播州、姫路の浜手育ち ♪日々の出来事をつぶやいています

まあブログですから、覚え書きみたいなもの

2023.8.26(土)祐気取り 東

2023年08月28日 | 祐気取り

 

 

 

有馬温泉へ

祐気取りというか

手術の傷がひきつって痛むので

温泉であっためてのばす感じかな。

 

温泉神社に行きたかったけれど

あの階段を上る体力はなかったです。

 

太閤の湯クーポンはありがたい。

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入院よもやま話 7 腹壁瘢痕ヘルニア

2023年08月24日 | 神経内分泌腫瘍と診断されました(2023.6.1)

さて忘れないうちに書いておこうと思った

「よもやま話」これで最後かな。

胃の神経内分泌腫瘍が早期に見つかって

幸い転移もなく、胃を切る手術だけで済んだ話。

それにまつわる、入院時の話や思った事、感じたこと。

 

この度の手術とは関係ないのですが、

2021年1月に開腹手術で子宮と卵巣を摘出しました。

手術以降、お腹がグーグー鳴るのがよく聞こえるようになって

自分の下腹が太って大きくなっているのではなくて

ググッて押されて圧迫感がありお腹が張って

太ももの付け根まで押される感じ。

 

 

 

手術した産婦人科医が

CTやMRI画像をみて

「ちょっと ヘルニアだね、またメッシュを入れないと」

それだけをサラッと言われて、

私も特に聞かなかったし。医師もそれ以上は言わなかった。

もしするなら 産婦人科医か外科医かどっちかな?と思ったくらいで。

 

この度の手術前の検査で

「腹壁瘢痕ヘルニア」があるね。

消化器外科医師に言われ

胃の手術とヘルニアの手術は一緒にできないかと聞いたら

それは無理で、ヘルニアはまた別にと説明された。

うわっ また痛い思いをするのか。

 

この度、手術後の顕微鏡診断の結果を聞きに行った時

「いつ ヘルニアの手術するんですか」

「まだ 胃を手術してから3週間ですよ」

(そんな 急がなくても・・)

「それに もちょっと体格が変わってからした方が・・・」

「やっぱり 痩せろ!ですね。 周囲も私が痩せること期待しています」

「まだ余裕あるでしょ」

「10キロ減ってもまだ 適正体重ではないです」

「早くヘルニアの手術をするより 痩せてからの方が

使うメッシュのサイズも違うので・・・」

(メッシュを入れてから痩せると お腹の中でうまくひっつかないんか)

 

どっちにしても

今の傷がまだひきつって痛いので

そんな気は起きないですが。

 

「ヘルニアの手術、痛いですよ~」

(医者がそんなこと言うか!?

入院中の同室の人、ヘルニアの人がいらっしゃったけど

絶対、私より痛くないわよ・・・なんて思いましたが

入院期間も短いし)

 

まあ 今は腹帯やその他で下腹を支えて

がんばろう。

 

どっちにしても

胃の手術の如何にかかわらず

ダイエットしなきゃならない身体だってことは確かです。

がんばろ。

 

腹壁瘢痕ヘルニア、要するに

2年半前の開腹手術のあと

お腹の筋肉がうまくひっつかなかったてこと。

というか、もともと私のお腹に筋肉ってあったのかな(苦笑)

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入院よもやま話 6 減ってないやん!

2023年08月24日 | 神経内分泌腫瘍と診断されました(2023.6.1)

退院後3日目(8月14日)

消化器内科へ 早かったですね

7月31日にした大腸内視鏡検査の結果を聞きに行った

もともと 最初に見てもらった消化器内科の医師が

消化器外科の医師へまわしてくれたから

手術の事は知っていて

「こんなに 早く手術になるとは思わなかったので」

(退院後またすぐに来てもらって 大変でしたね・・そんな感じ)

あまりにも、大腸内視鏡が痛かったので

訴えたら、よく見える太い内視鏡を使ったからとか。

こんどは細いのにしてね。

次の検査を受けるタイミングは?

