エミール・ガボリオ ライブラリ

名探偵ルコックを生んだ19世紀フランスの作家ガボリオの(主に)未邦訳作品をフランス語から翻訳。

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2020-09-13 09:16:24 | 地獄の生活

「十万フランをご所望とのことですがね、侯爵、五万フランしかご用意できないのですよ……このとおり。もうこれ以上はないものとご承知おき下さい。あなた様の不動産はすべて担保価値を越えた負担が掛けられています……というわけでして、これでおしまいです。あなた様の債権者たちは、おそらく後一年はあなた様を煩わせることはないでしょうが、まぁそれはあなた様への敬意です。ですが、その時期が過ぎますれば、土地財産を没収いたします。それが彼らの権利ですから」

彼は控え目な微笑を浮かべた。裁判所付属吏のように。それから付け加えた。

「もし私があなた様の立場でしたら、侯爵、この一年の猶予期間を有効利用いたします。私の申しますところをご理解いただけますね?……では、ご機嫌よろしゅう」

なんという手荒な現実の突き付け方であろう。十年以上に亙る夢のような日々の後で! ヴァロルセイ侯爵は打ちひしがれ、まる二日間自宅に閉じこもり、来客はすべて頑固に拒否した。

「侯爵はご病気でございます」と下男は訪れる人々に告げた。

彼にはこの時間が立ち直るために必要だった。特に、現実に冷静に立ち向かう力を得るために。状況は恐ろしいものだった。彼の破産は間違いようのないものであり、この悲劇からは財産のひとかけらも逃れることは出来なかった。これから一体どうなるのか? 何をすべきか? 彼は熟考してみたが何も浮かばなかった。彼は何の企ても出来なかったし、何も理性で判断することが出来なかった。彼がもともと持っていた活力は、虚栄のために浪費してしまった。もう少し若ければ、軍人になることも出来たかもしれなかった。最高位の軍人にはなれなかったであろう。アフリカに行くことになっていたかも……。しかし今となってはこの手段さえ役に立たない。そのとき、あの公証人のにやにや笑いが闇の中の一条の光のように彼の脳裏によみがえった。

「確かに」と彼は呟いた。「彼の忠告には一里ある……すべてが終わったわけではない。まだ解決法が一つある。結婚だ」

結婚してはいけない理由があろうか、金持ちの女と。彼の破産のことはまだ世間には知られていない。まだ後一年は富がもたらしてくれた特権を享受できる。彼の名前だけでも十分に値打ちがある。大商人や銀行家の中に裕福な跡取り娘がいない筈がない。自分の馬車に侯爵夫人というプレートをつけて乗り回したくてたまらないという野望を持つ娘が。それを見つけないでおくものか。

この決心を固め、練り上げてから、ヴァロルセイ侯爵は候補者を探し始めた。そしてすぐに探し当てた、と自分では思った。ところが事はそれで終わりではなかった。多額の持参金を与える側は警戒心が強く、娘の求婚者がどのような経済状態にいる男か、はっきり見極めたがり、ときには情報を集めに行くものだ。というわけで、ヴァロルセイ侯爵は自分が名乗り出る前に、有能で献身的な実業家を味方につけることが是非必要だということを理解した。彼の債権者たちの不安を煽り、彼らを無理やり黙らせ、彼らから譲歩を引き出し、一言で言うなら彼らを上手く抱き込むことが必要ではないか?9.13

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2020-09-12 08:07:16 | 地獄の生活

「いくらなんでもあんまりだ!」彼は口の中で呻った。「あやつめ、この俺を馬鹿にしてやがる」

彼は目で呼び鈴を探したが、見つからなかったので、いまいましくも自分でドアを開けて呼ばねばならなかった。ドードラン夫人が現れた。

「主人は真夜中には戻って来ると申しておりました」と彼女は侯爵のすべての問いかけにこう答えた。「でございますから、すぐに戻る筈でございます。主人ほど時間に正確な人はおりません。今しばらくお待ちくださいませ」

「そうか、では待とう。しかし、女中殿、火を入れてくれぬか。足が凍えそうだ」

実のところ、フォルチュナ氏のサロンは殆ど常に閉められているので、まるで氷河のように冷えきってじめじめしていた。おまけに、ヴァロルセイ侯爵は燕尾服に非常に薄手の外套しか身に着けていなかった。ドードラン夫人は、まるで自宅に居るかのように振る舞う、かなり厚かましい客人だと思い、一瞬ためらったが、言われるとおりにした。

「はっきり言って、帰るべきだな」と侯爵は思っていた。「そうとも、こんなところに居られるか……」

それでも彼は帰らなかった。必要は、自尊心の反乱を抑えつけるものだ。早くに両親を亡くし、二十三歳で莫大な世襲財産を手にした我儘放題のヴァロルセイ侯爵は、飢えた人間が食堂に入り込んだように、自分の人生を始めた。彼の名前のおかげで彼はテーブルの良い位置を占めることが出来た。彼はテーブルに両肘をついて座り、晩餐がどれくらい高価なものか尋ねる必要もなかった。

