おはようございます。久々のあやかし@おばはんです。本日横浜は春いちばんが吹き荒れ、雨が窓ガラスを叩いています。
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早い人で40歳~の10年間、遅い人で50歳~の10年間、(この数値は前の記事と若干ずれているんじゃあなかろうか?確認作業はまだしていない。)この間に誰でも自分の人生に迷いが生じる。この間に様々な試練のようなものが訪れ、それによって自分のそれまでの生き方を考える、もしくは変えるようになる。(と言われている。)
難しいと思うのは、おそらく20数年連れ添った夫婦の間に価値観のずれが生じたときだと思う。夫婦の生活というのは、お互いになのか、どちらか一方なのかはよくわからないけれど、我慢の連続であるのだろうと想像する。
お互いに、自分(が・は) ex 我慢してきたのに・・・頑張ったのに・・・正しい)、などと言っているうちは、もしくは思っているうちはうまく回っていかないのだろうと思う。
夫婦の意見が一致しない時は、子育てに影響がでると思う。仕事にかまけて( という言い方は失礼だとも思うけれど)仕事で家をあけることが多かった企業戦士のうちはどうも子育てに欠陥が生じているように思う。( ワタシの周りだけかも知れないけれど・・・)
まあ”欠陥が生じている”という言い方をしたけれど、再び子育てを考えるきっかけを与えられたと言う方が正しいのだろう。何か事が起こったことをきっかけに再びやり直せばいいのだ。人生は何度だってやり直せる。(と思いたい。)
マンマミーヤの子育てに関する一連の様々な出来事には、相当神経をすり減らし体力気力ともにへとへとに疲れたけれど何とか落ち着いてきた。
何より 子育てに対話は必要だと思う。
何もこれは子育てに限ったことではない。社会(ex会社)においても対話路線は必要だ。( しかし全員一致などということはあり得ない。どのような力かはわからないけれど、いずれにしても力の強いもの(勢力)が生き残るのだ。しかしながら急激だったり強引な形での決定には反発もでて、いずれ会社が崩壊していくことだってあるかもしれない。)
夫婦の間にも対話は必要だと思うけれど、話合いをしたからといってお互いの考え方や価値観は変わらないのではないか?とこのごろ思うようになった。
夫婦はお互いの領域を侵さない。ということの方がうまくいく場合だってあると思う。
父や母達の生き方を見て、自分たち夫婦の生き方を考える。良いところをとり、変えた方が望ましい点は変える。目の前に先を懸命に生きてきた先達のお手本があるわけで、そこを見て、意見を聞いて、自分たちの、この人生の転換期を乗り越えていかなくてはならないのだろうと思う。
100組の夫婦があれば100通りの生き方があるんだ。よそ様の夫婦を羨んでもせんないこと。
ワタシは家庭内の子育てにおいて、本当に自分が悲鳴をあげ苦しんでいるその時々に一番欲しいサポートはなくて、最終的な大変な問題の解決は全部自分が背負ってきたように感じてきた。(つまり人と人の魂のぶつかり合いのようなこと。)
しかしながら、社会で働いてお金を頂いてくるということは大変なことで、子育てにおいて、金銭面での心配がないということはそれだけでも十分に感謝すべきことであるのだろうと思うようになった。
そういった意味での分業(=女はうちにて子育て、男はそとにて仕事)は子育ての一番の王道ではないかと思う。
子供たちは、父の生き方考え方、母の生き方考え方、その両方を見て自分の生きる道、方向性を考えればよいのだと思う。
++++
++++
今週 占いの仲間との勉強会で、Hさんのあり得ないくらいの手厳しいというか、びっくり発言があった。こちらも相手の星をある程度知っているので、あ~そういうふうな出方をするんだな。というようにも感じた。
で、この4日間、いろいろ考え反省もしたけれど、この先も恐らく共に学んでいくわけなので、大切にしたい仲間ではあるけれど、ちょっと勉強会はスルーすることにした。
ワタシは、神様なのか仏さまなのか、ご先祖さまなのか、守護霊さまなのか?わからないけれど、自分にとって、痛い発言・行為をする人は、その人を通してメッセージが届けられていると思うんだ。つまりは相手の人は、自分の姿を反映していることがある。
自分にとっての忌神( いみがみ )という言い方もするのかな。その人の発言の痛いけれど、良いところを取って自分に生かすことにした。