便潜血検査でなにかあった時に。

 

よかった。便潜血は毎年 かかりつけでしているから。

異常がないことを祈るばかりです。

 

退院後5日目(8月16日 朝) お変わりないですか つながらなくてよかったね

産婦人科の医師へ 3か月に1回

子宮頸がん後の定期健診

「何かおかわりはないですか?」

「この病院で手術してました」

「えっ? それは大変でしたね」と

 

内診台にあがって

「小さい傷ですんでよかったですね。

つながらなくてよかった」と医師。

腹腔鏡手術だから穴だけ。

産婦人科の医師は子宮と卵巣摘出は

臍からしたへ ズバッと一直線。

もし、胃の手術が開腹なら

臍から上へつながるはずだった。

 

つながらなくてよかったんだけど

子宮の開腹あととその横にほくろみたいにあるドレーン跡。

そしてこの度の へその縦切りと 両脇の穴のあとを組み合わせると

顔文字に見えなくもない。

 

退院後5日目(8月16日 昼前) おかえりなさい

かかりつけ医へ 16日は病院 2件

かかりつけ医へ はり姫でもらった経過報告は朝1番に提出していた

「帰ってきました」

「おかえりなさーい」

医師からも看護師さんたちからも

無事「おかえりなさーい」と

医院におかえりなさいもなんだけど、

なんでも診てもらえるかかりつけに

「おかえりなさい」と言われたら安心します。

 

はり姫のかかわった医師3人ともに

「こんなに 小さい(腫瘍 4mm)をよく見つけてもらえたね」と言われましたと報告。

 

先生は謙虚に あれは

10年以上経過観察をしている良性腫瘍(ポリープ)があったから

この度は周囲の組織を取っておこうかと思って検査に出した。

(たまたまであっても 大変ラッキーなことだったんですね。)

それが 神経内分泌腫瘍だったということ。

おかげさまで 命拾いしました。

 毎年検査。早期発見につきます。

 

退院12日後(8月23日) 減ってないやん! 小顔にして!

消化器外科 手術担当医へ

切った胃の顕微鏡検査結果を聞きに行く。

 

胃の三分の二の、開いた写真を見せてもらった。

波打った見てくれのわるい 足のないスルメイカのような形状と色でした(笑)

ちゃんと悪いとこは切り取れた。

リンパ節も28か所切り取った。

(どこに 何か所あって どんなものかしらないけど

きちんと取ってくれたらしい。)

 

そして

「え~ 体重減ってないやん!」

「いや~減ってるし

 明らかに入院前日より4キロ以上減ってるよ」

 電子カルテを覗き込む。

「あっ、それ 手術してから5日目の体重ですよ

 そこからでしたら -1キロ。」

とか なんとか

切った割には減ってないと言われてもね~

それ 日付違いますよ。

 

「お腹 見ときましょうか」

「お腹 顔文字に見えませんか?」

「小顔にしてください」

 

痩せろってことか。

はい。かなり太目だからがんばりますよー。

 

抗がん剤治療も必要なし。

 

次回は3か月後。

婦人科の検診と同じ日にしてもらいました。

 

次は「腹壁瘢痕ヘルニア」の話です。

 

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入院よもやま話 5 生かされている がんばる!

2023年08月24日 | 神経内分泌腫瘍と診断されました(2023.6.1)

 

神経内分泌腫瘍をネットで調べると

あまりよくないことばかりが書いてある。

 

私の手術説明書にも

胃神経内分泌腫瘍(遠隔転移はありません)

悪性度が高くリンパ節に転移する可能性が高い

手術されることを強く勧めます

手術を行わなかった場合

腫瘍の治療には手術療法や化学療法以外に

放射線療法がありますが

神経内分泌腫瘍の場合は放射線治療による

根治療法はありません。

 

(なんか怖いことが書いてある)

 

是非ともがんばって手術を受けていただきたいと考えています。

 

(がんばって・・とひらがなで書いてあるのが

私としてはなんか ホッとして

がんばったよな・・・なんて後から思える

術後3日は辛かった)

 

A4用紙11ページになる

合併症やリスクもかかれた説明書、

手術前夜は詳しく読む気も起きず、

退院してから読みました。

 

友人の連れ合いの死

もう5年前になるかな

友人の夫が、癌で亡くなった。

詳しいことは聞いていなかったが

私の病名は入院前に知らせた。

 

友人の夫と同じ病気で

友人は聞いたときはびっくりした。

友人の夫は、首のリンパが腫れて

検査しても病名はわからず

3軒目の県立がんセンターでわかったそう。

その時にはもうすでに余命宣告を受けていたそう。

 

その友人が来てくれて

抱きしめてくれた

「良かったね、切って痛い思いしたけれど

転移もなく、これから生かされていることに感謝しながら

無理なく生きていこうね」

まさに 生かされて

まだまだ しなくちゃいけないことがこの世にあるんだな。

2年前の 子宮頸ガンを初期で見つけて

手術してもらった時もそう思った。

 

なんか 使命があるんだ!なんてことを

忘れてしまわないように

神様は痛い目をさせてくれるのか・・・なんてね。

 

痛みを知る人であれ!

