2回目のフェス、Fuji ROCK '13。
最近の私の頓珍漢ぶりは自分でも危惧しているので、準備中は音楽をかけず、チケットや鍵や路線は何度も確認し、特にそういったこと大事なく何も失くさずに帰ってこられた。
友人の振り返りレポートのブログを読んだら、私がこれ以上備忘録を残すことはほとんどないように思った。
あまりにも私と似たようなことを感じてそれを書いてくれているので、書きたい欲求が削がれたということでもあるし、代わりにログとして正しく残してくれたことで自分でそうしたのではないにも関わらず一息ついてしまったのだった。
もちろん私たちは別の育ちの人間であるし、職業も置かれた環境も全然違う。
それでも似通った部分があって、私は彼女といると私の結構多くの部分を預けることができる。
寝る、起きる、食べる、酒を飲む、踊る、歌う、泣く、喋る、笑う。
彼女といると、限りなく自由にこういうことができる。
彼女はよく写真を撮るので、自分でも見たことがないような表情をキャッチして収めてくれる。
そんな彼女が私と友人をやってくれていることは、私にとっての誇りである。
景色を見たりして楽しむはずのドラゴンドラの中で大半寝ていたり、突然寄り目を強いてきたり、雨がザーザー降っているのに傘をスーツケースの中にしまってしまったり、ビール一杯でぱあっとなってものすごい勢いである事に噛み付いていたり。
撮った写真を見返して自分たちにヒロトとマーシーのような雰囲気が出ていると、げらげら笑ったり。
変人変人と、charが変人呼ばわりしていた鈴木賢司というギタリストに、私のパーマと髪型の具合が似ていたので真似して遊んだり、タバコを吸ってみたいとストローを加えて写真を撮ったり。
真剣に遊ぶ、真剣に笑う。
でも、無理はしない。
この感じ、私が最近重視したい“男子感”の要素が多分に含まれている。
楽しいこと、バカなこと、アホなこと、お茶目なこと。
何やっていたの?と誰かに問われても、そんなこと分からない。
だって別に何の意味もないから。
何て言うか、楽しいから。
彼女が私に話しかけて私のレスポンスがないことがままあるということを言っていたが、それは身を預けてしまっているということでぜひ許してほしい。
私は結構人の声が聞こえてしまう方だと思っているけれど、最近そのようなことがある事実を他人から聞かされるのでそろそろ自分自身の認識について改めたいと思う。
今回のフジロックは2回目ともあって、地理的にも慣れているし、何といっても宿が歩いて行ける距離だし、諸々安定感を持って楽しむことができた。
今年はなんといっても金曜日の一発目の「Route17 Rock'n Roll ORCHESTRA」にヒロトが出る。
まだ苗場の空気に慣れ始めたその一発目のステージは、トータス松本から始まり、次が甲本ヒロトだった。
「ヤングマン」と「情熱の嵐」
ヒロトはいつものように、あんなに何かに取りつかれたようにパフォーマンスをするけれど、その表面に出された圧倒的な強さと切なさを見てしまって、「ヤングマン」で私は泣いてしまう。
ヤングマン さあ両手あげて
ヤングマン 足をふみならして
ヤングマン 今思うことをやっていこう
トータス松本、甲本ヒロト、char、仲井戸“Chabo”麗市、鈴木賢司、奥田民生、大江慎也、SOIL&"PIMP"SESSIONS、CHARA、bjork、FERMIN MUGURUZA KONTRAKANTXA、Tahiti80、七尾旅人。
奥田民生の「さすらい」が生で聴けて、良かった。
私が奥田民生に感じているぎゅうっとなる熱い何かというのは、まだ少し私の中の理解にも遠いような気がしている。
それは私が耳にすることができる制作物ではなくて、別のところにあるのだろうというような気がしている。
願わくは、そういう人が自分の快感を世の中に出てくる何か、それは一つの慈善事業のようなもの、とは別に追い求めていてほしい。
全くの私の個人的な願望として。
ヒロトに対しても、マーシーに対しても。
また七尾旅人は確かにロックな人なのだと思うけれど、少し宗教的要素を感じずにはいられなかった。
そして非常に興味深かったし、ライブはとても面白かった。
「音楽で起こったことは、現実に起こったことと同じ」これは彼の思うところで伝えたいところなのだろう。
「音楽だけで会話できるようになればいいと、俺は本気でそう思っている」と言うけれど、私は本当にそうなったら困る。
異次元は異次元で存在してもいいし、ファンタジーを生身でもって現実に体験できることは言い知れない快感かもしれない。
しかしそれがユートピアだったとしても、それでは私の精神は結果的に満たされないし、私の思うロックとは自分の中に元々存在しているものがその皮が剥けて表出してくるようなもの、というイメージなので全くもって精神を超越してしまったところに持って行かれては困る。
この世で起こるすべてのことは、宇宙に比べたらちっぽけなことで、という世界には私はずっとはいられない。
