私が今日、なんで主人にイラつくのか
その理由なんて考えようと思ったこともないし
そんな時間もなかった。
そこをメアリーが考えてくれた。
インフルエンザが我が家ではやっている
正確には我が家に頻繁に出入りする 壬生娘と孫たちがインフルエンザだ。
私は早めに予防接種をしていた(したからといってかからないとは限らないが)
メアリーはしたかったのだけど しようと思ったら体調不良でできなかった経緯がある。
さて 主人。孫がインフルエンザと判定されてから
隣の医院にあわてて予防接種に行った。
孫のインフルをもらいたくないのであわてていったのですが
帰ってきて「効くの2~3週間後だって・・」
そんなの みんな当然知っているものだと思っていたけど・・
それで今 真っ最中の孫のインフルが防げるとホントに思っていたのか
それともただ「効くの2~3週間後だって・・」とつぶやいただけなのか
その真相はわからない。
だって 「あわてて予防接種しても 無駄だよ。孫のインフルを防げないよ!」なんてこと
言おうものなら 私はとても意地悪いおばさんになる。
そこは「それで 移らなかったいいのにね」とお茶を濁したコメントをするしかないのです。
そう 主人は、家族のインフルや風邪を心配するのですが
それと同時に自分に移ることを異常なほど気にするのですよ。
家族の誰かがかかったらそれなりの覚悟はできないのでしょうかね。
インフルの孫を抱っこし、いっしょに食事し
同じくインフルの娘の負担を軽減するためにも
発熱中の孫と一緒に寝た。
移るのは覚悟している。
主婦が、母が、そんなこと気にして家族と生活できないでしょ。
今日はメアリーの体調がよくないので
夕食はメアリーの部屋までに運んだ。
インフルの判定は出ていないけれど
父は予防接種はしているけれど父と一緒に食事だと、
高齢の父が一番感染のリスクが高い。
肺炎になると命取り。
仕事から帰った主人が、部屋に食事を運ぶ私の姿をみて
主人は メアリーが 風邪なのかインフルなのか私に問う。
「そんなこと 知りません」(インフルだったら それで何?)
私は体調不良のメアリーに食事を運んでいるだけ
インフルだったら移るかもしれないけれど
家族の中で誰が運ぶのですか。
レッスンの空き時間に食事の支度で忙しい私にとっては
主人の問いはうっとおしいだけ。
私も気がついていないイラついている理由をメアリーが考えてくれた
「パパは、人の心配をしているようで実は自分のことしか考えていない」
それに私がイラついているのだそうだ。
あたり!
たぶんそう 支所で思われたのにちがいない。
またまた 謄本やら住民票がいるので支所へ。
この前 お堅いお役所対応に情けなくなって
涙で叫んだ窓口。
私がいくと
さっとこのまえ あんじょうやってくれた人がすぐ目につけてくれて
「この前も書いていただいたように このたびもここをお願いしたいのです」と
とっても柔らかに説明してくれた
「あっ! このまえ 叫んでいたおばさんやわ」と思われたのでしょう。
いいの そんなの気にしない
スムーズにできたらいいのですよ。そっちが優先。
捨てるしかないやろ
昔は、棟上げや、親戚のあつまりで
家で大勢で食事をしたことがあったな
その名残りの食器たち
役目を果たして
長く押し入れでご苦労様でした
必要なものを教えてもらう
様々な請求、配偶者の父ができれば
簡単ですが、それができないから私がやってる。
そこで必要なものは、私に委任したとの父の自筆の委任状。
その、委任状、父がさっさと書ければ苦労しない。
委任状用紙をコピーして私が書いて
それを写してもらっていたが
手が震えて字がかけない。
それを
この前、謄本を請求したときは
私の身分証明でよかったのに
次の日、住民票を取るのに窓口担当が委任状が、いると言う。
その住民票とて、年金事務所が必要だからと、他にも家族である証明を諸々もってるのに
それではダメ、住民票がいるといわれて支所にきて
そこでも委任状自筆なんて言われたものですから
もう書類書きにヘトヘト。
私が書くならなんぼでも書きますがね。
また父に書けとな?
思わず、しんどくて情けなくて
窓口で泣けてきました。
「父は生きてるだけで、もう字がかけへんのや。それでも書いてこいと?昨日は良かったのに今日はあかんのかいな」
窓口で涙流して疲れて突っ伏しながら叫んでいる、面倒なおばさんの図ですわ(笑)
面倒くさいおばさんの相手に
すこし先輩窓口さんがでてきて
それなりに父の委任状がなくてもあんじょうやってくれた。
な、やればできるやん。窓口さん
頼むわよ。
何も不正するつもりないんだから。
そして後になって気がついた。
年金事務所で待たされすぎて
お昼はとっくに過ぎて
帰ればレッスンの時間。
お腹空いてたんやな。
空腹で役所にいかないことやね。
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面倒なことよ。
母を見送った後の、
社会からいなくなることのしまい仕事だね。
フルタイムで仕事してる人なんて
なかなかはかどらないだろうな、何てこと思いながら
いま年金事務所。
あれこれ忙しくて
あたまがぼ~っとして
乗って行って、帰りは歩いて
それでもって翌日の朝、自転車がないのに気付く。
それをもう、二回やってしまった^_^;
最初から歩けばいいのだろうけど。
疲れていたお正月でした。
寝込むわよ!と言われたとおり
寝込むほどではないけれど
寝込んでも枕元まで起こしに来る母がいなくなったので
三が日は寝ていました。
大げさだけど母の呪縛が解けるには日にちがかかりますね。
55年私が生きていた中で 一緒にいなかったのは大学の4年間だけ。
その他はずっと一緒。
しがらみあるよね。 いま思えば、よく大学を無条件で外に出してくれたわ(感謝)
今でも語り草になるような、
娘たちにも、そんなのいまどきの子、耐えられへんわと言わせる
婿養子をとり跡継ぎになるための洗脳教育が
21歳のときに突然すごいパワーで始まった。
いまさらグチってもしかたないけれど
結果として今は幸せなんですが
ここでグチらないと 私は次へはすすめないような気が・・(大げさか)
常に上からの指示、
我が家の法律だった母。
そして最後の数年は、アルツハイマーによる
私への心身の圧迫。
正直いつまでこの状態が続くのだろうと覚悟とあきらめと
せめて私の体調だけは整えておかないとと思う日々。
集中治療室で意識朦朧としている母を見舞った時
「手、握ってあげたら」と壬生娘がいう。
なんてこと私にさせるんだろう、壬生娘は・・と
母の手を握ることに躊躇した私。
ほんとは何も考えずに握るだけでよかったはずなのに(あとで思う)
小学校の低学年以降 母と手をつないだことも無く
言葉で意思が伝達できたらそれでいいような雰囲気の母でしたから。
ドラマではよく見ているのにね。
手の握り方を知らない私。
最後を看取ったとき
育ててくれた感謝の涙と
ここ数年私を悩ませた母の言動から解放される・・うれしい・・
母の病気のせいなんだから 解放されるのをうれしがってはイケナイと
入れ混じる気持ちが整理できない涙。
素直じゃない私。
やっぱり 開き直らなければならないのですね、こんな時も。
泣きたい時は涙して、腹がたったら愚痴ってみて、
どっちにしても早く成仏してくださいよと
朝晩お経を欠かさない私です。
たぶんこれからもいろいろあるでしょうが
ありのままの日々がすごせたらいいのでしょう。