これは高いものについた。最初の年の終わりに、彼は自分の年収をはるかに越す消費をしたことを認めないわけにいかなかった。この調子で毎年浪費を続ければ、彼の父親が残してくれた年利十六万リーブル以上もある財産に大きな穴を空け、やがては食い潰すことになるのは明らかだった。しかし、そんな先のことを考えてケチケチすることもない。彼には時間がたっぷりあった。それに、その金と引き換えに、あらゆる分野で成功を収め、満足も得ているので、そのことで後悔することはなかった。彼は大公のような大邸宅をいくつか所有していたので、それらを抵当にいくらでも金を貸してくれる人間はいくらでもいた。最初はびくびくしながら少額の金を借りていたが、抵当の一つぐらい何でもないということに気がつくと、だんだん大胆になっていった。何と言っても主人は自分なのであるから、と。

それに、彼の欲求は彼の自惚れが肥大するにつれ、休むことなく増大していった。仲間内である程度高い評価を得る地位まで上ると、その地位を手放すのが嫌で、前年もそうしたからという理由で毎年法外な散財をするのだった。彼の厩舎だけでも年間五万フラン以上の出費であった。

彼は利子というものを払わなかったし、貸した方も要求しなかった。借金がゆっくりとではあるが着実に膨れ上がっていくものだということを、彼は忘れていたのかもしれない。支払い期日が来るたびに溜まって行き、雪だるま式に大きくなり、ある年数が経てば二倍になる、ということを。

最後の方になると、彼はもはや計算すらしなかった。自分の経済状態がどのようなものか、全く意に介さず、財産は無限にあると信じるようになっていた。金を求めて公証人のもとへ行き、彼が冷たく次のように答えるまで、彼はそう信じ切っていた。9.12

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パスカルとマルグリット 1-3-1

2020-09-11 09:02:03 | 地獄の生活

III

 

 ド・ヴァロルセイ侯爵が到着したのは、フォルチュナ氏が『高級貸し間』に向け探索に出発した直後のことであった。

「主人は出かけております」とドアを開けに来たドードラン夫人が言った。

「女中さん、あんたは間違っておるのではないか……」

「いえ、そうではございません。あなた様にお待ちくださるよう、主人が申しておりました」

「そうか、それなら仕方ないな」

命令に忠実に、夫人は客をサロンに通し、枝付き大燭台の蝋燭に火を点け、引き下がった。

「こいつは驚いたな!」侯爵は呟いた。「あのフォルチュナがわしをじらせるとは、わしに待てだと! やれやれ……」

彼はポケットから新聞を取り出し、肘掛け椅子にどっかり腰を下ろし、待った。ド・ヴァロルセイ侯爵は、その名前、資産、嗜好や習慣により、純粋とは言えない享楽と虚栄を旨とする貴族階級に属しており、この新しい風俗を表現するために『オット・ヴィー(高級な生活)』という新語が出来ていた。彼の軽薄な頭を占めていたものは、パーティ、森での遊び、競馬、劇の初演、秋の狩猟、夏の水遊び、愛人、お抱えの仕立て屋、社交界の人脈、そして馬であった。自ら馬を駆って障害物レースに出場することこそ、祖先を敬うにふさわしい武勇だと彼は考えていた。競馬騎手の出で立ちで、折り返しのあるブーツを履き、赤紫色のカザック・マントを翻し観覧席の前を通り過ぎるとき、彼はすべての人から称賛の眼差しで見られていると思っていた。彼の俗な生活とはこのようなもので、目立った出来事と言えば、二度の決闘、女性の略奪、二十六時間ぶっ続けの賭けゲーム、マルシュでの落馬で危うく命を落としかけたことぐらいであった。このような冒険は彼の友人たちの間では彼の評判を押し上げ、彼は自分ではちょっとした有名人であると大いに鼻高々であった。新聞のゴシップ欄では彼のイニシャルをさんざん利用し、彼がパリを離れれば、スポーツ紙では『保養と旅行』欄で必ずそれを報じた。

このように無駄に動き回るだけの怠惰な生活にもそれなりの気苦労や災難はあるもので、ヴァロルセイ侯爵がその生きた証拠というわけだ。彼はまだ三十三歳だったが、懸命に手入れしているにも拘わらず、少なくとも四十歳に見えた。顔には皺が寄っていたし、下男がどんな技を駆使しようと頭頂の禿げを隠しおおせることは出来なかった。マルシュでの落馬の所為で右足にちょっとした不自由さを覚えるようになり、雨の日にはびっこを引くことになった。彼の身体全体から、早くも人生に倦み疲れた様子が窺え、人目を気にすることなくくつろいでいる時など彼の目には、飽食放縦に飽き飽きした嫌悪感が現れていた。しかし、それにも拘わらず、彼にはある種の鷹揚さや、何ものによっても消されることのない気品があった。それと共に、極端な自己の過大評価を物語る高慢さと下位の者たちに命令する習性が存在していた。

フォルチュナ氏のサロンの置時計が十一時を告げ、ヴァロルセイ侯爵は罵りながら立ち上がった。9.11

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