自分で触った手触りを、自分で食べた美味しさを、自分で感じた自分の思いを、私は自分のごく近くで、というか自分の内側で感じたい。
と七尾旅人に対して、かなり偏った解釈になってしまったので、もう少し聴いてみたいと思う。
本当に私は去年までフジロックの存在すらも知らなかったような人間であるし、知らずに死んでしまうことだってあり得たわけだけれど、こんなふうに日々の動力貯金のような場所に行けて体験できて超ラッキーであると思う。
でも同時に感じることは、これは比較的容易に得られる類の楽しみにすぎない、ということであって、結局のところもっともっと私が欲しいものというのはおそらく自分の中の何かを出すことなのだということだ。
結局私がそれを自分ですること以外には、ロックンロールの絶頂は落ちるしかなくなってしまう。
ただ、この比較的容易に得られる楽しみというのもとてもとても大事なことであり、そういうことでも心豊かに笑いながら生きていきたいと思う。
だからこのような比較的容易に得られる楽しみも力を入れて取りに行きたい。
そう、ロックンロールのおまけももらいながら。
新居に移ってまだ少しも散策できていない街に自転車を走らせる。
かつて住んでいたところにあったとても質の良い八百屋さんのチェーン店が駅の近くにあった。
値段も鮮度も品揃えも抜群にいい八百屋さん。
デラウェアが4房198円で、普段特にフルーツは買わないのだけど、嬉しくなって買ってしまう。
土日にしか行けないけれど、簡単でもなるべく生のものから何かを作りたいなと思う。
コンビニの古くからある具のおにぎりが最近お気に入りだけれども。
久しぶりの出勤。
疲労感と一緒に飲みに出かけてしまったため、そのまま寝てしまって朝にシャワーを浴びる。
東京以外のところに出かけていつも共通して思うことが、水が違う、ということを髪で感じることだ。
ミュールに足を入れると、明らかに身体が何かに乗っかった感覚を覚える。
いつも高めのヒールをはいている私が、たった4日間スニーカーで過ごしただけで起こされた違和感。
スニーカーなどほとんどはかない私はヒールの方が常なのだけれど、やっぱりスニーカーの方が当たり前にナチュラルだ。
また自転車から携帯を落とす。
iPhoneにヒビが入ってしまった。
私のような人間がカバーを付けていないのはおかしなことである。
今年も咲いていたドラゴンドラの行く先の百合。
黄桃みたいな、バナナみたいな。
フジロックで撮った私たちの写真みたいな。
最近の私の頓珍漢ぶりは自分でも危惧しているので、準備中は音楽をかけず、チケットや鍵や路線は何度も確認し、特にそういったこと大事なく何も失くさずに帰ってこられた。
友人の振り返りレポートのブログを読んだら、私がこれ以上備忘録を残すことはほとんどないように思った。
あまりにも私と似たようなことを感じてそれを書いてくれているので、書きたい欲求が削がれたということでもあるし、代わりにログとして正しく残してくれたことで自分でそうしたのではないにも関わらず一息ついてしまったのだった。
もちろん私たちは別の育ちの人間であるし、職業も置かれた環境も全然違う。
それでも似通った部分があって、私は彼女といると私の結構多くの部分を預けることができる。
寝る、起きる、食べる、酒を飲む、踊る、歌う、泣く、喋る、笑う。
彼女といると、限りなく自由にこういうことができる。
彼女はよく写真を撮るので、自分でも見たことがないような表情をキャッチして収めてくれる。
そんな彼女が私と友人をやってくれていることは、私にとっての誇りである。
景色を見たりして楽しむはずのドラゴンドラの中で大半寝ていたり、突然寄り目を強いてきたり、雨がザーザー降っているのに傘をスーツケースの中にしまってしまったり、ビール一杯でぱあっとなってものすごい勢いである事に噛み付いていたり。
撮った写真を見返して自分たちにヒロトとマーシーのような雰囲気が出ていると、げらげら笑ったり。
変人変人と、charが変人呼ばわりしていた鈴木賢司というギタリストに、私のパーマと髪型の具合が似ていたので真似して遊んだり、タバコを吸ってみたいとストローを加えて写真を撮ったり。
真剣に遊ぶ、真剣に笑う。
でも、無理はしない。
この感じ、私が最近重視したい“男子感”の要素が多分に含まれている。
楽しいこと、バカなこと、アホなこと、お茶目なこと。
何やっていたの?と誰かに問われても、そんなこと分からない。
だって別に何の意味もないから。
何て言うか、楽しいから。
彼女が私に話しかけて私のレスポンスがないことがままあるということを言っていたが、それは身を預けてしまっているということでぜひ許してほしい。
私は結構人の声が聞こえてしまう方だと思っているけれど、最近そのようなことがある事実を他人から聞かされるのでそろそろ自分自身の認識について改めたいと思う。
今回のフジロックは2回目ともあって、地理的にも慣れているし、何といっても宿が歩いて行ける距離だし、諸々安定感を持って楽しむことができた。
