エミール・ガボリオ ライブラリ

名探偵ルコックを生んだ19世紀フランスの作家ガボリオの(主に)未邦訳作品をフランス語から翻訳。

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2020-09-18 08:47:09 | 地獄の生活

「単なる疑いではなかったのだ」

「ああ、それは!」

「シャルース伯爵の小間使いのマダム・レオンから聞いた確かな話だ。この年寄り女は役に立つ情報を手に入れようと、私が送り込んだのだが、マルグリット嬢を密かに見張っているうち、彼女に宛てられた手紙を一通発見したというのだ……」

「はぁ、それはそれは……」

「いや、確かにマルグリット嬢が顔を赤らめねばならないようなことは書かれていなかった。その手紙は私が持っている。明確な証拠として。しかしその手紙には、彼女よって引き起こされた感情と思われるものが披歴されている。彼女もまた同じ感情を共有していると思われる。しかし……」

フォルチュナ氏の視線は次第にじっとしていることに耐えられなくなってきた。

「私の心配の理由がよくお分かりなのではないですか……」と彼は言った。

ヴァロルセイ侯爵は激怒し、勢いよく立ち上がったので、その拍子に肘掛け椅子が倒れた。

「いいか!違うのだ!」彼は叫んだ。「違うと言ったら違う! あんたは間違っている。なぜなら、現在、マルグリット嬢が心に思っている男は破滅させられているからだ。そういうことだ。我々がここに居る間、今のこの瞬間にも、その男は一巻の終わりを迎えている。徹底的に、容赦なく。その男と私が結婚したいと思っている女性、いや私が結婚しなければならない女性との間に、私は深い深い溝を掘っておいた。どんな愛情でも埋められないような深い溝を。一思いにその男を殺してしまうよりも、その方がもっと悪く、もっと良いのだ……。死んでしまえば、その男を思って泣くことになろう……。ところが、こうなれば、どんな女も、どれほど堕落した女でも、奴から顔を背ける。恋人も愛を誓うことはしなくなる」

物に動じないフォルチュナ氏も、心を乱された様子であった。

「そ、それでは、あなたは」と彼は口ごもった。「あの計画を実行に移したのですか……いつぞやあなたが興奮して口走っていたあの計画を……私は、単なる口から出まかせだと思っていました、ただの冗談だと」

侯爵はゆっくりと頭を下げた。

「そのとおりだ」

フォルチュナ氏は一瞬凍り付いたようになったが、突然叫んだ。

「何という!あんなことを、あなたはやったのですか……貴族たるあなたが!」

興奮に身を震わせながら、ヴァロルセイ侯爵は部屋の中を無茶苦茶に歩き回った。自分の形相を鏡で見たとしたら、自分で自分のことが怖くなったであろう。

「貴族か!」彼は怒りを抑えながら繰り返した。「貴族! きょうび人はその言葉しか知らんようだな。貴族とは何だ?フォルチュナ君、君はどういう意味だと思っている? ひょっとして、人生を重々しい足取りで歩く英雄的で愚かな人間か、気を滅入らせるような襞飾りの服に身を包み自分の主義の中におさまり、ヨブのように禁欲的で、殉教者のように運命を甘受する人間か、それともドン・キホーテのように融通のきかぬ美徳を説き、自らもそれを実践する輩か?

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2020-09-17 08:36:28 | 地獄の生活

しかし侯爵の方では、何も疑わず、言葉を続けていた。フォルチュナ氏に向かって、というよりは自分自身に向かって語っているかのようであった。

「君の目には奇妙に映っているんだろうな。この私、アンジュ・マリー・ロベール・ダルボンのド・ヴァロルセイ侯爵が、父親も母親も知らぬ、ただマルグリットという短い名前しか持たぬ娘と結婚するとは。この点から見れば、この結婚は特に素晴らしいものとは言えない。それは確かだ。しかし、彼女が二十万フランの持参金しかないということが周知の事実となれば、私が自分の家名を武器に持参金目当てで結婚したと私を悪く言う者はいないだろう。それどころか、私は恋愛結婚をしたという風に見えるだろう……それで私も若返れるというものだ」

