Piano Music Japan

シューベルトピアノ曲がメインのブログ(のはず)。ピアニスト=佐伯周子 演奏会の紹介や、数々のシューベルト他の演奏会紹介等

グルダは真実のみを語るのか?(No.1854)

2011-05-09 23:08:07 | 作曲家兼ピアニスト・グルダ(1930-2000)
 ここで冷静に「平均律全曲録音」してから「Message from G」までのグルダの「公式録音」を追って見よう。

Friedrich GULDA 1973-1978 Complete Solo Recordings



  1. 1973.05 "Das Wohltemperierte Klavier" Vol.2 MPS, MPS Studio Stuff "A" Steinway


  2. 1977 Mozart Sonata K.331 & K.333,amadeo, producer=Rudolf MRAZ, Ton und Technik=Josef KAMYKOWSKI, Stuff "B", Bosendorfer


  3. 1977.12-1978-01 "The Complete Musician GULDA" amadeo, producer=Rudolf MRAZ, Stuff "B", Schubert, Debussy, Ravel=Bosendorfer, Beethoven, Bach=Steinway, Stuff "B", Wien Studio Polyhymnia Austrophon-Studio


  4. 1978.09(release 1990) Mozart Sonata K.570 & K.576, Fantasie K.475, Munchen(?)(Perhaps Gmunden), Steinway, Stuff "C"


  5. 1978.10.12 "Message from G"(GULDA) Steinway, Stuff"C"


  6. 1978.10.13 "Message from G"(Mozart K.397,K.475,K.570 & Debussy) Bosendorfer, Stuff "C"



 これも「世界初公開」だ。しかも、いろいろと問題のところだ(爆

 とにかく「音」を聴いてほしい。私高本が "A" "B" "C" と区分けした「音」がはっきり違う。"A" は信じられないほどの近接マイクの音。フォルティッシモの際、立ち上がりが捉え切れていない。"B" は、カミコフスキーが「完全な音楽家グルダ」に名前を出すのを拒絶した逸話が初版日本盤に高城氏の解説で暴露された。何でも「グルダが勝手にマイクを近づけ過ぎた」のが原因だとか(爆
 MPSの録音が身に付いていたんだろうねえ。音はベーゼンドルファーインペリアルとスタインウェイDの特徴をうまく捉えている録音である。

 "C"録音スタッフは、リリース以来誰一人誉めなかった録音。かつて私高本も「大して良くない」と明記した記憶あり。改めて聴くと

  1. 第1夜(1978.10.12)の冒頭から、「クラヴィコードをマイク&アンプで拡大しまくり」


  2. グルダのアナウンスがピアノに被さって来る!



がとても聴きづらいが、「ピアノソロ」は極めて良い録音だった。う~ん、録音スタッフも困ったことだろう。私高本が依頼を受けていたら逃げていたかも知れない(爆
 右スピーカから高音が、左スピーカから低音が出る設計で、右手がやや強い。まさに「グルダのタッチ」がそのまま再現されている。10月12日のスタインウェイDの華やかな音と、10月13日のベーゼンドルファーインペリアルのたっぷりした低音がホールトーン豊かに収録されている。「グルダライブの最高の音」である。(ピアノソロに関して)
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グルダは真実のみを語るのか?(No.1853)

2011-05-08 22:50:37 | 作曲家兼ピアニスト・グルダ(1930-2000)
MPS"Mozarrt complete recordinds" を検索すると、迷宮入りする。私高本も1度迷宮入りしたからなあ(爆
グルダも相当に迷ったようだ。ここで「意表のデータ」を出す。世界初!

Friedrich GULDA MPS recording staff member



  1. 1972.04, 1973.05 "J.S.Bach Das Wohltemperier Klavier" Producer=Hans Georg BRUNNER-SCHWER, Recording engineers=Willi FRUTH, Rolf DONNER, Piano tuning=BECKER


  2. 1978.10.12-15 "Message from G" Producer=Friedrich GULDA, Recording engineers=Reinhard HABERFELLNER, Ernst MACK



"Message from G" は(世界各国の)初プレス以外は再プレスされたことが無い「幻のLP」だから、1980年以降にグルダファンになった人は「中古LP」を買う以外に入手法は無い。なぜ、グルダともあろう大ピアニストの、しかも「生前のグルダ最大の自慢演奏会」ライブ録音(「グルダの真実」に自慢がたっぷり掲載されてます!)がこんなことになってしまったのか? その原因が「世界初公開」の上記のメンバー表である。