今年はなんといっても金曜日の一発目の「Route17 Rock'n Roll ORCHESTRA」にヒロトが出る。
まだ苗場の空気に慣れ始めたその一発目のステージは、トータス松本から始まり、次が甲本ヒロトだった。
「ヤングマン」と「情熱の嵐」
ヒロトはいつものように、あんなに何かに取りつかれたようにパフォーマンスをするけれど、その表面に出された圧倒的な強さと切なさを見てしまって、「ヤングマン」で私は泣いてしまう。
ヤングマン さあ両手あげて
ヤングマン 足をふみならして
ヤングマン 今思うことをやっていこう
トータス松本、甲本ヒロト、char、仲井戸“Chabo”麗市、鈴木賢司、奥田民生、大江慎也、SOIL&"PIMP"SESSIONS、CHARA、bjork、FERMIN MUGURUZA KONTRAKANTXA、Tahiti80、七尾旅人。
奥田民生の「さすらい」が生で聴けて、良かった。
私が奥田民生に感じているぎゅうっとなる熱い何かというのは、まだ少し私の中の理解にも遠いような気がしている。
それは私が耳にすることができる制作物ではなくて、別のところにあるのだろうというような気がしている。
願わくは、そういう人が自分の快感を世の中に出てくる何か、それは一つの慈善事業のようなもの、とは別に追い求めていてほしい。
全くの私の個人的な願望として。
ヒロトに対しても、マーシーに対しても。
また七尾旅人は確かにロックな人なのだと思うけれど、少し宗教的要素を感じずにはいられなかった。
そして非常に興味深かったし、ライブはとても面白かった。
「音楽で起こったことは、現実に起こったことと同じ」これは彼の思うところで伝えたいところなのだろう。
「音楽だけで会話できるようになればいいと、俺は本気でそう思っている」と言うけれど、私は本当にそうなったら困る。
異次元は異次元で存在してもいいし、ファンタジーを生身でもって現実に体験できることは言い知れない快感かもしれない。
しかしそれがユートピアだったとしても、それでは私の精神は結果的に満たされないし、私の思うロックとは自分の中に元々存在しているものがその皮が剥けて表出してくるようなもの、というイメージなので全くもって精神を超越してしまったところに持って行かれては困る。
この世で起こるすべてのことは、宇宙に比べたらちっぽけなことで、という世界には私はずっとはいられない。
自分で触った手触りを、自分で食べた美味しさを、自分で感じた自分の思いを、私は自分のごく近くで、というか自分の内側で感じたい。
と七尾旅人に対して、かなり偏った解釈になってしまったので、もう少し聴いてみたいと思う。
本当に私は去年までフジロックの存在すらも知らなかったような人間であるし、知らずに死んでしまうことだってあり得たわけだけれど、こんなふうに日々の動力貯金のような場所に行けて体験できて超ラッキーであると思う。
でも同時に感じることは、これは比較的容易に得られる類の楽しみにすぎない、ということであって、結局のところもっともっと私が欲しいものというのはおそらく自分の中の何かを出すことなのだということだ。
結局私がそれを自分ですること以外には、ロックンロールの絶頂は落ちるしかなくなってしまう。
ただ、この比較的容易に得られる楽しみというのもとてもとても大事なことであり、そういうことでも心豊かに笑いながら生きていきたいと思う。
だからこのような比較的容易に得られる楽しみも力を入れて取りに行きたい。
そう、ロックンロールのおまけももらいながら。
新居に移ってまだ少しも散策できていない街に自転車を走らせる。
かつて住んでいたところにあったとても質の良い八百屋さんのチェーン店が駅の近くにあった。
値段も鮮度も品揃えも抜群にいい八百屋さん。
デラウェアが4房198円で、普段特にフルーツは買わないのだけど、嬉しくなって買ってしまう。
土日にしか行けないけれど、簡単でもなるべく生のものから何かを作りたいなと思う。
コンビニの古くからある具のおにぎりが最近お気に入りだけれども。
久しぶりの出勤。
疲労感と一緒に飲みに出かけてしまったため、そのまま寝てしまって朝にシャワーを浴びる。
東京以外のところに出かけていつも共通して思うことが、水が違う、ということを髪で感じることだ。
ミュールに足を入れると、明らかに身体が何かに乗っかった感覚を覚える。
いつも高めのヒールをはいている私が、たった4日間スニーカーで過ごしただけで起こされた違和感。
スニーカーなどほとんどはかない私はヒールの方が常なのだけれど、やっぱりスニーカーの方が当たり前にナチュラルだ。
また自転車から携帯を落とす。
iPhoneにヒビが入ってしまった。
私のような人間がカバーを付けていないのはおかしなことである。
今年も咲いていたドラゴンドラの行く先の百合。
黄桃みたいな、バナナみたいな。
フジロックで撮った私たちの写真みたいな。