そして相手の反応が好ましいものか否かによって、へりくだったり無礼になったりして見せた。そういう態度の差があまりにも明け透けだったので、友人たちは彼の髭の様子を見るだけで彼の懐具合を押し当てるのだった。しかしこうした経験が積み重なって行き、彼が今までに受け取った額を合計してみると、その総額にいささか怖れの念を抱かずにはいられなかった。そして、これほどの金をくれるとは自分の親戚は相当な金持ちに違いないと思うに至った。そうなると彼は自分の出生や幼少期に関する謎に頭を巡らし始め、友人たちを驚嘆させようと考えた。彼らが信じやすいのをいいことに、自分はイギリスの大貴族であり貴族院議員の息子として生まれたのだと自分に言い聞かせ、とてつもない金持ちだと信じるようになった。彼が借金取りたちに、自分の父親は卿であり、いつの日か自分の負債のすべてを支払いに来てくれる筈だと話したとき自分でも半分それを信じていた。
しかし不幸にも彼の父親はやって来ず、来たのはかのパターソン氏からの手紙で、次のように書いてあった。
『あなた様に不測の事態が生じた場合に備え、相当な額の金子を私はお預かりしておりましたが、あなた様からの再三にわたっての催促に応じ、そのすべてをお送りしてしまいました。もはや一サンチームも残っておりません。これをもちまして私への委託は完了いたしました』
『これよりは新たに請求なさいましても無駄とご承知置きください。こちらから返信はいたしません。今後は決められた手当以上には一ペニーたりともお受け取りになれません。その手当はあなた様の年齢の方には十分すぎる額であると私は愚考いたしております……』
これは棍棒の一撃を頭に喰らったかのようであった。どうすればいいか? パターソン氏がこの決意を翻すことはないであろうということは彼にもよく分かっていた。それでも彼は二、三通泣き落としの手紙を送った……が無駄だった。
彼の金欠状態はそれまでにないほど差し迫ったものになった。債権者たちは行動を起こし始めた。証紙を貼った書類がアパルトマンの管理人の上に雨霰と降り注いだ。四半期毎の手当てはまだ当分先だった。公営質屋だけが、いくばくかの金を得る手段だった。
彼は破産が目の前に迫っていると察した。馬車を手放し、『ナントの火消し』の所有権を売る羽目に陥り、気の利いた友人たちに対し面目を潰すことになるのだ。彼の絶望は測り知れなかった。そんなある朝、召使が彼を起こしに来たとき、ド・コラルト子爵が非常に緊急の要件で話がしたいといって小サロンの間で待っている、と告げた。11.16