写真をあらま~ スマホから完全削除していました
父の1周忌と母の7回忌を無事済ませました。
この時期、子、孫.ひ孫だけで済ませ
親戚は呼びませんでした。
写真をあらま~ スマホから完全削除していました
父の1周忌と母の7回忌を無事済ませました。
この時期、子、孫.ひ孫だけで済ませ
親戚は呼びませんでした。
昨日4日は
娘家族と義両親と一緒に新年会。
そのあと みんな 父の所へ訪問。
そろって 会いに来てくれて ありがたや。
おだやかな表情の父です。
もう骨と皮になって
老衰の極意というか きれいに枯れていく。
びっくりなのは
ひ孫 鈴乃が
なにも 臆せず窮せず 戸惑わず 手を握り
「ひいじいちゃ~ん」と話しかける。
いままでも 頻繁に会っているから
その経過をしっているからなのか
当時1歳7か月だった
5年前のひいばあちゃんの時も
棺を覗き込んで 「おばあちゃ~ん」と語りかけていて
49日まではおばあちゃんが見えていた言動をした鈴乃。
まあ そんなこんなは 彼女にお任せしましょう。
帰りに くるみを拾ってきた 猫公園へ行ってみた
5日
ゆっくり ブログ書いてていいんかい?なんて自分でも思いますが
今 夫が付き添ってくれています。
しばらくしたら交代しに行きます。
お正月の準備は適当にするのは毎年のことですが
そろそろ父も 体調を崩し、持ち直しの繰り返しで
食事も細くなり
お正月休みの間にどうなるか・・・
持つかもしれないし
ダメかもしれないで
主治医も施設の人も
水面下で準備中。
お寺さんにも耳に入れたし。
12月10日 父の92歳の誕生日
孫、ひ孫がそろう8日(日)に。
10日ほど前は 調子が良くなくて
このまま、冬は越せるかいな・・と心配していましたが
持ち直したようです。
食は細くなり
誕生日はプリンでお祝いを。
父は二口ほど食べて
後はお祝い気分で ひ孫たちが枕もとでプリンアラモードを食べてお祝い。
ひ孫を見ているだけで たぶんうれしかったと思います。
帰りは浜手緑地でお散歩。
どんぐり拾いに
どんぐり投げに
楽しいお散歩でした。
施設にいる父のこと
だいぶ デクレシェンドしてきました
寝ている時間が多くなりました
訪問しても寝ていることが多く
起こすのも気の毒
かといって声をかけないのもなんだかな
無理に揺り起こしても またすぐねる。
12月で92歳
定期的にリハビリを受けていましたが
もうやめますねと施設から連絡。
リハビリで機能回復より
できるだけ 気持ちよく寝たきりに(こんなふうに言うのも変ですが)なるのを目指します。
両脇を抱えられて入っていたお風呂も
血圧が低すぎて ふらふら 起きると意識も低下するときもあるそうで
お風呂も訪問入浴になります。
ベッドの横に四角い浴槽を置いてもらって寝たまま入浴です。
しゃべることもないので 声も出にくそうですが
頭はしっかりしていて
私たち身内としゃべるときとは違って
このまえ 雄作さん母が来たときは
「お世話になります」とちゃんと声色としゃべり方も変えていたからね。
自宅を出てから3年
今の施設に引っ越しして2年半。
自分の置かれた状況に愚痴ることなく たんたんと生きております。
えらい父です。
訪問入浴になることを聞いて
「お金は大丈夫か?」と
「大丈夫 心配ないよ」で安心して寝ました。
昨日はみんなそろって じいさまのところへ。
腕時計を落としたら止まったというものですから
「いまさら寝たきりで腕時計なんていらんやろ」なんてことは
思っても口には出していませんよ。
こだわりの部分は大事にしなきゃ。
電池を交換したら無事動きました。
孫2人を連れて 父のところへ
訪問しようかな思ったところに
施設長さんから電話が。
また 朝に意識混濁があって ご飯も食べたくなかったらしい。
これで3回目
こんなことが起きる間隔が短くなったので
覚悟はしておかないと。
施設ではほんとに良くして頂いています。
ひ孫たちも連れて行くと
やさしく撫でて、
帰るときは「また来るね」とタッチします。
意識混濁で呼びかけに応じないまま
ふ~っと逝ったら 大往生ですがな。
父が思い出しながら私に復唱させる。
中島(飾磨の父が生まれ育った町名)の同級生の名前を
思い出しているのだが思い出して数えるたびに12人や14人になるらしい。
いっしょに復唱していると
うん あるある 中島によくある 氏。
父の産土神社である中島天満宮に
修学旅行でお伊勢参りに行った記念に 絵馬を奉納して
社殿に掲げてあるのは 小さい頃父に連れられて見たことがあったのでしっていた。
その絵馬に町内の6年生の名前がかいてあるのだ。
その絵馬に書いてある名前を思い出している父。
が、果たして昭和2年生まれ、伊勢参りは昭和14年、
そんな古いのが今も掲げてあるのか?
