エミール・ガボリオ ライブラリ

名探偵ルコックを生んだ19世紀フランスの作家ガボリオの(主に)未邦訳作品をフランス語から翻訳。

1-XVIII-7

2022-02-08 10:33:54 | 地獄の生活

それだけではない。彼はかなり広い交際範囲の持ち主らしく、右に左に大勢の人と挨拶を交わしていたし、通りすがりの五、六人から声を掛けられていた。

 しかしジューフロワ通りのテラスは通り過ぎなかった。彼は新聞を買い、少し戻ると、七時頃勝ち誇った様子でカフェ・リッシュに入っていった。帽子の縁に手をかけることさえしなかった。無礼な態度である。それからひどく大きな声でボーイを呼ぶと横柄な態度で夕食を注文し、ガラス格子の近くのテーブルに運ばせた。そこからだとブールヴァールがよく見えるし、自分の姿を見せることもできる。

 「さぁて、と」シュパンは独り言ちた。「お客さんはこれからお食事というわけだ」

彼自身も軽く一口どこかで口に入れたいと思い、この近くに安い総菜屋がなかったかどうか、思い出そうとした。そのとき二人の若者がすぐ近くで立ち止り、レストランの中をチラッと見た。

 「おや、ウィルキーがいる」と一人が言った。

 「へーえ、本当だ」ともう一人が答えた。「それに、奴は金を持ってるぜ。ツキが回ってきたんだな……」

 「お前、そんなことが分かるのか?」

 「あたり前さ、あいつと付き合ってりゃ、ギャンブルで儲けたかどうか、それぐらいのこと頭使わなくたって分かるさ。有り金全部すっちまったらどうすると思う? ツケのきく安食堂から食い物を運んで来させるのさ。友だちにはペコペコしまくって前髪が鼻まで被さるぐらいになってさ。ところが懐具合が良くなるとローネイで食事するようになり、人を小馬鹿にする。髭はピンと伸ばし、髪の毛はきちんと真ん中分けにして……。それで、奴がリッシュで食事してるってことはだな、しかもカイゼル髭にして、帽子を斜に被って、ほれあんな風に偉そうにふんぞり返ってるのを見りゃ、少なくとも千フラン札を五、六枚は手元に持ってるってことさ。万事順調、順調すぎるほどなんだよ」

 「あいつ、何して喰ってんの?」

 「知るもんか!」

 「金持ちなのか?」

 「金は持ってる。一度やつに十ルイ貸したことがあったんだが、やつ、返してきたからな」

 「凄いな。品行方正な男じゃないか」

二人の若者はどっと笑い声を上げ、立ち去っていった。

このやりとりはシュパンにかなりのことを教えた。

「お前さんのこと、よく分かって来たぜ。アパルトマンの管理人も顔負けってくらい……。後はお前さんの家までつけていって番地を確かめればフォルチュナさんが約束してくれた五十フランは手に入ったも同然だ」2.8

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1-XVIII-6

2022-02-04 12:23:45 | 地獄の生活

ウィルキーと呼ばれた男はグランドホテルに入ったが、それは単に葉巻を買い込むのに売店に立ち寄るためであった。そこでは女性の事務員が葉巻の箱の中から最上のものを出してくれた。彼は自分の英国製のケース一杯に葉巻を詰めると、一本に火を点け、外に出てフォブール・モンマルトルの方向に大通りを歩いて行った。今や彼は全く急ぐこともなく、ただ時間潰しのためにぶらぶら歩いているという風だった。自分の魅力を見せびらかし、女性たちをずうずうしい態度でじろじろ眺めていた。腰をくねらせ、肩は耳の高さまで持ち上げ、背中を丸め、もうこれ以上歩けないほど疲れたというように脚を引きずり、倦み疲れたかのような歩きぶりだった……これが最新の流行、当世風、粋というやつなのだ! このポーズは一般の人々の度肝を抜くのが狙いであり、この世の歓楽に疲れ切り、もう今ではすべてに無感動になった男というイメージを自分自身に与えるためのものであった。

「このバカ、いい加減にしろ!」とシュパンは呻った。「ただでは済まさんからな、この半死人!」

彼は怒り心頭に達していたので、彼の中に眠っていたフォブールの悪ガキが目を覚ました。すんでのところでウィルキーに罵声を浴びせるところだった。彼のところまでつかつかと歩いて行き、喧嘩を吹っ掛けるところだった。しかし、自分の使命をしくじることがあってはならぬ、という思いが彼を押し留めた。それと約束された報酬が……。

