詩人PIKKIのひとこと日記&詩

すっかりブログを放任中だった。
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「格差」とはー正確には「不平等」ではないのか?

2008年05月05日 | 政治
2006年7月、OECD(経済協力開発機構)は日本に対して「日本は異様な格差(不平等)社会になっている」という経済審査報告書を提出した。

具体的にはー「ジニ係数(所得や資産の分配の不平等度を示す数値)が、すでにOECDの平均以上になっているだけでなく、相対的貧困率が先進国のなかで最悪のアメリカに肉薄しつつある。とくに、子供のいる家族の相対的貧困率は、アメリカをすでに抜いている。さらに独り親(母子家庭)の相対的貧困率はアメリカを大幅に抜いて世界で突出している」と指摘されている。

日本の首相はというとー
「格差のどこが悪い?」と言ったらしいけど・・格差とは不平等と同じ意味だ。「不平等のどこが悪い?」という苦労知らずのお坊ちゃん世襲政治家たちは、憲法違反のみならず、われわれの血税から膨大な報酬をもらいながら、職務放棄ではないのか?自分たちはぬくぬくとその特権階級的な恩恵を受け続けながら・・

政治や政治家の最低限の仕事とはー
憲法にうたわれた人権の擁護や不平等の解消、そしてなによりも、富の再配分機能ではないのか?

どうしてかと言えば、弱肉強食&貧富差が増す一方のの市場システムにまかせていては、経済格差・不平等は際限もなく増大してゆき、ついには国・社会が成り立たなくなってしまうというのは、もう百年も前から言われ続けていたことだ。そしてそのためにこそ、国による富の再配分機能が必要なのだと!

平等にも二種類ある。機会の平等と結果の平等と。日本では機会の平等は世界最悪だ。最初からスタートラインが違っている。世襲議員等のコネや富裕層の子息は、ゴール直前からスタートし、差別された低学歴者・女性・高齢者・転職者・フリーター等はゴールのはるか遠くに位置付けられる。そして生活も不可能な200万円以下の年収へと追い詰められてゆく。これからますますその方向へと。

結果の平等もそうであって、エリート天下り官僚たちは、二重・三重に手厚く保護された退職金法律によって膨大な退職金を手に入れては優雅な天下り遍歴を楽しむことになっている。我々の血税で・・、