 

脳内に

米津玄師の M八七

シンウルトラマンの

♪~ 痛みを知る ただ一人であれ~♪が

流れて来た。

(シンウルトラマンの映画はそれ程でもなかったが

主題歌はよかった)

(なんでも音楽にひっつけるから

しんどい時に幻聴が起きるんだよ~)

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入院よもやま話 4 せん妄、幻聴

2023年08月22日 | 神経内分泌腫瘍と診断されました(2023.6.1)

手術後、HCU室にて過ごした時も

息がしにくくて 喉が詰まる状態

仰向け寝がつらくて。

喉が痛くて声が出ない

起きている時は鼻で意識的に息をしているが

寝ようとすると喉がふさがって

寝られない。

こんな状態が3晩。

麻酔を気道に入れるときにこのような副作用があるとは聞いていましたが

寝ようとすると息ができない。

横向きに寝たくても 傷がいたくてできない。

ベッドを起こして座った状態で、長い夜を過ごしました。

夜の消灯になると

昼間とは全然異なる異空間にいるような気がして

朝の5時が過ぎてしらじらと明るくなり始めたら

ちょっとホッとしていました。

 

3日目の昼。

病室の常時作動している換気扇から

なにやら 群衆がライブのあとワイワイやっているような音が聞こえてくる。

まさか換気扇がスピーカー?

 

同室の人や看護師さんに聞いても

そんなの聞こえないよと・・・

 

ああ これって幻聴?

 

幻聴って気にしないでいるのがいいみたいだけど

なんか聞こえてしまう

群衆の怒涛の声の中から

なんかラップみたいなのが聞こえる。

 

これはだめだ。

場所を変えようとトイレへ

座っていると

トイレの換気扇からも

違ったのが聞こえだした。

 

まただめだ。

病室に戻ると一時はやんでいたが

また再開。

 

そのうち

聞いたことのあるような旋律が聞こえ

混ざり、うねり

なんか 恐ろしそうな合唱曲に変化した。

 

これはあかん。

 

一旦耳をリセットしようと

スマホでお気に入りの曲を聴いてみた

お気に入りのワンフレーズを聞いただけで

それが頭の中で大きく渦巻いて次々変化していく。

気にしなけばいいのに

どんなに変化するのか

聴き入ってしまう。

音楽関係の仕事だからよけいなのか

聞こえてきたら聴音をしたくなる

自分の効いたことのあるようなないような

それでもって気持ちのわるいうなりに聞こえ始めた。

 

あんまりにもしんどいので

娘たちにラインできいてみた

この手術から三日目のころは

まだまだスマホをもって連絡する気など起きていないときでしたが。

 

ヤフー知恵袋でしらべてもらった

換気扇から人の声で「せいや せいや そいやそいや」と聞こえる。

「ノイズの音声変換は脳の補完機能により、

脳がノイズを声に変換してしまうために起きる現象」とわかり

 

幻聴は聴き入ってしまったら

どんどん脳が補完してしまう。

 

翌日 幻聴と喉がふさがるのを医師に訴えたら

「あー そんなことみんなある!」とあっさり言われて

あまりにもあっさり言われので

そんなものかいなと

4日目の夕方には聞こえなくなっていた。

体調が少し落ち着いて回復してきたのだろう。

 

途中、うわ~っ 幻覚まで見える!と思ったら

飛蚊症でした。

目の中をゴミが横切っているようなあの感じ。

前からあったのがひどくなったような。

 

喉がふさがるのは

ハンゲコウボクトウを処方された。

漢方を飲むのに それなりの水を飲まねばならない。

これを飲むのも少々勇気のいることでしたが

効いたように思います。

 

夜はもう幻聴は聞こえず

眠剤をもらって

3時間続けて眠れました。

嬉しかったです。

しかし 眠剤の副作用。

「悪夢」が。

登場人物がリアルな人ばかりで

それが、なんとも変な展開になり

夢の中で叫んでいた私。

3時間寝たけれど、夢の中の自分の叫びで目が覚めたのでした。

4日目の夜は、眠剤はもらいませんでした。

 

小さいかすれ声しか出なかったのが

このころには何とか出るようになってきました。

 

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入院よもやま話 3 早期離床と開放感

2023年08月22日 | 神経内分泌腫瘍と診断されました(2023.6.1)

