そのときまでは四半期に一度、五千フランをあなたにお渡しするよう、命じられております。これがそれです。三か月後に同額をお送りいたします。送る、と申しますのは、私にはイギリスに仕事がありましてそこに留まらないといけないのです。これが私のロンドンの住所です。もし何か不測の事態が生じましたら、そのときは私に御一報ください。これをもって私に与えられた任務は終了です。ではご機嫌よう!」
「ふん、悪魔にでも食われっちまえ、頓馬なじじい!」 パターソン氏が出て行った後ドアをばたんと閉めるとウィルキー氏は呟いた。 「シャイヨ修道院へでも行きゃがれ、目障りなんだよ!」
十年間彼の親代わりを務めてきた男からの、おそらくこれが最後という別れの言葉を告げられたとき、彼の心に浮かんだのはこれだけだった。つまりこのとき既にウィルキーという若者がかなり強烈な個性を持ち、現実にそうなるかどうかは別にして、通常の分別を遥かに越える可能性のある男であったということを示している。彼は高等学校で受けたすべての教育を受け付けなかったが、教師たちが教えなかったいろんなことを身に着けていた。彼がつるんでいたのは裕福な親を持つ劣等生たちで、彼らは外出日のたびに羽目を外し、上流階級のやり方について彼に手ほどきし、『お洒落』なものとそうでないものとの区別の仕方をウィルキーに教えた。
デュリュイ氏(当時の教育相。小学校を無償の義務教育化することを提案したがナポレオン三世に反対され実現しなかった。が、世俗の女子中等教育、その他の改革を実現させた)のモットーは役に立たなかった。多くの高等学校では、パリでは特にそうだが、その時の社会の在り様を反映している生徒たちが常に底辺に蠢いているものだ。高等学校の門衛はタバコや酒類が持ち込まれることのないよう監視することはできるが、特定の生徒たちが外で仕込んでくる愚かで不健康な考えは阻止することができない。現在の悪童どもは安心してよい。後継者には事欠かないからだ。
パターソン氏の賢明な忠告はウィルキー氏の頭の中に留まることはなかった。俗に言うように、片方の耳から入ってもう片方から出て行ったのである。
彼にとり、この最後の会見から明らかになった唯一のことは、今後は彼自身が何でも決めてよいということだった。それに大金が手に入ったということ……まるで夢のように。つまり、いやこれは夢などではなく現実であり、その金はちゃんとテーブルの上にあった。ピカピカのルイ金貨で五千フラン、生きた金がもぞもぞとひしめいているではないか……。11.4