内閣府は、21日「世帯類型に応じた高齢者の生活実態等に関する意識調査」の結果を発表した。
「独居高齢男性 地域で孤立」。「親友なし」41%女性の2倍。(22日 読売新聞2面)
かって働き蜂だった男性は、つり仲間とか、ゴルフ付き合い、カラオケ仲間、飲み友達などのサークルにも入らないで孤独の人も多い。
爺と婆の比較で行けば、婆(女性)の方が、たむらして勝手にタウンミーティングしている(やらせでなく)。昔から井戸端会議は、お手の物。
そこえ、いくと爺(男性)は、お互いにけん制しあって容易に付き合いのきっかけがつかめない。
昔の某ビール会社のCMで、「男は黙って○○ビール」と言うのがあった。男らしさの象徴、三船敏郎だったと思う。
男は寡黙をもって良しとした。爺になっても孤高を貫く頑固者だ。
バスツアーも女性の団体様、街のコーヒーショップも5、6人のグループで占拠する。家事や子育てから解放されたばばさま方は、羽をのばして、趣味やショッピング、ツアーに繰り出す。
一人暮らしの爺は、マンションの一室に入ると近所付き合いもなく、「隣は何をするひとぞ」になり、秋深しをしみじみ味わうしかない。
今思うに、昔の爺さんは、隠居さんで隣近所はもとより、在所中行き来していた。
自分は小さい頃、おばあさん子で過ごした。(父母は戦前中国へわたっていたので) 祖母のことは以前このブログで紹介したが。(06・7・21介護予防は快娯から その1)
祖母は未亡人の婆だったので、近所の爺たちが、気楽にお茶のみに来た。
大きな火鉢と、四角い ちゃぶ台を囲み、さながら爺サロンであった。
から茶で一服、皆さん煙管と煙草入れで、きざみ煙草をキセルにつめては火鉢の火でつけて、ぷかぷかふかし、とり止めのない話をして帰った。 それだけの気晴らしで、婆と違って嫁の悪口を言うでなし、たまに祭りの団子餅を食べるくらいであった。
現代も、居場所のない爺のサロンを開くママさんいれば救われるか。
今日の「爺問題」でした。