++++
学び ++++
1、Tさんからいただいたご意見は「 読書が いいんじゃあない?」ということだった。これはすでにスタートさせていたので その通り。穏やかな言い回し。
2、起ってきた様々な出来事を、自分の中で温める時間を持つ。何でもかんでもおしゃべりしない。特に愚痴のような発言は聞き苦しい。
Hさんはとても強い人で、自分が苦しかったことは一切口にしないらしい。だからどのような人生を送ってきたのかは理解ができない。ちょっと自分のストレスを発散しているのかな?とも思えた発言の仕方にとまどった。
しかしながら・・・
本当に強い人は、苦しかった経験を”やさしさ”というオブラートに包んで発言をすると思うので、この点に関してはワタシは変化させたいと思う。つまりは、ズパッと切り捨てるような発言の仕方をするのはワタシ以上。これは、様々な苦しかった出来事を完全には消化していないあらわれなのだと思う。おそらく気もちに余裕がないのだ。まあ そのままの人格という言い方もできるかもしれないけれど・・・。
3、すざまじい状況の長男の嫁を乗り越えたUさんが、帰り道気を使ってフォローしてくださった。ちょっとありがたい。やっぱり力より暖かさよね。
実はその両方が、人生においては必要なのだと思う。アメとむち。出会う人々からその両方を受取りつつ、こころに響いたものをとり、自分が自分を動かしていくことだと思う。
いつだったかな~ 川崎大師でであった、手をけがした浮浪者の人がワタシに告げた
「 せ・い・か・ん 」は、 おそらく 「 静観 」であったのだとわかった。
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まころんとうさん、おたよりありがとうございました。こちら一日家事&勉強(うん十年ぶりの英語なんぞもあったりで)やったら、つかれましてございます。
お返事明日にでも~~。おやすみなさ~~い!
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_sup.gif)
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早い人で40歳~の10年間、遅い人で50歳~の10年間、(この数値は前の記事と若干ずれているんじゃあなかろうか?確認作業はまだしていない。)この間に誰でも自分の人生に迷いが生じる。この間に様々な試練のようなものが訪れ、それによって自分のそれまでの生き方を考える、もしくは変えるようになる。(と言われている。)
難しいと思うのは、おそらく20数年連れ添った夫婦の間に価値観のずれが生じたときだと思う。夫婦の生活というのは、お互いになのか、どちらか一方なのかはよくわからないけれど、我慢の連続であるのだろうと想像する。
お互いに、自分(が・は) ex 我慢してきたのに・・・頑張ったのに・・・正しい)、などと言っているうちは、もしくは思っているうちはうまく回っていかないのだろうと思う。
夫婦の意見が一致しない時は、子育てに影響がでると思う。仕事にかまけて( という言い方は失礼だとも思うけれど)仕事で家をあけることが多かった企業戦士のうちはどうも子育てに欠陥が生じているように思う。( ワタシの周りだけかも知れないけれど・・・)
まあ”欠陥が生じている”という言い方をしたけれど、再び子育てを考えるきっかけを与えられたと言う方が正しいのだろう。何か事が起こったことをきっかけに再びやり直せばいいのだ。人生は何度だってやり直せる。(と思いたい。)
マンマミーヤの子育てに関する一連の様々な出来事には、相当神経をすり減らし体力気力ともにへとへとに疲れたけれど何とか落ち着いてきた。
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何もこれは子育てに限ったことではない。社会(ex会社)においても対話路線は必要だ。( しかし全員一致などということはあり得ない。どのような力かはわからないけれど、いずれにしても力の強いもの(勢力)が生き残るのだ。しかしながら急激だったり強引な形での決定には反発もでて、いずれ会社が崩壊していくことだってあるかもしれない。)
夫婦の間にも対話は必要だと思うけれど、話合いをしたからといってお互いの考え方や価値観は変わらないのではないか?とこのごろ思うようになった。
