父が思い出しながら私に復唱させる。
中島(飾磨の父が生まれ育った町名)の同級生の名前を
思い出しているのだが思い出して数えるたびに12人や14人になるらしい。
いっしょに復唱していると
うん あるある 中島によくある 氏。
父の産土神社である中島天満宮に
修学旅行でお伊勢参りに行った記念に 絵馬を奉納して
社殿に掲げてあるのは 小さい頃父に連れられて見たことがあったのでしっていた。
その絵馬に町内の6年生の名前がかいてあるのだ。
その絵馬に書いてある名前を思い出している父。
が、果たして昭和2年生まれ、伊勢参りは昭和14年、
そんな古いのが今も掲げてあるのか?
昨日はお天気もよかったので お参りに行って来ました。
晴天の下
結構広い境内。
よく わかる経緯。
旧言い回しで よくわからないところもあるけれど
大体推測でよめる 神徳のいわれ。
すごい 三股のご神木。
久々にお参りして すがすがしい気持ち。
絵馬が見つかりますように
父の同級生がわかりますようにとお願いして
社殿、天井を見上げたら
ありました~
日本史に疎い私は
この図柄が何の話しに当るのかわからないけれど
でも 氏名は後から誰かが書き直しているのでしょう。
鮮明でした。
幼い頃 父と見た絵馬の氏名は薄かったですから。
絵馬の芝田さんは そういえば私の同級生の父だったはず。
娘の知美さんは どうしているかな。
額縁にうっすら残る 昭和16年
そうなんだ 小学校のあと あのころは2年高等小学校があって
その2年のときにいったらしいから 昭和2年生まれ、小学6年
高等小2年でお伊勢さん。
父をいれて13名ですよ。
写真を拡大プリントして持っていくことにしましょう
梁の上に大正7年の絵馬も。
古いのははずして倉庫にでも並べられているのかと勝手に想像していましたから
感激です。
最近 交通事情で6年生は伊勢参りは行かず、
奈良、京都になった。
「卒業記念」として干支の絵と氏名が直近のまで奉納してありました。
普段は恵美酒天満宮の宮司さんが兼任しているので
宮司さんの不在の中島天満宮ですが、地元町民の歴史が感じられました。
父に「みんな生きてるだろうか」と問われても。
さて・・・????としか 答えられない私。
寝たきり 要介護5になっても
「こうやって 人の世話になっても 生きているだけいいんだ」と
自問自答する父。
今の施設にお世話になってもう2年。
顔を見に行くのも 正直言って面倒くさいと思うときもある。
夫と娘と私とで分担して
おやつや飲み物の嗜好品を届け
話しを聞き、手足をさすり
いつまで これが続くのかな~なんてふと思う。
「もう 死にたい はやくお迎えに来て欲しい
明日、死ねるやろか」と顔を見に行くたびにというか
義姉にとっては 毎日言われていた 義母を思えば
まだ 気持ちが楽だな。