 というわけでシュパンは尾行している相手のすぐ後ろにぴったりついた。相当な人出だった。夜になり、周囲のガス灯に火が灯った。穏やかな陽気だったのでカフェの前には空いたテーブルは一つもなかった。というのは、アブサンを飲む時刻になっていたからだ。このときこそブールヴァールが世界中で二つとない光景を示現するのである。毎夕五時から七時までの間、パリで名前を持つ者はすべて、何者であろうとどこの誰であろうと、オペラ座通りとジューフロワ通りの間に姿を見せるという習慣が生まれたのは何故であろうか? それはおそらくそこがパリの最新ニュースの交換場所であるということに起因していると思われる。そしてまたデリケートな陰口、大量のスキャンダラスな噂、政治的なデマ、きわどい下品な言葉が交わされる場所でもあった。そこでは翌日の新聞に載るパリのさまざまなゴシップが醸成される。例えば、証券取引所の動向や国債の時価に関する情報、A夫人の首飾りの値段や彼女にその贈り物をしたのは人物は誰か、プロイセンから電報で伝えられた情報は何だったか、金を持ち逃げした出納係は何という名前なのか、どれくらいの金額だったのか、等々。

 ブールヴァールとフォブール・モンマルトルが交差する角は『エクラゼの十字路』(人がごった返す上に傾斜があるため馬車が急に停まるのが難しいため、馬車に圧し潰される事故が多発したところからこの名前がついたと言われる)と呼ばれ、そこに近づくにつれ、雑踏はますますひどくなったが、ウィルキーは老練な遊び人のごとく巧みに群衆の間をすりぬけて歩いて行った。2.4

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1-XVIII-5

2022-02-02 11:14:35 | 地獄の生活

というわけで彼は勢い込んで若い男の後をつけていった。それは二十二、三歳の男で背の高さは平均より少し高いぐらい、純粋な金髪でしばたたく目を持ち、顔色は青白く、口元にカイゼル髭を生やしている以外顎髭はなく、髭の色は髪の色より濃かった。彼の無造作な服装は計算し尽くされたもので、多くの人が最高のエレガンスだと考えていたが、実際はその正反対だった。彼の姿勢、口髭、片方の耳を覆うように被られた丈の低い帽子は、傲慢で自惚れた喧嘩っ早そうな印象を与えていた。

 「へっ、いけ好かない野郎だ」とシュパンは彼のあとをつけながらぶつぶつ呟いた。シュパンも前を行く男と同じように殆ど駆け足になっていた。その男がどうしてそんなに急いでいたかはすぐに分かった。彼は一通の手紙を送らなければならなかったのだが、メッセンジャー(当時パリの街角ではこのような伝令が待機し、手紙を相手まですぐ届けるという習慣があったようである)がなかなか見つからないので焦っていたのだ。が、ようやく一人見つけたので、呼び止め、手紙を渡すと途端にゆっくりと歩き始めたのであった。

大通りに出ると赤ら顔の太った背の低い青年が彼に近づいてきた。着飾った無骨者といった風情で、親しげに両手を広げ、道行く人が振り返るほどの大声で呼びかけた。

 「おーい! そこ行くのはウィルキーじゃないか!」

 「そうだよ、正真正銘の本人だ」と若い男が答えた。

 「だよな! 一体どこに雲隠れしてたんだよ? この前の日曜、競馬場でさんざんお前さんのこと探したんだよ……けど影も形もなかった。まぁしかしお前さん、来なくて運が良かったよ。俺ったらさ、三百ルイ持って行ったんだよ。で、ド・ヴァロルセイの馬に有り金を賭けたんだ。ドミンゴって馬だ。楽勝だと思ってたさ……そうとも、確信してた!……ところがどうだ、ドミンゴはしょぼい三位になりやがんの……そんなのってありかよ? もしヴァロルセイが百万長者だってことを知らなかったら、これはイカサマだって思ったところだよ。彼が自分の馬以外のに賭けて、お抱えのジョッキーに一番になるな、と命令してたっていう」

 しかし彼は実際にはそう思っていなかったようで、陽気に次のように付け加えた。

 「ま、いいさ、俺は明日ヴァンセンヌで挽回するから。お前さんも行くかい?」

 「多分ね」

 「じゃ、明日な」

 「ああ、明日」

 彼らは握手を交わし、それぞれ別の方向に立ち去って行った。シュパンは彼らのやり取りをすべて一語も洩らさず聞いていた。

 「百万長者のヴァロルセイ!」と彼は自分に呟いた。「ほう、これは良い情報じゃないか! ……よしこれで、と……あの若造の名前が分かったぞ……それに競馬場通いして金をはたく奴だってことも。ウィルキーだって?……イギリス人の名前じゃないか。ダルジュレの方が俺は好きだね……それにしても彼奴、一体どこへ行くつもりなんだろう?」2.2

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