先週土曜は 快晴の下、小学校の運動会でした。
万国旗の似合う空でした。
学年演技のダンス。 1年生頑張ってます。
前もって 各演技、競技ごとの 立ち位置やスタート順番、コース等
お手紙にて配られています。
これを準備する先生って大変ね。
娘の頃は、自分で見取り図を書いて渡してくれていました。
徒競走。
何組の何番目のどのコースを走るか明記されているので探しやすかったです。
ゴール正面で見ていたので
そんなに着順の差はわからないだろうとおもっていたら
わかりました(笑) 最後か最後から2番目の恭一。
日ごろあれだけばたばた走り回っているのと 競技とはまったく違うのですね。
いえね 別に順位はいいのですよ。
元気に走れているのですから。
私なんて小学1年の運動会、遠足はドクターストップ。
2年生から種目限定。
プールの解禁はたしか4年生から。
まずは、一生懸命ゴールを目ざそうという気持ちが感じられない。
まっすぐ 走っていない。 ふらっと隣のコースに侵入。たった50メートルなんだけど。
あ~ 恭一の性格だな。 もし転んだ子がいたら 気になって走れなくなって
ひょっとしたら助けにいっているかもしれない。
そして 親族話し合い。
ゆうさくさん両親「ゆうさく(恭一父はとっても小柄であった)も 速くなかった」
ゆうさくママ弘子さん「私は運動会は嫌いだった いつもビリだった」
私「弘子さんと同じ」
恭一の母、壬生娘「幼少期からぽっちゃり体系でしたので遅かった」
リレーの選手までしたのは
壬生娘妹 メアリーとうちの主人のみ。
そんなこんなで みんな恭一の走りはあきらめて
文化系男子を目ざそう!ということになった。
そして 競技よりたのしいのが みんなでお弁当。
体育館場所取りは、 たまたま別件で実家に帰っていたメアリーに頼んで
朝から並んでもらった。
お昼時、
ふと お弁当の重箱をみた。
これって 私が物心ついたときからあったはず。
私の運動会でも見た。
当然、娘のときも活躍。
重箱の蓋裏側に金文字で
「冨士製鉄所 勤続10年賞」 お~っ 新日鉄が合併する前のだ。
え~っ 50年以上前のもの?
翌日 父の施設へ行き、確認。
父は昭和25年 冨士製鉄入社。 即答。
勤続10年だから 私が1歳のときにもらった記念重箱。
父にとっては 曾孫の運動会まで活躍するとは思っていなかったようだ。
これからも大切に使っていこう。
きれいに洗って、しっかり乾燥、からぶきして 新聞紙にくるんで
押入れの戸袋 定位置にしまいました。
小学校も
父(尋常小学校時代)
私、 壬生娘、恭一と4代、同じ小学校です。