 

 

鬼の修行 早期離床

手術の翌日、内臓の癒着を防ぐため

病棟廊下を看護師付き添いで歩かされる。

鬼みたいな修行だ。

まず ベッドから起き上がって座るのも苦行。

靴を履くもの苦行。

歩けって? 冷や汗たらたら、足はすり足。

点滴スタンドに 尿をためる袋をぶら下げ

もちろん 点滴もぶら下げ

背中から注入されているはずの痛みとめの袋と

心電図の小型機械はパジャマのポケットにいれ

貼り付け型パルスオキシメーターも。

おまけに 血中酸素飽和濃度が低いからと

看護師さんがボンベも引き連れてくれる。

そんないでたちで病棟内1周。

「もっと 姿勢よくすっすっと歩けますか」

「もう 1周できますか」

(あなたも お腹切って歩いてみる?)

 

「無理!」

 

だんだん減っていく開放感と喜び

手術1日目

足の血栓予防エアーマッサージがとれた

しかし 医療用の着圧靴下はまだ。

これは夜に自分勝手に脱いでしまった。

もちろん起き上がって手を使って脱ぐなんてできないから

足を使ってもぞもぞしながら

あのきつい靴下を脱いだが

その刺激で、尿管がずれて刺激するのか

導尿しているのにトイレに行きたい感覚になってしまう。

「尿管外して~」

「ダメです。夜からは外せません。外したあとの尿量管理が

夜勤ではできないので」

 

手術2日目。尿管を抜いた

重苦しいのがとれた。うれしかった。

しかし ここからがまた修行。

24時間点滴なので、当然尿量はある。

一人でトイレに行くのであります。

最初はつきそってもらって

尿管抜いたあと、正常に尿がでるか

自分で測って記録する。

紙コップを渡されたが

お腹が痛くて 尿を受け止めるところまで手が伸びないというか

かがみこめない。

それに 尿管抜いたあとなんか麻痺してそれほどでない。

 

「見られていたら嫌でしょうから出ておきましょうか」

気を利かしてくれたが

「お願い 一緒に居て」

どっちしても痛いのが最優先で看護師がいるのなんて

視界に入っていませんから。

 

自分で紙コップで測れないなら

自動で測ってくれるトイレがあるからそちらへ行きましょう。

なんと そのトイレ遠い。

あの冷や汗強行軍をしながら

とにかく その自動測定トイレに行った。

こんな便利なものがあるんだと思った。

出たのはたったの42㎖。

 

あー やっぱり 今度からは

病室隣のトイレに行くわと 決意。

 

そう トイレに行くのも入院中の大仕事。

 

手術4日目 背中の痛み止め 心電図 パルスオキシメーター、酸素マスクがとれた

とてもフットワークが軽そうな 担当医は

こまめに見に来てくれる。

9時までの夜勤の看護師が回ってくる前にきてくれて

酸素なんかもういらないと訴えると

「とろう とろう!」と医師自ら取ってくれた。

 

普通なら看護師に指示を出して日勤の看護師があとから取りに来てくれるのだが

ちゃっちゃと、とってくれてうれしかった。

酸素飽和濃度は多分93と低めだったと思う。

後から看護師が 「え?取ったの?」

「うん 先生が取ってくれたもん」

いいのよ 苦しくないし、傷は順調に治ってるみたいだし。

 

4日目の午後。

シャワー許可がでた。

え!? なんとシャワーはうれしいけど

そこまで行って、狭いところで脱いで、着て

ましてや歩いて行って・・・と自信がなかった。

「お手伝いしてもらえるんですか?」

「いいえ 介助のいらない方だからそれはありません」

そうなんだ。

ええい! がんばろう。温かいお湯で汗を流し

洗髪したら気分も変わるだろう。

シャワーもまた 入院中の修行で仕事でありました。

 

同じく4日目の夜。 夜の点滴がなくなった。

針は腕に残すが つながれていない分、うれしかった。

 

手術5日目昼。 点滴終了。 これですべてつながれていたものが外れた。

なんという開放感。 つながれたものしかわからない開放感。

 

このころには痛いながらもちゃんと座って7分がゆが食べらるようになっていた。

 

 

病院での食事

3日目昼から

重湯、牛乳、ジョア

いわゆる液体ばがり

私の胃は受け入れてくれるのだろうか

おそるおそる口にするも

まず痛くて座れないし、重湯をすくうにも右手に点滴。

ストローで飲めるジョアだけを

ちびりちびり1時間かけて飲む。

こんなの今までなら一気に飲んでいたのにね。

4日目昼から

七分がゆ

固形物のおかずに見えますが

口に入れるとすぐに崩れるくらいやわらか

 

