『あざみの歌』は まだ歌えますか

泣いて、笑って、歌って介護!!そんな日常の過去の記録と
新たに今一度自らを見つめてぼちぼちと戯言なりを綴ります。

毎年思う事がある

2010年08月16日 04時50分07秒 | おもひでばなし
同居していたひぃばあちゃんが亡くなったのは、高校2年の秋だった。
仏壇の引き出しに大切にしまってあったのは、木の名札のようなものと一枚の葉書。
ひぃばぁちゃんの息子が戦地から両親に宛てた最後の葉書。
写真でしか知らないその人の文字はとても綺麗だったのを覚えている。
海軍の兵隊さんだったので、どこかの海に今も眠っておられる。

戦死の知らせと共に遺骨の代わりに届けられたのが木の名札だったとか
その辺りの事は一度だけ親戚のおばさんに聞いた事があるけれど、
写真で見る限りまだ若いその人の事を 他には誰も教えてはくれなかった。
几帳面な文字が並んだその葉書は四分の一は墨で塗られていた。
正確に表現すると、墨は薄く剥がれて所々の文字が読み取れるようになっていた。


検閲されて消された文章。
消された文字を読み取ろうと、かみそりで必死で墨を削った母。


ひぃばぁちゃんは明治の生まれ。かなり厳しいお姑さんだったようで
かぁちゃんは事あるごとに泣いては私に愚痴るので
私は小さい頃から、ひぃばぁちゃんには否定的なイメージしかなかったのだけれど、
88歳で亡くなる数年前には、当時で言う脳血栓で倒れ、記憶障害も徐々にひどくなり
私の事を自分の孫だと思っていたらしく、オヤジさんの名前で呼ばれる事もよくあった。
あるとき、珍しく早く家に帰った父が、ひぃばぁちゃんの部屋の前を通った時
彼女は大きな声で我が子の名前を呼んだ。
泣きながら、何度も何度も「帰ったんか?生きとったんか?」

ひぃばぁちゃんもまた、戦争に子供の命を持っていかれた沢山の母親の一人だった。
何十年も息子の帰りを待ち続けていた母親の一人だった。


8月15日になるといつも思い出す。

私もまた戦争を知らない世代である。
けれど、我が子がどこでどうなって帰れなくなったかも分からず
手紙の分を他人に読まれて墨で消されるような
一つ一つの命が尊ばれない世の中には決してなってはいけない、してはいけない。

今もどこかの国々であるいは民族で、それぞれの正義を振りかざし、
その美名の元に捨てられる命が後を絶たないのは何故なんだ。



・・・と、終戦の日にいつも思う。
・・・終戦の日にしか思い出す事がない・・・思う事がない。

・・・それほど、今の私は幸せなのだ。
・・・自分の生き方を選んだり悩んだり出来るほど幸せな時代に生きているのだ。














コメント (2)
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