1978.10 "Message from G" では、原盤権がグルダに移り、録音技術者を一新してしまった


ことを意味する。これには、ブルンナー=シュヴェル は怒っていたことだろう。怒っていたから「プロデューサーを降りた」が順序のように思える。「何に」怒ったかと言えば、「モーツァルトピアノソナタ」をリリースさせなかった上に、録音スタッフ陣のやり方にグルダが口を出したことだろう。グルダは「オレ様の芸術的な音をMPSの連中は、収録することができない」と感じたからだ。1969年にMPSスタジオが出来た時には意気投合していた2人はいつの間にか、全く違う道を歩み始めていた。これは、グルダにとってもブルンナー=シュヴェルにとっても基盤を失う道だった。1969年には新婚気分が抜けきらなかったグルダは、1975年には既に当時の妻=ユーコ・グルダ と別れていた。誰も止める人がいなかったのだろう。
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グルダは真実のみを語るのか?(No.1852)

2011-05-07 13:39:12 | 作曲家兼ピアニスト・グルダ(1930-2000)

グルダが「モーツァルトピアノソナタ全集」録音を急いだワケ



  1. グールドが「モーツァルト全集」を完成してしまった 1974.11.09録音完了


  2. ブレンデルが「モーツァルトソナタ集1枚目」を開始した(1975.05録音)上、「モーツァルト協奏曲5枚目」録音済み(1975.12)



 グールドのソナタ全集はとんでもない演奏揃いである。K.331第1楽章のテンポ設定の異常さが最も有名だが、どのフレーズをとっても「モーツァルトらしさ」が無い。さらに

グールドはライナーノートに「後期モーツァルトは、ウェーバーやフンメルの方向に向かって行って失敗した」と明記


 こんなシロモノがドイツ語盤も含め世界リリースされちゃったのである。(私高本が最初に入手したのはドイツプレスLPだった)「後期協奏曲」で理想の名盤を収録したばかりのグルダの怒り様は並みでは無かったことだろう。グールドは「コンサート引退」直後から「モーツァルトソナタ全集」を録音開始しており、「バッハに次ぐ大プロジェクトだった」のである。
 「狂ったグールド」がカナダで暴論を吐きながら狂演しただけで頭に来ている時に、

「ウィーンで周回遅れで走っていた」ブレンデル(「グルダの真実」記載)がいつの間にかロンドンに引っ越してフィリップスから協奏曲全曲録音で、グルダよりもリリース枚数が多くなってしまった


ことも頭を抱えた。マリナー指揮ロンドンの室内管弦楽団が伴奏だったが、メジャーレーベルから次々出てくる様はかつて同じフィリップスからリリースされた「ヘブラー盤」とは全く違った手応えだった。しかも

ブレンデルは「モーツァルト + ベートーヴェン + シューベルト の3点セット」全集を信じられない速度でリリース中


していた。グルダには「マリナークラスの指揮者で、しかもヴィヴァルディ辺りを弾くのに最適な室内オケとの共演盤」と言うのは耐えられないことであったが、かと言ってブレンデルが確実な足取りで録音を続けているのも脅威であった。

GULDA, BRENDEL, GOULD



  1. GULDA 1930 born, 1947 DECCA debu recording, 2000 died


  2. BRENDEL 1931 born, 1952 Everest debu recording, 2008 farewel


  3. GOULD 1932 born, 1955 CBS debu recording, 1982 died



 グルダ は誰がどう見ても「世代のトップ」を走っていたハズだった。作曲やジャズ演奏に時間を食っていたので、レパートリーはそれほどは広くは無いが、「バッハ、モーツァルト、ベートーヴェン」では間違い無くトップ、のハズだった。「エベレスト」なんてレーベルは誰も記憶していないのでは無いだろうか?(爆
 ブレンデルは、 Everest - SPA - Vox - Vanguard - Philips とレーベルを渡り歩いた。DECCA と録音したのは、「歌伴奏」の1枚(ヴェヒターのシューマン「詩人の恋」)だけでグルダとは「格が違う」と思っていたのに、ヒタヒタと来てしまった。


「グルダのモーツァルト」は2タイプあり、『楽譜通り』タイプと『装飾音満杯』タイプ


 過去に2曲だけ録音していたが、K.310 は楽譜通り、K.545 は装飾音満杯であった。協奏曲では、K.467,K.595 は1回目は装飾音満杯で、2回目は楽譜通りであった。グルダは才能豊かなのでどちらでもOKだった。だからこそ悩んだ。
 "the GUDA MOZART tapes II"(DG 4777152) のパウル・グルダの解説を読むと、どうも 1975-1982 に「グルダ モーツァルトソナタ全集」は録音されたようだ。 
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新国立劇場オペラ「バラの騎士」批評 続編(No.1851)

