国際情勢の分析と予測

地政学・歴史・地理・経済などの切り口から国際情勢を分析・予測。シャンティ・フーラによる記事の引用・転載は禁止。

12月13日のベルギー消滅架空情報報道は、来年の独仏国家連合形成の予兆か?

2006年12月18日 | 欧州
臨時ニュースで「北部が独立」 ベルギー消滅架空情報 言語圏の対立火に油(西日本新聞) - goo ニュース 2006年12月17日(日)10:10


 【パリ16日井手季彦】「北部のフラマン地域が独立し、ベルギーは消滅しました」‐ベルギーの公共放送RTBFが流したこんな架空ニュースが、かねて同国内で深刻な北部と南部の2つの言語圏の不和に、火に油を注ぐ形となっている。

 偽情報は13日夜、通常番組を中断して臨時ニュースとして流された。人気キャスターが、フラマン政府が独立を宣言したと述べ、「国王アルベール二世はベルギーを去り、コンゴ民主共和国に向かった」と報じた。また、北部から南部への鉄道に多くの市民が乗ったり、新しい国境で身分証明書を提示しなければならなくなったことなどを伝える映像を流した。

 ニュースは30秒程度だったが「フィクションでした」という表示が出たのは約40分後で、RTBFには問い合わせが殺到。放送を見ていた同国のフィリップ皇太子は青ざめたという。

 ベルギーは北部のオランダ語を話すフラマン地域、南部のフランス語を話すワロン地域、首都ブリュッセルの3地域政府と、ドイツ語も加えた言語共同体政府で構成される連邦国家。半年後に連邦議会選挙があるうえ、フラマン、ワロン両政府への権限配分見直しも予想されており、架空ニュースは両地域の敵対心をあおることになった。

 フラマン地域の一部の政治家は「クリスマスのエープリルフールだ」と大喜びしたが、フランス語の放送局だけに「ワロンの市民をフラマンに敵対させるために仕組んだわなだ」という見方も。一方、ワロン地域の市民は「ベルギーの結束の弱さを試した」と怒る。RTBF側は「悪ふざけではなく、議論を巻き起こすことを目的としたものだった」としている。





「ベルギー北部が独立」 公共放送が架空ニュース(朝日新聞) - goo ニュース 2006年12月15日(金)00:42

 北部オランダ語地域と南部フランス語地域の不和がめだつベルギーで、公共放送RTBFが13日夜のテレビで「北部フラマン地域がベルギーからの独立を宣言した」との架空のニュースを放送した。RTBFは「議論のため」としているが、約2600件の問い合わせが放送局に殺到する騒ぎになった。

 午後8時20分からのルポルタージュ番組の開始直後、臨時ニュースのかたちで「国王が国を離れた」「ベルギーはもはや存在しない」などと放送された。突然できた「国境」に路面電車が阻まれたり、ブリュッセルにある北大西洋条約機構(NATO)本部が警戒態勢に入ったなどとする映像も流れた。

 「これはフィクションです」との表示が出たのは30分後だったこともあり、RTBFのサイトはアクセスが殺到して接続できなくなった。







●ベルギー ウィキペディア

・歴史
ベルギーという名称は古代のベルガエ族に由来するといわれるが、一般にベルギーと言われるようになるのは18世紀以降である。

中世にはブルゴーニュ公国領となり、現在のオランダとともにネーデルラントと呼ばれた。アントワープはヨーロッパで最も富裕な都市であった。やがてハプスブルク家の支配下に入り、同家がスペインとオーストリアに分かれたときはスペイン領(1519年 - 1717年)となった。プロテスタントのオランダはハプスブルク・スペインの支配に対して独立戦争を起こし、ウェストファリア条約で正式に独立が認められたが、カトリックの南部ネーデルラント(現在のベルギー)はスペインの支配に留まった。

スペイン継承戦争の後、オーストリアが獲得したが(1713年 - 1793年)、フランス革命戦争でフランス軍に占領され、カンポ・フォルミオ条約によってフランスに併合された。1815年のウィーン議定書ではオランダ王国に編入される。しかしオランダ人の支配を嫌い、1830年革命が起こり、翌年イギリスなどの承認によりドイツ貴族(ザクセン・コーブルク・ゴータ家)レオポルトが立憲君主となった。これが現在のベルギー王国の起源である。1839年、オランダはベルギーの独立を承認し、ルクセンブルク大公国の領土から西半分(現在のリュクサンブール州)がベルギーに割譲された。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%AB%E3%82%AE%E3%83%BC





●6/16逮捕のイタリア旧王家当主はフリーメーソン関係者?英国王室含むゴータ家に飛び火?
http://blog.goo.ne.jp/princeofwales1941/e/6b9caf1acee9a4fcbe713bc4bb07f556






●スコットランドの分離独立と独仏両国の国家連合形成が引き起こす近未来の欧州情勢の激変
http://blog.goo.ne.jp/princeofwales1941/e/6aeff8646a978bb7ecda1850cbb7f56e







●TGV東線の地図







【私のコメント】
 ベルギーは国民の約6割がオランダ語を、約3割がフランス語を話すとされており、両地域の間の格差を含め対立が存在する。今回のニュースが単なる冗談と受け取られなかったのは、地域対立の深刻さを示していると思われる。フランス革命期にはベルギーはフランスに併合されていたし、ブリュッセル郊外のワーテルローの戦いでは多くのフランス系ベルギー人がナポレオン軍に参加したとされる。北半分がオランダ系、南半分がフランス系という人工国家が維持されたのは、フランスを強大化させないこと、ドーバー海峡の対岸をフランスに支配させないことを国際金融資本=英蘭の支配階層が希望したからであると思われる。

 ベルギー王室はドイツ貴族のザクセン・コーブルク・ゴータ家に属し、19世紀半ばのビクトリア女王の夫がこの家系の出身であることから現在のエリザベス女王と親戚である。国際金融資本とも非常に深い関係があると思われる。昭和天皇などの日本の皇族が頻繁にベルギーを訪問していたのは、国際金融資本との連絡という意味合いもあったのだろう。

ベルギーの連邦議会選挙は2007年6月24日に予定されている。フランスの大統領選挙は2007年4月22日と5月6日、フランスの国会議員選挙は6月10日と6月17日(共に投票が2回行われる)である。これらの選挙を通じて、来るべき世界システム崩壊の衝撃から欧州を守るためにフランスとドイツの二大国を中心とする欧州大陸の国家統合が進む可能性がある。ベルギーの分裂がもし起きる場合は、分裂後のフラマン語共同体とワロン語共同体がそれぞれドイツの州やフランスの地域圏と同様の地方自治体となり、独仏連合国家に吸収されることになるだろう。

6月10日に予定されているフランスのTGV東線(パリ東駅~メス付近)の開業は、ドイツ語圏とフランス語圏の境界地域であるアルザス・ロレーヌ地域とパリの間のアクセスを飛躍的に改善するが、これはこの地域に独仏国家連合の首都を建設する計画を意味している様にも思われる。スコットランド議会の選挙も5月3日に予定されており、その結果次第では英国の分裂と縮小が起きうるだろう。北イタリアがイタリアから分離して独仏国家連合に加盟することも考えられる。来年の後半には、欧州は現在の独仏英伊の四大国体制から、人口一億数千万人の独仏国家連合+イタリア・イングランド・ポーランド・スペインの四つの衛星国という体制に変化する可能性があり得るだろう。ベルギー消滅架空情報はこの欧州の激変の予兆として報道されたではないかと想像する。
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