昨日はお天気もよかったので お参りに行って来ました。
晴天の下
結構広い境内。
よく わかる経緯。
旧言い回しで よくわからないところもあるけれど
大体推測でよめる 神徳のいわれ。
すごい 三股のご神木。
久々にお参りして すがすがしい気持ち。
絵馬が見つかりますように
父の同級生がわかりますようにとお願いして
社殿、天井を見上げたら
ありました~
日本史に疎い私は
この図柄が何の話しに当るのかわからないけれど
でも 氏名は後から誰かが書き直しているのでしょう。
鮮明でした。
幼い頃 父と見た絵馬の氏名は薄かったですから。
絵馬の芝田さんは そういえば私の同級生の父だったはず。
娘の知美さんは どうしているかな。
額縁にうっすら残る 昭和16年
そうなんだ 小学校のあと あのころは2年高等小学校があって
その2年のときにいったらしいから 昭和2年生まれ、小学6年
高等小2年でお伊勢さん。
父をいれて13名ですよ。
写真を拡大プリントして持っていくことにしましょう
梁の上に大正7年の絵馬も。
古いのははずして倉庫にでも並べられているのかと勝手に想像していましたから
感激です。
最近 交通事情で6年生は伊勢参りは行かず、
奈良、京都になった。
「卒業記念」として干支の絵と氏名が直近のまで奉納してありました。
普段は恵美酒天満宮の宮司さんが兼任しているので
宮司さんの不在の中島天満宮ですが、地元町民の歴史が感じられました。
父に「みんな生きてるだろうか」と問われても。
さて・・・????としか 答えられない私。
寝たきり 要介護5になっても
「こうやって 人の世話になっても 生きているだけいいんだ」と
自問自答する父。
今の施設にお世話になってもう2年。
顔を見に行くのも 正直言って面倒くさいと思うときもある。
夫と娘と私とで分担して
おやつや飲み物の嗜好品を届け
話しを聞き、手足をさすり
いつまで これが続くのかな~なんてふと思う。
「もう 死にたい はやくお迎えに来て欲しい
明日、死ねるやろか」と顔を見に行くたびにというか
義姉にとっては 毎日言われていた 義母を思えば
まだ 気持ちが楽だな。
看板猫2の くるみをつれて
爺さまのところへ
じっとしていないのだけどね
うれしそうな じい様
帰りは運転席の私の肩
ちょこんと おとなしくのっておりました
台風が来る前に
昨日は都合で行けなかったので
新学期早々 学校が休みになった孫たちと
じいさまのところ訪問
朝の9時前に行くことはないので
ちょうど お風呂の準備中でした
いきなり起きると 血圧が下がるから
しばらく座って
それから 車椅子へ
ひ孫にスイッチを持ってもらって
階段を移動
施設のスタッフには いつもお世話になります。
暑いです
車に乗るのも暑いです
私の軽四は後部座席までエアコンは行き届きません
でも 父が待っているから
夏休みで孫たちもいるから
みんな 乗せて行っています。
熱をはかってもらいました。
平熱でした。
10畳ある和室で広々。
父の日常圏内はベッドですが、
私たちが訪問する分には広いお部屋は助かります。
7日、また違うタイプのベッドをレンタルしなおしました。
昼間に車で出かけるのも暑くてたまらないですが
孫たちは 付き合ってくれます。
ベッドにあがって 手を握ってさすってを
普通にやってくれるのがうれしいです。
なんだかな~
別にケチっているわけでもないのですが