2011-05-06 19:15:36 | 批評
 本日は、第1836号 の続編である。

 新国立劇場「バラの騎士」は、東電と日本政府の無能さが原因で日本が放射能垂れ流し状態になったため、来日中止がソロ歌手と指揮者に相次いだことから「キャスト大巾変更」を余儀なくされた。来なかった方に罪は無い。東電と日本政府を恨む。
 このような事態が起きた時のために、「カヴァー歌手」「副指揮者」と呼ばれるメンバーが新国立劇場オペラ クラスになると必ず控えている。「バラの騎士」公演だけに控えているのでは無く、「全公演に控えている」のである。お間違いないように。
 舞台上での不測の事故に起因する怪我、急病、過労 などが「主な想定対象」であるが、今回のような「大量発生」もあり得る。1週間くらい台風が猛威をふるって、日本の主な飛行場が離着陸できなくなっても似たような状況は起こり得る。また放射能を東電が垂れ流す危険性の方が高いかも知れない(爆


カヴァー歌手は「本番キャストが降板する」のを虎視眈々と狙っている


 当たり前過ぎることだが、ここに改めて書いておこう。「カヴァー歌手手当」がいくらだかは私高本は全く知らないが、「本番手当」とは雲泥の差(天地の差?)であることは間違いないし、そんな金銭のことよりも

世界の超一流ソリスト陣と新国立劇場オペラの大舞台で共演できる「芸術的な高み」と「栄誉」


の方が大切だ。
 その時に脳内で設定していたのは、おそらく「自分のカヴァー役以外は全員当初の豪華キャスティング」だった、と推察される。私高本が声楽的才能があって、かつ運が良くて「新国立劇場オペラカヴァー歌手」になっていたら、まず間違いなく考える方向だ。
 ・・・で、東電と日本政府の放射能垂れ流しの結果は、「指揮者変更」に留まらず「ソリスト歌手4名が来日中止」となった。内、元帥夫人だけは(事情通に拠ると新日フィルからの交渉で)大物ソプラノが来てくれることになった。しかし、「オクタヴィアン」「ゾフィー」「ファーニナル」が全員「カヴァー歌手」になってしまった。「カヴァー歌手」にとって「想定外」だったことは間違いないだろう。つまり、「自分以外は世界級歌手で自分だけが代役」の設定がこの3役に関しては違う状況での本番を迎えてしまったのである。しかも、本番指揮者の来日もぎりぎりまで遅れて、「当初の初日 = 4/7 が飛んだ」ほどであった。私高本の座席チケットも飛んだ(泣
 そこまでの犠牲を払って、指揮者=沼尻竜介 の多大な協力も得て、「バラの騎士」公演は開幕に漕ぎ着けられた。

  1. オクタヴィアン = 井坂恵


  2. ゾフィー = 安井陽子


  3. ファーニナル = 小林由樹



 この3名のおかげで聴けたのである! 演技は堅かったが声は通っていた ゾフィー の安井陽子。 声も演技もスマートだった小林由樹のファーニナル。この2人は「バラの騎士」全体像がはっきり掴めていた。だが オクタヴィアン = 井坂恵 は全体像が全く掴めていなかった。 この差は埋めがたいほど大きい。公演プログラムに書いていた「池田香織」で次回は(カヴァーを)実行してほしい。井坂では全く「全体像を掴めていなかったから」である。池田で聴いたら、もっと怒っているかもしれない。しかし、聴いて見なければわからない。「井坂恵」はこの大役にはふさわしくなかった、ことだけが残る。


 「誰がカヴァー歌手だったら、より良い公演になったのか?」 それは全くわからない。聴いていないからだ。公演時に「カヴァー」と書かれていた池田が最有力だろうが、他にも有力なメゾ(アルト)は多い。「カヴァー歌手は、カヴァーできて当たり前」が原則なので、この辺りは「新国立劇場オペラ制作部」が真剣に考えてほしい。


 ここからは、私高本の独り言である。「大隅智佳子がオクタヴィアン歌っていたら」と思う。普通想定しないわな > 大隅はソプラノだし。

 しかし、「低音の魅力」が大隅以上の歌手って言われても、若手&日本定住 の女声では思い起こすことが出来ない。基本的に「カヴァー歌手」にはなり得ない! と言うこと。それから、大隅の名前を出したので思い出したところでは、「ゾフィー = 大隅」だったら、もっと良かったかも知れない。(良くなかったかも知れない。)この辺りは聴いてみないとわからないのが、実際のところである。それから、「ゾフィー = 老田裕子」だったら、どんな舞台になったのだろうか? これも聴いて見なければわからない。関西在住の若手は、こんなところにまで「マイナスの十字架」を背負っているのだ。
 私高本は「希望のソプラノ = 大隅智佳子 & 老田裕子」なので、是非是非「活躍の場」を広げて欲しい! と切望する。大隅と老田が主役だったオペラ公演の素晴らしさは、これまでに無かったほど感銘深かったからである。「マリア・カラスの伝記」などを読むと、時間はそれほど多くは残されていないように感じるから。


