エミール・ガボリオ ライブラリ

名探偵ルコックを生んだ19世紀フランスの作家ガボリオの(主に)未邦訳作品をフランス語から翻訳。

2-IV-7

2022-11-02 09:23:11 | 地獄の生活

ウィルキーは激しく泣き叫び、嫌だと抗議した。が、この仕事を命じられ報酬を貰っていると自ら語ったパターソン氏は、彼をルイ大王高等学校へと連れて行き、彼は寄宿生となった。 その学校で過ごした何年間かは彼にとって全くうんざりするものだった。ごく並みの知能しか持ち合わせなかった彼は無為に日々を送ったので、何も学ばなかった。毎週の日曜日及び祭日にはきっかり十時にパターソン氏が彼を迎えに来、いかめしい態度でパリ市内や郊外を散策し、最上のレストランで昼食と夕食を取り、彼の欲しがる物はすべて買い与え、九時の鐘が鳴ると学校まで送るのだった。休暇になるとパターソン氏は彼を自分のもとに引き取り、娯楽を禁じることはなく、彼の欲求を察して何かと世話をしてくれたが、一瞬たりとも彼から目を離すことはなかった。ウィルキーがこの絶え間ない監視に抗議をすると、パターソン氏は決まってこう答えるのだった。「私には果たすべき任務がありますのでね」 この言葉であらゆる議論は打ち切られた。

 このように日々は進んでゆき、哲学クラス(哲学バカロレアの準備をするリセの最終学年の専攻科のひとつ。文科系のこと)を修了する日がやって来た。後はバカロレア試験を受けるのみだった。彼は試験を受け、当然のごとく落ちた。だが幸運にもパターソン氏は何らかの弥縫策に長けた男だった。彼はウィルキーをある特別な施設に入れ、千フラン札五枚と引き換えにある貧乏な青年を探し出し、この男に三年の禁固刑になる危険を冒してウィルキーの名前で替え玉受験することを承知させた。

高い金で買い取ったこの卒業資格はすべての門戸を開放してくれる筈であり、ウィルキーは誰かが自分のポケットを金で一杯に満たし、自由に飛び立たせてくれるものと期待した。だが、そうはならなかった。パターソン氏はある老家庭教師の手に彼を委ね、社会勉強及び成年男子としての振る舞いを教えるためにヨーロッパ旅行に連れて行かせた。この家庭教師が財布を握り、決定権を持っていたので、ドイツ、イギリス、そしてイタリアへと彼を連れていった。パリに戻ったとき彼は二十歳になっていた。その翌日パターソン氏はエルダー通りのアパルトマンに彼を案内し、彼は今もそこに住んでいる。その日、パターソン氏はおごそかに言い渡した。

「ここがあなたの家です、ウィルキーさん。あなたはもう自分の行動を自分で決定することのできる年齢です。あなたが誠実な生き方をなさるよう願っております。今日、只今からあなたは自由の身の上です。あなたは法律学を修めることが期待されていますので、私があなたの立場ならそれに従うでしょう。が、もしあなたが他のことをして生活の糧を得たいと思うなら、お働きなさい。というのは、はっきり警告いたしますが、あなたには頼れる人が誰もいませんので。あなたにはお小遣いが、私の意見では十分すぎるほどの額ですが、支払われます。包み隠さず申しますが、それはいつなんどき停止されるか分かりません。11.2

コメント