ここで彼は言いさした。フォルチュナ氏があくまでも冷たい沈黙を保っているのに苛立ったのだ。

「おい、君ね、二十パーセントの親方」と彼は言った。「君の不機嫌な顔を見ていると、君が成功を疑っているように見えるよ」

「疑いを持つことは常に必要です……」とフォルチュナ氏は哲学を論じるような言い方をした。

ヴァロルセイ侯爵は肩をすくめた。

「障害物をすべてクリアした後でもか?」彼はからかいの口調で言った。

「ええもちろん、そうですよ」

「この結婚は成立したも同然だというのに、一体何が欠けていると言うのかね?」

「マルグリット嬢の承諾が、でございます」

これはヴァロルセイ侯爵の頭に冷水をぶっかけるようなものだった。苛立った身震いが彼の全身を襲った。彼は蒼白になり、内にこもった声で答えた。

「承諾は得てみせる。自信をもって言える」

フォルチュナという男は、怒っているかどうか外からは分からない。まるで五フラン硬貨のように冷たく滑らかなこの手の人間は、無駄な感情など持たないのだ。しかし、このときの彼は顧客が愚かにも勝利のファンファーレを吹き鳴らすのを聞いて、非常に苛立っていた。彼の方では自分の四万フランとの辛い別れの悲しみを心に深く隠しているというのに。というわけで、侯爵の喜びように心を動かされるどころか、彼は今ナイフを突き立てたばかりの傷口に更にナイフをねじ込むことで憂さ晴らしをしてやろうと考えた。

「私が猜疑心を持つのは致し方のないことでございます」と彼は言った。「これはそもそもあなた様が一週間前に仰ったことに端を発しておりますので」

「私が何を言った?」

「マルグリット嬢には、その、どう言えばよろしいでしょうか、密かに思い定めた方がおられるのではないか、とあなた様がお疑いになっておられるということです」

侯爵の熱狂した表情が一変し、この上なく暗い落胆の色が浮かんだ。彼の心中に激しい苦痛が去来しているのが見て取れた。9.17

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2020-09-16 11:12:04 | 地獄の生活

「それで、進捗具合はどんなものだ?」

「お誂え向きに事は運んでおります」

侯爵は暖炉の前に再び座り直し、この上なく貴族的な無造作を装って火をかき立てるつもりだったが、うまく行かなかった。

「話を聞こう」とだけ、彼は言った。

「それでは侯爵」フォルチュナ氏は答えた。「詳しいことは省略して簡単に申しましょう。私の考えた方策により、あなた様の不動産に掛けられたすべての抵当権が二十四時間以内に解除されることになります。適切な手続きを取ることにより、その日さっそく、保管人に不動産登記原簿の写しを要求することもできます。それは、もちろん、あなた様の不動産から抵当が外されたことを証明するものです。あなた様がそれをシャルース伯爵にお見せになれば、伯爵のお疑いは、もしあればの話でございますが、一挙に晴れるわけでございます……その方策というのは、それが実に簡単なことでございまして、問題と言えば資金を調達することだったのですが、私の懇意にしている取引所外株式仲買人のところで調達できることになりました。あなた様の債権者たちは二人を除いて全員、このちょっとした操作に同意してくれ、私は彼らの承諾を取りつけました。とは言え、ちょっとお高くつきます。手数料と諸費用で約二万六千フラン掛かります」

ヴァロルセイ侯爵は身体で大きく喜びを表したあまり、思わず両手でぱちぱちと拍手してしまった。

「それでは、もうこっちのもんだな!」と彼は叫んだ。「一か月も経たないうちに、マルグリット嬢はド・ヴァロルセイ侯爵夫人となり、私は新たに一万リーブルの年利収入を得ることになるのか……」