このころからやっと写真を撮る気になりました。

 

4日目の午後から

おやつも出されました。

 

 

5日目朝

 

5日目昼

 

 

何を食べてもいいのですが

よく噛んで、胃と相談しながら飲み込む。

無理して食べて吐いたなんて話をよく聞いたから

そんなことにはならないよう努力。

それでも 食べるのがしんどくなって

いつも 出された量の半分以下した食べられませんでした。

 

6日目 昼

ごはんがだいぶ形になってきました

やはり 食べられたのは半分以下。

あまり食べられないと 点滴再開されてもいやなので

がんばって 吐き気がしないまでの

胃と相談で食べました。

 

プリンで冷や汗

4日目の午後もおやつにプリンが出ました。

この時は、慎重に少しづつ噛むように食べたのですが

6日目 2回目のプリン。

口当たりがよいから、うっかりして少し早めのペースになってしまった。

あらら

プリン一個で 冷や汗、

慎重にゆっくり食べないと プリン1個でこんなことになるんだ

吐いたりはしなかったですが。

はやく治まってほしいと胃を撫でておりました。

 

7日目昼(退院前日)

ご飯は普通。

サラダのキュウリもトマトもよく噛んで。

どれもこれもよく噛んで。

 

 

食事指導とか栄養指導はなくて

何を食べてもいいがよく噛んで、胃と相談しながらです。

 

胃が3分の1あるだけで随分といいみたいですね

全摘した人の話や

抗がん剤治療をはじめた人の話を聞くと

ほんとに 大変そうですから。

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入院よもやま話 2 痛いのとがんじがらめ

2023年08月22日 | 神経内分泌腫瘍と診断されました(2023.6.1)

 

切ったら痛い でもがんじがらめも嫌

手術して 終わったら麻酔なんてすぐ切れた。

名前呼ばれて「おわりましたよ」と起こされて

それからが痛みとの闘い。

痛いだけならまだしも、

がんじがらめが大嫌い。

 

酸素マスク 

 顔周りがうっとおしい。

 酸素入って なんか呼吸が楽なんて思えない

痛み止め

 背中に針が刺さっていて、ここから痛み止めが

 入っていくと説明されても

 ほんまに効いてるんかといいたい。

 だって数日後外してもらった際、

 ちゃぷ ちゃぷまだ何か薬液入っていたわよ。

パルスオキシメーター

 指先に挟む大きな洗濯ばさみみたいなもの。

 コロナ禍から 頻繁市場でも見かけるようになったけど

 これって 血中酸素飽和濃度がわかるっていってもね。

 うっとおしい。2年前の子宮の手術の時は

 他の指に付け替えてもいいのよ説明されたが

 この度のはなんと 薄型で指サックみたいに張り付けるタイプのもの。

 身軽なんだけどずっとついていたら嫌になる。

 96~99%あるのがいいらしいけど

 私は良くて95。

 たいてい91.とか92を推移している。

 別に苦しくないけれど、 病室に戻っても

 鼻に短いストローさしてたよね。

 あー 酸素、いらない。

点滴

 こりゃ 仕方ないな

導尿

 これも 仕方ない。 立ってトイレに行けないんだから。

 若かりし頃の外科手術で

 おしっこしたいと訴えたら 尿瓶をあてがわれた。

 これって 寝たまま、意識あるのになかなかでないですよ。

 出たいのにでなくて苦しんでいたら

 看護師さんが導尿で出してくれたことがあった。

 導尿でスッキリした記憶がある。

 

 ずっと点滴なんだから ずっと尿もでる。

 

足のエアーマッサージャー

 この度のは とても快適だったが

 それでも つながれているのには変わりない。

 2年前の また比較になりますが 子宮の開腹のときは

 すごい 音でシューシューいって

 圧力感もすごく ちょっと動かすと

 ピーピーアラームがうるさかった。

 

 血栓予防 大事です。

 

心電図用パッチ

 これは嵩が低いし気にならなかった

ドレーン

 あー 助かった。「出血がほとんどなかったので

 ドレーンはしてません。」こう説明されると

 内申、つながれるのが一つ減っただけでもうれしかった。

 腹腔鏡手術で担当医の腕もよかったのでしょう。

 またまた比較ですが 前の子宮のときは

 退院前日までドレーンが取れず

 つけたままシャワーしてましたもん。

 

がんじがらめの図は 過去記事にも書いております

 

パンツずらして パジャマはあげている

 

手術後

担当医師のみならず

夜勤の看護師

日勤の看護師

それに 手術を担当したもう一人の医師

それをそれぞれ 3回ずつぐらい

お腹を診てくれる。

その度 お腹を見せる。

 

押さえて 聴診器あてて

痛みはどう?