愚痴というほどでもないけれど
愚痴っているのかな
寝たきりの要介護5の父。
それなりに加齢のボケはあるけれど
認知症はない。
耳が遠くて聞き取れないから 話がうまくつながらないだけで
自分の要求は 一方通行でよければしっかり言える。
まだまだ 元気な父。
食事制限とかはなく
看取りまで 好きなものをたべていい。
歯は欠けてきながらも 自分の歯。
1年前くらいまでは かたいおせんべいも食べていた。
夜中は介護の人手が薄くなる時間帯
1人で時間をもてあまして 飴ばかりなめていた。
飴も1日 半端じゃない量をなめていたというより
かじっていた。
1キロ入った大袋を結構早いペースで補充していた。
それも個別包装で 自分で開けやすいように
個別包装にV字型にはさみで切れ目を入れた。
そして虫歯。
虫歯治療も往診でレントゲンまで撮ってもらった。
虫歯治療の件より以降 飴はぱったりやめた。
痰がからんでくる。のどがいがらっぽい。
たぶん痰が出やすくする薬をもらっていたようだが
効いているかどうかは ???
吸引するほどではない・
たぶん 薬でも効いた気がしないのだろう。
そこで 飴玉は卒業したから、
年明けから のど飴系。
しかし どうも気に入らない。
そこで
ここからがそろそろ本題の
「南天のど飴」
裏の処方をみると 成人は1回3錠で 一日3回とある。
言っちゃなんだが ほぼ気休めだとおもうので
1回1錠で一日3回と伝えた。
このペースで3缶で2ヶ月弱。
ここのところ 3缶で20日しかもたないペースになってきた。
そして
父自ら言う。
自分で買いにいけないから 目の前に積んでないと不安で不安で。
お願いだから安心させて。
これは 高齢者あるあるらしい。
確かに私もまとめ買いするけどさ。
まずはペットボトルのお茶
施設でもお茶はいくらでも持ってきてくれるが どうも気に入らないらしい
それで24本(1箱)つねにストックがある状態。
缶コーヒー
最近、施設のスタッフから聞くには 1日3本くらい飲んでいるらしい。
どうされますか? 制限されますか?と聞かれましたが
好きなだけ飲ませて下さいと。
これ 再々補充するのももっていくのも大変だから
スーパーの安いときにまとめ買い。 ただ今4箱積んでます。
野菜ジュース系
これも 箱買いで
おやつ
まとめていろいろ
食後のゼリーとプリン
1週間分以上は 施設の冷蔵庫にあずけてある。
目くすり
2箱 医者の処方以外に、気休め用。
歯磨きチューブ
まだ 当分あるのだが
予備に1本。 この1本はまだ3ヶ月以上 未使用のまま。
ティッシュペーパー
5箱×3くらいあるはず
これらのものは 無くなっても
施設のスタッフが買いに走ってくれますが
そこまでお手間をとらせなくても
ほぼ毎日行っているのだから 家族が持っていきますと。
安心材料をいっぱい見えるところに、持っていき積むのが私の仕事。
そろそろ 本当に本題
「南天のど飴」 積んでほしいと。
これね 結構高いのよ。
買えないわけじゃない。買える。
でもね 嗜好品でもなく
医者の薬でもない。
ええっ? ほんとに いるの?
気休めなら 飴玉は?
そうなの 虫歯がいやなのね
南天のど飴だって 糖分あるだろうに。
他のだめなの?
そうなのね 南天のど飴ね。
夫にいうと
「亡くなってから あのとき こうしておけばよかった」と後悔しないように とのこと。
それで 南天のど飴 5個 積みます。