そのとき、フォルチュナ氏が沈んだ表情で首を振るのが彼の目に入った。

「なんだ!疑っているのか」彼は言葉を続けた。「いいか、今度は私の話を聞け。昨日私はド・シャルース伯爵と二時間じっくり話をした。それですべて合意がなされ、決定されたのだ。我々は約束を交わしたのだよ、二十パーセント親方。伯爵は中途半端なことはなさらない方だ。マルグリット嬢に二百万の持参金をお付けになる」

「二百万!」と相手は木霊のように繰り返した。

「おお、そうだとも、親愛なるアラブの君、ただ、ある個人的な理由で、それが何かあの方も仰らなかったのだが、婚姻契約書には二十万フランとしか書かないように、と念を押された。残りの百八十万フランはだね、君、役場の前で手渡しで頂くことになっている。受領証はなしでだ。正直に言うと、その取り決めは素晴らしいと思うね。君も、そう思わんか?」

フォルチュナ氏は答えなかった。ヴァロルセイ侯爵の手放しの喜びようは、嘲る気にはなれず、哀れを誘った。

「可哀想に」と彼は思っていた。「この瞬間にもシャルース伯爵が息を引き取っているかもしれぬと知ったら、こうは能天気にぺちゃくちゃ囀りはしないだろうに。マルグリット嬢に残されるものと言えば美しい目だけ、失われた何百万を嘆き悲しんでいるだろう……」9.16

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2020-09-15 08:46:23 | 地獄の生活

「彼に何事か起きたのだろうか?」と彼は考え始めた。

時計の針は休まず動いており……真夜中を告げる鐘が今しがた鳴ったばかりだった。十二時半になり、ヴァロルセイ侯爵は帰るべきかどうか、思案していた。そのとき、表の戸の錠を鍵で開ける鈍い音が聞こえ、次いで廊下を急いで歩いてくる足音がした。

「ああ! やっと帰ってきた」と彼はほっとため息を吐きながら呟いた。

彼がすぐに姿を現すものと待ち構えていたが、一向に現れなかった。フォルチュナ氏はシュパンの案内で出かけたときに着ていた服で人前に出ることを好まなかったのであろう、自分の寝室に行き、普段の服に着替えたのだった。それに、彼はどのような態度を取るべきか、何を言うべきか、考える必要があった。

もしヴァロルセイ侯爵が、それはありそうなことなのだが、シャルース伯爵の身に起きたことを知らなかったら、彼に教えるべきか否か? フォルチュナ氏は教えるべきではない、と判断した。もし教えれば、それは破局を招きかねない論争を引き起こすであろう、と予測したからだが、それは尤もなことであった。きちんと考えた上で、かつ伯爵の死が確かなことと分かるまでは、関係を断ち切ることはしたくなかった。

ヴァロルセイ侯爵の方でも考え込んでいた---遅きに失した感はあったが---三時間も馬鹿みたいに待っていたのは間違いではなかったか、と。侯爵たる自分に相応しい行為だったか?面目丸潰れではないか? それにフォルチュナ氏はこのことが、自分のこの案件に対する必死さの印だと読み取りはしないか? それで要求額をもっと吊り上げたり、態度を硬化させたりするのではないか?

物音を立てずそっと立ち去れるものなら、彼はそうしたであろう。しかしそれは不可能だった。というわけで、彼は自分の面子が保てるであろうと考えた作戦を取ることにした。肘掛け椅子の中で身体を丸め、目を閉じ、眠ったふりをしたのだ。フォルチュナ氏が部屋に入って来たとき、彼は突然目を覚ました男のように跳び上がって立ち上がり、目をこすりながら言った。

「え? なんだ、なんだ?……ああ驚いた。すっかり寝込んでいた!」

しかし相手は騙されなかった。床の上に、すっかりくしゃくしゃになり、引きちぎられた新聞が落ちているのにちゃんと気がついていた。長く待たされた怒りを物語るものだ。

「ああ、そうか!」ヴァロルセイ侯爵は言葉を続けていた。「今何時だ?……十二時半だと!それなのにあんたは今現れたのか。十時の約束に!これは許容範囲を越えておるぞ、フォルチュナ君、いくら何でも無礼が過ぎるではないか!私の馬車が下に置いてあるのが分かっておるだろう。九時半からあそこに繋がれて、今頃は風邪を引いて肺炎になっているかもしれん!一頭六百ルイの馬だぞ!」

