ぽかぽかと行きましょう

急がず、後れず。自分の歩幅でぽかぽか行くようなブログです。

哲学の道

2006年12月07日 | 一行法師

今日は、暦の「大雪」、薄曇の中に真綿暈しの太陽が白い光の輪にぬけている。

その白い輪のなかに、黒い機影がすっぽり入って、今日も羽田を発つ飛行機が北に向けてゆく。

さて、降りる人の少ない駅の東口の、はじめての信号から、国道に出会う信号までの一キロ余の農道が、私の為だけにある「哲学の道」である。

道々 哲学するわけではないが、ここの自然が私を癒してくれる。

四季の花鳥風月のすべてがある。  なんとも贅沢な道である。

文学的素養を持ち合わせないゆえに、表現に事欠くのが、もったいない。

入り口から、少し入ったところから六,七本の桜の樹が並んでいる。春は桜の花やこぶしの白い花 、今どきは桜もみじも散り果て、山茶花の生垣がつづく、ややあって葱畑。その向こうは照葉樹のこんもりとした森や林。

中ほどの紅葉もなかなかの景観を呈する。

何千坪の梨畑は、今は黄金色の葉も落とし、つくつくと枝が空に向け伸びて休んでいるが、春になると真っ白な花が一面に広がる。

も、めじろ、うぐいす、もず、ひよどり、尾長、セキレイ、つぐみと里の鳥が、多く見られる。ときに、こじゅけいの親子が道を横断する。

空を仰ぐと おおとりの、渡り行く雁行もみられる。

木枯らしにはじまり、寒く冷たい雪もある。

そして、この師走のもきれいだった。

都(みやこ)の「哲学の道」も、多くの人が好んで逍遙するが、私は京の真夏の盛り、汗たらたらと駆け抜けて、途中の茶店で冷たい掻き氷の一杯が無上においしかった。無粋な東男とお笑いめさるな。

やはり鄙には、鄙の「哲学の道」が、似おとおるで。 のう。