この3社は、それぞれの分野でそれなりの評価を受けていたのに、なぜ、不祥事をお起こしたのか? 神戸製鋼のは、材質の強度にかかわる問題で、後の2社のは、製品の最終検査で、問題のありようは違う気もするが、設計検査、ざいしつ・材料検査、部品検査、組み立て検査、構成検査、など数々の製品が出来上がるまでの過程とそれに伴う検査を行ってきているから、最終段階ではそんなに工数を掛けなくてもよいと考えたに違いない。
これに対して、プレジデントという雑誌社が京セラ、KDDI,Jalの経営危機を救った稲森さんの「考え方×能力×熱意」を引用しながら、問題を追及していた。
能力や熱意に関してはこの3社については全く異論がない。そうなると稲盛さんが指摘しているように、問題は、「考え方」となる。「能力」と「熱意」は0点から100点まであるが、「考え方」はマイナス100からプラス100点まであるという。どんなに「能力」や「熱意」があっても、「考え方」がマイナスなら、それらを「成功の方程式」として掛け合わせた結果、大きなマイナス点になってしまうということなのです。
この「考え方」のプラス・マイナスを測る尺度のひとつに「目的と目標の違いを理解しているかどうか」があります。不祥事を起こす企業は、経営陣や社員が「目的」と「目標」を取り違えていることが多いのです。
「目的」というのは何のためにその会社が存在するかという「存在意義」です。「目標」はその通過点や達成具合です
その違いをきちんと把握していれば、このような不祥事は起こらないはずだという。たとえば、どの会社にも共通してある「存在意義」の筆頭は「良い商品やサービスを提供し、社会に貢献すること」ではないでしょうか。これは取って付けた見せかけのスローガンではなく、実際これなしには会社というものは成り立たないのです。ピーター・ドラッカーは「独自の商品やサービスを提供する」と言っていますが、これも「社会に貢献する」意識がベースにあります。
企業の「存在意義」は、もうひとつあります。
それは「働く人を活かし幸せにすること」だと私は考えています。社会は、人を幸せにするために存在しており、その社会の一員である企業も、当然のことながら、そこで働く人たちの物心両面での幸せを提供することが存在意義であるはずです。そして、多くの企業では、この内容を自社の言葉で、ミッションやビジョン、理念として掲げています。
一方、売上高や利益は、その「目的=存在意義」の達成度合いを表す尺度であり、これが「目標」となります。結果的に不祥事を起こす会社は、その目標が目的化してしまっているのです。とにかく、数字を上げることだけが至上命令となり、そのためには手段を選ばなくなります。東芝の不正会計の本質も同じです。
大企業だけでなく多くの中小企業では、ミッションやビジョン、理念を掲げていますが、それらが「建前」となっていて形骸化している企業は、私が見ている限りでは業績も芳しくありません。その建前を本音で成し遂げようとしている企業が、やはり強いのです。