腸の動きは大丈夫ね

お腹の腫れはないね・・・と押さえながら 「うん?・・」なんて言われると

これは「自腹です」腫れではなくもともと(苦笑)

 

一日に何回ずらすことやら

胃なんですが

胃のあたりに3か所

それと おへそを縦切りにして

おへその両側に2か所

計 6か所 (穴が5 少し切ったのが1)

 

おへそとその両側が

とても痛いので パンツのウエスト部分にあたって

痛い。

 

だからずらしてんのよ。

「なんで 上げないの?」って言われてもね~。

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入院よもやま話 1

2023年08月21日 | 神経内分泌腫瘍と診断されました(2023.6.1)

 

 

はり姫は医療関係者の勉強機関

 

手術の説明の際に

勉強中の人が立ち会ってもよいか

救急救命士が麻酔の気管挿入をしてもよいかと聞かれる

 

もちろん断ることもできるのだけど

もう麻酔で寝てしまったら知らないこと。

それに、だれしも経験しないとうまくなれない。

承諾したら

救急救命士が、病室まで御礼とあいさつ来てくれたわ。

結果、うまくできなかったので医師が気管挿入したと

手術後数日たってから、また挨拶にきてくれた。

なんと丁寧な。

 

点滴の場所確保 これが至難の業

なんせ、血管が分かりにくい私。

どこでも刺せる所、刺してちょうだい。

利き腕はやめてほしいなんて言わないから。

前日、2人の若手看護師さんがあーだこーだと奮闘しながら

刺してくれたが、いざ手術に上がろうとしたとき

そこはもう腫れていた。使えない。

あららー 多分麻酔が効いてから

点滴をやり直してくれたのだろう。

気がついたら他の箇所だったわ。

そんなんなら 前日じゃなくても手術室で最初からやってよーと言いたいところですが

やはりこれも練習か・・・。

 

「どこでも 刺せるものなら 刺してみて」

まいど 点滴の時はこんな気持ち。

看護師さん泣かせの 血管が分からない腕です。

「ここ あるんだけどなぁ この先がなんか曲がっているしな」なんて言葉

何回も聞いたな。

大抵 点滴は右手です。

 

なんで あんただけ痛い目にあうの?

3才上の姉がいる。

退院後 見舞いに来てくれた。

「なんで あんただけいつも痛い目にあうの

私は、入院なんてお産の2回だけ」

 

世の中そんな人もいてもふしぎじゃないよね。

 

というわけで

私は幼少のころからの入院歴を数えてみた。

なんとお産を含めて14回。

改めて すごいなぁなんてね。

 

小1の心臓の中隔欠損症からスタートしている。

 

外科手術。骨をどうこうするのが3回。

お産が2回。

内臓切るのが2回。

あとは、腸炎で点滴で絶食したり

肺炎だったり 顔面神経麻痺だったり

終日点滴。それが何日もね。

 

姉といっしょに数えっこしました。

ま これ以上増えないように願うばかりです。

 

そんなこと早く言ってよ

前日入院。

4人部屋に入って、ロッカーや棚に荷物を入れました。

入院中、親族は見舞いに来てもいいけれど

でも なにも持ってきてもらわなくてもいいように

予定の10日分をスーツケースに詰めて

それを 病室で荷ほどきした。

 

そのあと、

手術後はHCU室に一泊か2泊するので

この病室に戻れるとも限らないので

最低のメガネ、タオル等だけを置いて

後は、家族に持って帰ってもらって

病室に戻ったらまた持って来てもらって下さい。

 

え~っ! 

荷物まとめるの?点滴の針が刺さってるのに。

荷物くらいまとめるけど

病院で預かってくれないの?