 ちなみに「2ちゃんねる」に、新国立劇場オペラ「コジファントッッテ」が発表された。壮絶な変更だが、これが決定しているならば、チケット飛ばないよな(爆

http://toki.2ch.net/test/read.cgi/classical/1303695664/77

コジ降板→代役
指  揮     :パオロ・カリニャーニ →ミゲル・A.ゴメス=マルティネス
フィオルディリージ:アンナ・サムイル →マリア・ルイジア・ボルシ 
デスピーナ     : エレナ・ツァラゴワ →タリア・オール
フェルランド    :ディミトリー・コルチャック→グレゴリー・ウォーレン

 この配役ならば、制作部は相当に努力してくれたことに感謝する! 何で「2ちゃんねる発表」なの?(爆
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1850号に達したか!!(No.1850)

2011-05-05 22:44:12 | その他
1996年の12月に創刊した"Daily Classiacal Music Critique in Tokyo" が装いを変えて "Piano Music Japan" に変え通算1850号。よく続いたモノだ(爆
普通に考えて、頭か体かカネに異常をきたして壊れていて当たり前。「頭も体も無神経で、カネ勘定が出来ない」が原因で続いたのかも知れない(爆
 明日以降も頑張って発行します。よろしくご愛読のほど、お願い申し上げます。
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ハワード「リスト大全集」CD99枚組が来た!(No.1849)

2011-05-04 13:00:51 | CD&DVD 紹介&批評
標題のCDを受け取った。過去に受け取ったCDで最大枚数か? 「ルビンシュタイン大全集」と双璧だ! 半分くらいは既に持っていたのだが、今回思い切って「全集」を購入した。新たに入手したCDは全部聴く予定。いつ完了するのかは全く不明。「人生をリスト大全集録音に賭けたハワード」の結晶は、きちんと襟を糺して聴く。全部聴いたら批評を掲載するつもりである。(いつになるかは全くわからない量だ!)
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新国立劇場バレエ「アラジン」批評(No.1848)

2011-05-03 20:20:13 | 批評
 2年前に「世界初演を東京で行った」上、大成功を収めた、と評判の「アラジン」を聴きに行った。実は私高本は

新国立劇場バレエは、チャイコフスキー3大バレエ + プロコフィエフ2大バレエ しか、ビントレー芸術監督就任以前は聴きに行ったことが無かった


が実績。理由ですか?

初代&第2代の新国立劇場バレエ芸術監督が、ストラヴィンスキー3大バレエ も ラヴェル「ボレロ」「ラ・ヴァルス」「ダフニスとクロエ」も10年以上に亘り1回も上演しなかったから


である。これマジです!


稀代のインプレサリオ = ビントレー を芸術監督に招聘出来た新国立劇場バレエ


  「ビントレー」の名前は、バレエに興味が薄い私高本も何となく知っていた。新国立劇場バレエのチャイコフスキー3大バレエとプロコフィエフ2大バレエの振付はしたことが無かったので、新国立劇場バレエ「カルミナブラーナ」(振付日本初演)「アラジン」(演目世界初演!)の案内を「アトレ」で見ていた記憶が残っている。他には、「コヴェントガーデン王立バレエ」来日公演のチラシに「ビントリー」の表記で掲載されていた。今回英語の綴りを1文字づつ追って同一人物と理解できた。なぜ、表記が違うのかは謎だ(爆
 過去2名の「新国立劇場バレエ芸術監督」は私高本は全く興味が湧かなかった。上演演目の問題が最大である。他の在京バレエ団が上演しているストラヴィンスキー3大バレエくらいは(1演目だけで良いから)上演できて当たり前! と常々思っていたからだ。作曲されてから、ほぼ100年も経過しているからなあ。
 そんな折、昨年10月「ペンギン・カフェ」を聴きに行った。プログラムタイトルに ストラヴィンスキー「火の鳥」が無かったので直前まで気付かず、「アトレ」11月号を読んであわててチケットを購入した記憶あり。初日まで1週間を切っていたにもかかわらず、どの日もガラガラで座席が選べたことも(オペラでは珍しいので)新鮮だった。会場は半分くらいの入り。2日目10/28の公演批評 を書いてあるので興味ある方はご覧下さい。