夫婦はお互いの領域を侵さない。ということの方がうまくいく場合だってあると思う。
父や母達の生き方を見て、自分たち夫婦の生き方を考える。良いところをとり、変えた方が望ましい点は変える。目の前に先を懸命に生きてきた先達のお手本があるわけで、そこを見て、意見を聞いて、自分たちの、この人生の転換期を乗り越えていかなくてはならないのだろうと思う。
100組の夫婦があれば100通りの生き方があるんだ。よそ様の夫婦を羨んでもせんないこと。
ワタシは家庭内の子育てにおいて、本当に自分が悲鳴をあげ苦しんでいるその時々に一番欲しいサポートはなくて、最終的な大変な問題の解決は全部自分が背負ってきたように感じてきた。(つまり人と人の魂のぶつかり合いのようなこと。)
しかしながら、社会で働いてお金を頂いてくるということは大変なことで、子育てにおいて、金銭面での心配がないということはそれだけでも十分に感謝すべきことであるのだろうと思うようになった。
そういった意味での分業(=女はうちにて子育て、男はそとにて仕事)は子育ての一番の王道ではないかと思う。
子供たちは、父の生き方考え方、母の生き方考え方、その両方を見て自分の生きる道、方向性を考えればよいのだと思う。
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今週 占いの仲間との勉強会で、Hさんのあり得ないくらいの手厳しいというか、びっくり発言があった。こちらも相手の星をある程度知っているので、あ~そういうふうな出方をするんだな。というようにも感じた。
で、この4日間、いろいろ考え反省もしたけれど、この先も恐らく共に学んでいくわけなので、大切にしたい仲間ではあるけれど、ちょっと勉強会はスルーすることにした。
ワタシは、神様なのか仏さまなのか、ご先祖さまなのか、守護霊さまなのか?わからないけれど、自分にとって、痛い発言・行為をする人は、その人を通してメッセージが届けられていると思うんだ。つまりは相手の人は、自分の姿を反映していることがある。
自分にとっての忌神( いみがみ )という言い方もするのかな。その人の発言の痛いけれど、良いところを取って自分に生かすことにした。
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1、Tさんからいただいたご意見は「 読書が いいんじゃあない?」ということだった。これはすでにスタートさせていたので その通り。穏やかな言い回し。
2、起ってきた様々な出来事を、自分の中で温める時間を持つ。何でもかんでもおしゃべりしない。特に愚痴のような発言は聞き苦しい。
Hさんはとても強い人で、自分が苦しかったことは一切口にしないらしい。だからどのような人生を送ってきたのかは理解ができない。ちょっと自分のストレスを発散しているのかな?とも思えた発言の仕方にとまどった。
しかしながら・・・
本当に強い人は、苦しかった経験を”やさしさ”というオブラートに包んで発言をすると思うので、この点に関してはワタシは変化させたいと思う。つまりは、ズパッと切り捨てるような発言の仕方をするのはワタシ以上。これは、様々な苦しかった出来事を完全には消化していないあらわれなのだと思う。おそらく気もちに余裕がないのだ。まあ そのままの人格という言い方もできるかもしれないけれど・・・。
3、すざまじい状況の長男の嫁を乗り越えたUさんが、帰り道気を使ってフォローしてくださった。ちょっとありがたい。やっぱり力より暖かさよね。
実はその両方が、人生においては必要なのだと思う。アメとむち。出会う人々からその両方を受取りつつ、こころに響いたものをとり、自分が自分を動かしていくことだと思う。
いつだったかな~ 川崎大師でであった、手をけがした浮浪者の人がワタシに告げた
「 せ・い・か・ん 」は、 おそらく 「 静観 」であったのだとわかった。
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まころんとうさん、おたよりありがとうございました。こちら一日家事&勉強(うん十年ぶりの英語なんぞもあったりで)やったら、つかれましてございます。
お返事明日にでも~~。おやすみなさ~~い!
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