規則なんだって。

 

そんなん早く言ってよ。

わかってりゃ荷ほどきしないのに。

前日の夜のうちにまとめて。

手術日の朝に家族に持って帰ってもらいましたが。

財布も携帯もね。

なーんか 丸腰のなさけない雰囲気。

そりゃ 手術して1晩は全く動けなくて

痛い、つらい、眠れないのだから

丸腰でいいんだけどね。

 

結果、手術の翌朝、元の病室に戻りました。

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退院してきております

2023年08月21日 | 神経内分泌腫瘍と診断されました(2023.6.1)

しばらくブログを更新していないと

知り合いの皆様、ご心配下さるので・・。

大丈夫です。 元気に生きています。

3日手術、11日に退院しました。

 

手術までの流れを書きます。

 

7月末から 8月中は 県立はりま姫路総合医療センター(愛称 はり姫)に

お世話になりっぱなしでした。

 

どんなことがあったのか

日付順に思い出します

7月24日

6月のはじめに紹介されて

まず担当してくれた消化器内科の医師に 手術しかないと言われて

27日に消化器外科の先生のところへと予約。

 

7月26日

知らない人から家へ電話。出ないで様子見てたら

すぐに携帯に電話。

私は知らないけど 相手は私の事知ってる人だな・・・って。

そして いきなり

8月3日に手術のキャンセルがでましたので

どうしますか?

どうしますかって言われても

手術は1か月待ちとか聞いていたので

勝手に9月をレッスン全休にして

8月は胃を切ったらちょっとむりであろう

焼肉三昧でもしようかなと思っていた。

明日27日に説明を受ける医師。お返事は明日に持ち越してもらった。

7月27日

9月にレッスンを全休するより、暑くうだってなかなか練習もはかどらない

夏休み8月を全休にしようかと

手術日を8月3日に決めました。

消化器外科の偉い先生でした。

「では 胃の3分の2を切りますね。

3分の1残っていれば胃の機能はしてくれるでしょう」

あっさりとした説明を受けて

それから、心電図や血液検査や

検査をうけて

28日もエコーをとって

あわただしく準備がはじまりました。

 

あまりにもあわただしく

少々疲れましたので27日の1部と

28日のレッスンはお休み。

 

7月31日

大腸内視鏡検査。

この度の手術とは関係ないのですが

消化器内科の医師が やっときましょう。

そうでしたら やってくださいと

先日書いた 痛い痛い 大腸内視鏡検査でした。

その結果を聞きに行くのは

8月14日。

 

8月2日

前日入院。

MRI検査。

なーんかちょっと前にもMRIしたような。

直前の精査か。

中で、動ないのはもちろんのこと

寝ないでくださいねと始まったMRI。

なんと仰向けに寝かされた上をみると

きれいな景色が流れているではありませんか。

これなら寝なくていいよねと思いながら

閉所恐怖症ではありませんが

MRIの空間は苦手。自分の意思ででられないもんね。

小さい頃は押し入れに入るの好きでしたが

ここは自分からでられるもんね(余談)

きれいなVTRつき初めての経験でした。

 

そのあと

麻酔科医から麻酔の説明。リスクの説明。

お昼を食べて(普通食)

シャワー。

夕方、家族に来てもらって手術の説明。

27日に「胃を手術します」と言った医師ではなくて

若手のシュッとした医師でした。

 

へえ この先生が切るのね・・・と漠然と

説明を聞いていました。

腹腔鏡手術と開腹手術の違いも教えてもらって

腹腔鏡は、中に4Kや8Kのカメラをいれて

明るくして裏の方まで鮮明に見えるし

出血も少なくてすむそうで。

 

周辺のリンパ節も切除。

胆石が見つかったので

胃の手術の際に炎症起こすかもしれないので

胆のうも取っときましょうとなりました。

 

もう 胃も胆のうも

ついでによろしく。

痛いの1回でよいわよね。

 

いろんなリスクも説明され

もう まな板の鯉なんだから

どうでもいいやって気持ちだったかな。

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8月2日入院

2023年08月02日 | 神経内分泌腫瘍と診断されました(2023.6.1)

病室は個別エアコンでした。
自分で温度調整ができて快適。

麻酔科医の説明もうけて
アレコレ、リスクを聞くと
少々疲れました。
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めちゃ痛いの 大腸内視鏡検査

2023年08月01日 | よしなしごと・日々のつぶやき

 

記憶のある限りでは

大腸内視鏡検査は過去3回以上している。

同じ病院で。

いずれも、少し気持ち悪いくらいで

痛みはなく、静脈鎮静剤もすすめられたことはなかったし

憩室もあると言われたし

ポリープも取った。

 

大腸内視鏡検査は実際カメラを肛門から挿入される処置より

朝から2リットルぐらい飲む、まずい下剤の方が苦しかったくらいだ。

 

それがですね

 

今回のはり姫での大腸内視鏡検査は、

検査予約の問診の時に、鎮静剤の有無を聞かれたが

過去の経験から無しを希望。

 

痛かった。腸からもう一度お産をするのかと思うほど。

「鎮静剤を希望しないから ところどころ痛いのは我慢してくださいね」

ベッドに寝て 静脈に生理食塩水の点滴をはじめてから

そんなこと言われた。

 

えっ?痛いの?

