は、なかなかだった。

住民票を取得するべく、会社の定時に間に合うように早く家を出たのに、転出届がないと転入届けを提出できないことを知り、区をまたいで朝から自転車で移動する。
本来ならば住民票は今日やらなければならないことではないのだけれど、拾われた財布を受け取るのに新居の住民票が必要で、週末はフジロックであることを考えると今日行かなければならなかった。
ついでに銀行のキャッシュカード、クレジットカードの再発行手続きにも向かう。

お役所的手続きというのは、どのように考えれば面倒が減るだろうか。

ものすごく質感のある夢を見る。
過去にも何度か、質感のある夢を見たことがある。
それは、本当であればすごく恐ろしい内容なのだけれど、なぜだか怖くなくて、とても心地よくて私はその質感によく身を委ねていた。
透明でさらさらしていて、ふんわりと温かくて、ある晴れた秋の朝のような心持ち。

それにしてもあんなに質感があったのに、まったく持って夢であったことが今も信じられないほどに身体に残っている。
残り香ならぬ残り触。

夢は夢で、現実は現実。
しかし、夢も現実の一部であって、あの質感を体感するのが夢であるならその夢を現実に見たい。
夢が起きると消えてしまうのと、現実も移ろったり無くなったりすることは何が違うのだろう。

雲みたいに掴みどころがなくて、ふわふわで芯のない心で、ただそれがそれである質感を味わう。
言葉として記号化できるものは何もなくて、味も無くてただ心地よい質感だけ。
心が動く、感情が湧き出る、そういう興奮という快感とは違う、その存在すらも危うい心地よさ。
喜びともまた違う、ぼんやりした極めて薄いピンク色のような。

それが何か、わかるようでわからないようで。
得てしまっていいのかもわからない。

夢だったのだろうか。

振り向けなかった。