フォルチュナ氏はこの怒声の嵐を平身低頭して受け止めた。

「お許しを頂かなくてはなりません、侯爵閣下」彼は答えた。「普段の私ならあり得ないこの遅刻は、ひとえに侯爵のために外で仕事をしていたからでございます」

「おおそうだろうとも!これがおぬしの用であったら、目も当てられぬところだ!」

この軽口に自分でも気を良くして、彼は付け加えた。9.15

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2020-09-14 09:32:18 | 地獄の生活

このような考えを胸に、ヴァロルセイ侯爵は自分の公証人のもとを訪れた。あわよくば自分の協力者になって貰おうと目論んでいた。しかし、相手は侯爵の求めをぴしゃりと撥ねつけ、そのような不正な行為に協力することは出来ない、このような提案自体侮辱に近いものである、と横柄な口調で明言した。しかしその後、相手ががっくり気落ちするのを見て気の毒に思ったか、こう付け加えた。

「しかし、あなたの役に立つかもしれぬ人物を紹介することは出来ます……。イジドール・フォルチュナ氏を訪ねてごらんなさい。住所はブルス通り二十七番地です。もしあなたの結婚話に彼が興味を持ってくれたら、成功したも同然です」

おおよそこのような事情で、ヴァロルセイ侯爵はイジドール・フォルチュナ氏と付き合うようになったのだった。最初の訪問時から、侯爵は鋭い眼力で相手の男を判断した。そして自分が願ったとおりの男だと彼は思った。すなわち、慎重かつ大胆、奸策に長け、易々と法の目をくぐることにかけては名人、おまけに貪欲、そして良心の呵責に悩まされることはまずない、という。このような男を協力者につければ、破産を六か月間隠し、どんなに警戒心の強い未来の義父であろうと易々と騙しおおせるであろう。ヴァロルセイ侯爵は決断の早い男だった。彼は正直に自分の財政状態、そして結婚に望みをつないでいることを明かし、持参金からたんまり謝礼を、結婚が成った翌日に支払うことを約束する、と言って話を締めくくった。

即座に契約書にサインがなされ、早速その翌日からフォルチュナ氏は顧客の利益のために奔走することになった。彼がその企てにどれくらい身を入れていたか、どれほど熱心に成功を誓ったかを示すには、次の一事を示すだけで十分であろう。彼は自分のポケットマネーで四万フランを侯爵に前貸ししたのである。そのようなことがあった後では、侯爵は彼の協力者に対し不満など示せた義理ではなかった筈である。このやり手の男が侯爵に対しては常に卑屈なまでの恭しさを示していただけに、更に一層良い気分になっていたことであろう。

ヴァロルセイ侯爵にとって、この点は非常に重要だったのだろう。というのは、彼は益々傲慢に、益々気難しくなっていったからである。彼にはそうする資格などなくなりつつあったというのに。内心、自分自身を恥じ、自分が手を染めることになってしまった卑しい不正行為により屈辱を感じていた彼は、内実の伴わない優越感と大貴族の持つ尊大さで自分の共犯者を痛めつけることにより憂さ晴らしをしていたのである。そのときの気分次第で、彼はフォルチュナ氏を「親愛なるアラブ人」と呼んだり、「同士フォルチュナ君」と呼んだりしていたが、一番よく用いた呼び名は「二十パーセントの親方」だった。そしてそう呼ばれた相手は、それでも口元にへつらいの笑みを絶やなかったものの、彼の帳簿の「諸雑費」の項目にすべてを記帳することは忘れなかった。

フォルチュナ氏の服従は常に変わらぬものだっただけに、今彼が外出先から戻って来ないという事実は益々異常事態に思えた。約束を守るという最も当たり前の作法を忘れてしまうとは、あのように礼儀正しい男にあっては考えられないことであった。というわけで、ヴァロルセイ侯爵の怒りは徐々に不安に変わっていった。9.14

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