 

考える間もなく始まった

痛い 痛い。

「憩室があるから痛いです」

そんなこと言われても前も憩室あります、で検査している。

 

陣痛なら周期があるし痛いのを逃がす方法も知っている(ま あまり効果は感じなかったが

酸欠にはならない)

でもこれは突然、グイッとグググーとグネグネくる。

「ため息をついてくださいね」と言われた

そうだ ため息ではなくて

痛い時は息を吐く

お産の際の短足呼吸だな。

40年ぶりにお産の感覚を味わった。

この痛み 陣痛経験者ならわかってくれると思う。

子宮は2年半前に全摘しているから

腸から出産か?(ちょっと笑える)

 

検査技師なのか医者なのか

検査開始前に名乗ってくれなかった

大きい病院はこんなんなんか

専門の分業ができていても

なんかひどい。

 

全開は主治医がしたから誰だかわかっていた。

 

名乗れよ! そしたらこの人のからの検査は絶対嫌だと

次の機会に断れるのに。

 

モニターがみたいから

鎮静剤無しを希望したのに

モニターも見れない位置に寝かされている。

こんなに 痛いからポリープでもあって

引きちぎっているかなとさえ思った。

 

「前は 他の病院ではこんなに痛くなかったけど・・」

私ははっきりつぶやいた。

今からでも鎮静剤打ってほしい(無視された 当然か)

今度するときは鎮静剤希望するわ。おおきくつぶやいた。

 

何度、腸お産の陣痛を味わったか。

痛くて数えてられない。

 

途中、「カメラ交換!」と指示があった。

なんでや カメラ交換するんや

 

多分太いカメラから細いのに変えたのだろう。

 

後で思うに 太いカメラは通りにくかった?

最初から細いのにしといてよ

 

カメラを交換されて また挿入。

まら痛いんか!と覚悟した。

いつまでかかってるんや。

いやいや 詳しく診てくれてるんや。

いろいろ 思いめぐらせていると

「一番奥まで 届きましたから」

一番奥ってどこ?

「盲腸です」

左の直腸から右の盲腸までの

長い道のりを太いのでは無理だったのだな。

カメラを交換されてから 我慢できる痛みだった。

 

そんなとこまで(盲腸まで)診て下さってありがとう

一応例を言った。

 

「前の検査も盲腸までみてもらったはずですよ」

冷たく言われる。

そんなこと知るか!

 

あとで調べたら、大腸は盲腸までらしい。

そのあとは小腸。

 

検査終了。

「何もなかったですよ」

えっ? ポリープのなかった

なにも取らなかった

良い結果のはずなのに

なんでうれしくないんだろう。

 

長い長い時間に感じられた。

鎮静剤無しだから、終わったら歩いて

車にのってすぐ帰る手筈が

どうにも 腸から出産の大腸検査で

歩く気も起きない。

 

控えで15分休ませてもらった。

 

帰り道

一人で我が腸の反省。

 

うん 確かに私の腸は太っている

皮下脂肪も多いが 内臓脂肪も多い。

(前の病院の医師にも指摘されている)

そして2年半前の子宮と卵巣摘出の際

腸も一旦、出してまた納めているはずだから

腸内地図が変化して さらに曲がりくねっているかも。

しかし 癒着はないと CTやMRIで確認されている。

手術後、本当に腸がグルグル大きな音でなりだしたから

やはり 前の大腸内視鏡の時から経年と子宮手術で

色々変化しているのだろう。

 

大腸の曲がり角を通過しにくいから

痛い!

今度、する機会があったら

どこの病院にもかかわらず鎮静剤を希望しよう。

 

これって お産を経験していない夫なら

気絶してるよ・・て言いたいところだが

あの人は、大腸内視鏡ってしたことあったっけ?

 

とかなんとか いいつつも

絶対、検査する人の技量もあると思うよ。

 

あ-‐ こんな状態で

3日後には胃を切るんか

気、重い。

 

すべては 神様にゆだねよう

 

そんな気になるな。

 

ここで 神様 仏様登場!

 

では また

 

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