『あざみの歌』は まだ歌えますか

泣いて、笑って、歌って介護!!そんな日常の過去の記録と
新たに今一度自らを見つめてぼちぼちと戯言なりを綴ります。

記憶

2010年01月19日 04時27分18秒 | 日々の出来事
15年か・・・。
震災から15年目の節目の年と言う事で今年は特番も多かったように思う。
時折手を止めて、画面を見入りながら様々な事が頭を過ぎった。

我が家は神戸からは遥かに離れている。
それでも、あの時の地鳴りと回転するような揺れは初めて経験するものだったし
背の君の部屋のスチール製の本棚は全て斜めに傾き扉を塞いだ。
建物の外壁は所々剥がれ落ち、中階層の家では玄関扉が開かなくなったし
高階層では食器が床に散乱し冷蔵庫が転がったそうだ。
学校の校舎の一部の窓ガラスが割れ、古い住宅の屋根瓦が落ちて
しばらくはビニールシートをあちらこちらで目にした。

揺れが収まってすぐに付けたテレビ画面に一瞬だけ映ったのは、東海地震の文字。
ここでこれだけ揺れたのだから東海関東はどうなってるんだと凍りついた。
その画面は数秒で消え、近畿地方の地図が出たのだけれど・・・

オヤジさんと連絡が取れたのは3日後・・・10年ぶりにまともに喋った。
親戚、友人、知人の全ての無事を確認するのには1週間以上かかった。
TVでは毎日犠牲者のお名前が流され続ける。
そこに友人の名前がないかを探し、無い事にほっとすると同時に
これだけの方々が亡くなっておられるのだと震えが止まらなかった。

それから数日、ドラッグストアから衛生用品が姿を消し、
簡易ガスコンロの類はどこを探しても見つからなかった。
沢山の人たちがリュックに水や食料を詰めて神戸へ向かった。
背の君も自転車のパンク修理の道具も一緒に詰め込んで何度か通ってた。
そして「何でこんな事が・・・」と多くを語らなかった。

病床にあった義兄が、自分が建設に携わっていた現場を心配して
ベッドに括りつけられている事を嘆いていたっけ。



そう、あの年は・・・
桜吹雪の中で義兄を見送って、おっかさまは二ヶ月程我が家に居て
「あの子は夢も見せんもんね。」と毎朝目を真っ赤にしてた。
そうして親不孝にも次男坊の背の君は、夏の終わりに異国へと旅立った。

普段はすっかり忘れているのに
人の記憶と言う物は何かのきっかけに突然鮮明に蘇る。
その時体で感じた事があたかも現実に起きているかのように
事細かに隅々まで思い出せるものなのだな。



大きな災害に会わずにこれまでを生きて来た私には計り知れない痛みや苦しみ。
突然に家族を失われた方々の悲しみは決して消え去る事はないのだ。
改めて黙祷を捧げた1月17日でありました。










コメント (2)
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