人間は、考える「あっし」である。
あっしは、めえーにち愚にもつかねえー事ばっか、けんげえーておりますだ。 あっしーたー、あっしのことよ。
「あっし思う、ゆえにあっしあり。」こちらはデカルトさんよ。
パスカルさんは、こう言いなさった。
「人間は一本の葦にすぎない。自然のうちで最も弱い葦にすぎない。しかし、それは考える葦である。」
人にも良し、悪し あるつうんで、葦(あし)のこと、よし とも言うんだってさ。
この葦は、一本の管のようなもので、「葦(よし)の髄から天井覗く」って言うから、やっぱりパイプになってるのさ。こちらの諺は視野の狭いこと言うらしいが、インターネットのおかげで、視野は広くなっただよ。
元に戻って、人間も一本の管と言うか、葦と同じでパイプなんだが、曲がりくねってチューブのような管なんだ。変な話、のどから肛門までの管で出来ているのが人間と言う生き物だ。
その管の長さ、腸管だけで七メートルもある。
曲がりくねっても、いろは坂のようでもなく、折り畳んで丸めてうまく腹に収めてある。これを真っ直ぐに伸ばすと七メートル、長さは葦の比ではない。
そこでパスカルさんは、人間は葦である。考える葦である。と、くだをまいたとか。
そこで、あっしは考えた。 「人間 生きて行くには、おあしが大事だよ」。