 「アラジン」は3年前の世界初演が人気高く、今回の再演も「ペンギンカフェ」のような入りではなく、95%の入り。聴衆の心を掴んでしまったことがわかる。
 幕が開くと色彩感豊かなアラビアの市場! 音楽もアラビア風で快速なテンポが心地よい。次から次へと色とりどりの人々が現れてくる様はチャイコフスキー「くるみ割り人形」を思い起こさせるほど情緒豊かだ。第1幕だけで

  1. 昔々のアラビアの市場


  2. 砂漠への旅


  3. 財宝の洞窟


  4. アラジンの家


  5. 王宮の外



と場所がめまぐるしく変遷するのだが、音楽もバレエも途切れる感触なく、次から次へと続いて行くのには感心! どうも過去の名作バレエを研究しているだけでなく

古典派名作交響曲の楽章構成やテンポ設定も研究して構想を練った作品 → 「アラジン」


に感じる。ゆっくりと歌い上げるフレーズもあるのだが、不必要に伸ばさず(私高本の耳には、一流とは言い難いバレエ作品は長過ぎる作品が多い)さっとアレグロのフレーズに移行する。いろいろと奇抜な「煙から人出現」「宙吊り」なども鮮やか! 出てくるキャラクター設定は意表を突く面白さ。「竜」は中国か日本のような気もしたが「日本の聴衆へのサービス」なんだろう、多分(爆

指揮=マーフィー、アラジン=八幡顕光、プリンセス=小野詢子、マグレブ人=トレウバエフ、ランプの精=吉本泰久 全員が素晴らしい出来


であった。

「音楽作り」は全て指揮者マーフィーに任されていてソリストがテンポに食いついて行く、を徹底


が功を奏した。第1幕、特に第1場で主役アラジン=八幡 が遅れ気味だったが、マーフィー は全く手綱を緩めなかった。相手役や脇役陣は「テンポはマーフィーの棒!」がはっきり認識できたであろう。八幡 も第1幕後半以降はきちんと食い付きができていたことを明記しておく。さらに特筆したいのは

東京フィルハーモニー交響楽団 と 新国立劇場バレエ「コールドバレエ」 がこれまでよりも良かったこと!


を挙げておく。「世界初演して、大評判を取った アラジン再演」と言うことで「意気」が格段に高かったように感じる。ストラヴィンスキー3大バレエ世界初演時の「バレエ・リュス」のような感触なのだろうか?


 新国立劇場バレエは「振付師」としてだけの ビントレー を芸術監督に迎えたのではなく「インプレサリオ 兼 芸術監督」として招き、狙いは見事に命中した。来シーズンも ビントレー が「新制作」でオープニングを飾る。これはもう目を離せなくなってしまったではないか!
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グルダは真実のみを語るのか?(No.1847)

2011-05-02 21:41:18 | 作曲家兼ピアニスト・グルダ(1930-2000)
 グルダは、1975年にミュンヘンから、オーストリアのしかもウィーンからそれほど遠くない ヴァイセンバッハ(Weißenbach) に引っ越す。グルダの根拠地変遷は以下の通りである。

Where Friedrich GULDA live?



  1. 1930-1966 Vienna


  2. 1966-1968 Zurich


  3. 1968-1975 Munich


  4. 1975-2000 Weißenbach



 細かな「市内の移転」はわからん。離婚問題がいろいろと絡んでいる、とは思う。私高本も同じ問題で引っ越し経験あるからなあ(爆
単純化すると、

オーストリア → スイス → 西ドイツ → オーストリア(全て当時の国名) にグルダは居住した


となる。
 1975年の「オーストリアへの帰還」は「ウィーンフィルとの共演録音の大成果に気を良くした」のが相当に大きな原因だった、と考えられる。「守旧的なウィーン」とあれほどまでに(口汚く)攻撃したオーストリアに9年ぶりに戻って来たことは、オーストリアのグルダファンにはとても好まれたことだろう。「これで、グルダが元のようにクラシックに戻って来てくれるかも!」の期待も含めて。
 ある意味、グルダは期待に応えた、「ウィーンフィルからの連続録音を断られた」にも関わらず。「ジャズ」の録音を(3年の短期間ではあるが)断った。しかも「オーストリアの財産=モーツァルト」に集中的に取り組んでくれていた、協奏曲もソナタも。オーストリア国民も期待した「グルダのモーツァルトピアノソナタ全曲録音」は着々と進行するか? に見えたのだが、大きな壁が立ちはだかってしまったのである!
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