8/20に尼崎市 蓬川(よもがわ)公園に保存中の旧阪神 国道線71形を撮りました。
1枚目は、蓬川(よもがわ)公園に保存中の71形74です。
樹木が茂っていていて、広角レンズで近寄らないと前面が写らないです。
2枚目は、標準レンズで撮った71形74です。
ヘッドライトの付近は樹木で隠れてしまいます。
3枚目は、反対側の71形74です。
倉庫が建っていて、一部が隠れてしまいます。
4枚目は、71形74の側面に掲出されていた説明版です。
1975(昭和50)年まで阪神には併用軌道線が運行されており、野田~西灘(1969(昭和44)年までは野田~東神戸駅間)の国道2号線を走る国道線、上甲子園~浜甲子園駅間(1945(昭和20)年までは上甲子園~中津浜駅間)の甲子園線、野田~天神橋筋六丁目(行先方向板は天六と表記)駅間の北大阪線から成り立っていました。
自分が中学1年生の時に廃止となっており、小学生の頃に数回乗ったことがありました。
車両は前面がフラットな2扉の1927~30(昭和2~5)年に登場した1形、31形と、通称「金魚鉢」と呼ばれた流線型で3扉で1937~48(昭和12~23)年に登場した71形、91形、201形の2種類のスタイルが運用されてました。
埋込式ヘッドライトが設けられた流線型の前面と、車体部分高さの半分を超すほどまで大型化した側窓のデザインから「金魚鉢」と呼ばれたと思います。
80年以上前に設計されていますが、現在でも通用するような秀逸なデザインで、現在ならブルーリボン賞などの対象でないかと思われます。
1975(昭和50)年の廃止後は、運良く71形の内2両が尼崎市内の公園に保存されました。
74は尼崎センタープール前駅から北東へ約1km(徒歩10分位)の蓬川公園に保存されています。
地元の集会所として利用されているらしく、運転席側の扉が住宅用の扉に変更されたり、照明が外付けで設置されたりしてます。
Yゲルと呼ばれた特徴的なビューゲルは撤去されてますが、屋根が掛かっていることもあって、比較的、良好な保存状態です。
ただし、樹木が茂り過ぎのようで、写真が撮り難いのは仕方ないとしても、落ち葉などが詰まって車体の腐食が起きないか心配なところもあります。
現役生活38年、保存後47年で車両として稼働してない期間の方が長くなりましたが、貴重な阪神国道線の遺産として今後も長く保存されるように祈ってます。
1枚目は、蓬川(よもがわ)公園に保存中の71形74です。
樹木が茂っていていて、広角レンズで近寄らないと前面が写らないです。
2枚目は、標準レンズで撮った71形74です。
ヘッドライトの付近は樹木で隠れてしまいます。
3枚目は、反対側の71形74です。
倉庫が建っていて、一部が隠れてしまいます。
4枚目は、71形74の側面に掲出されていた説明版です。
1975(昭和50)年まで阪神には併用軌道線が運行されており、野田~西灘(1969(昭和44)年までは野田~東神戸駅間)の国道2号線を走る国道線、上甲子園~浜甲子園駅間(1945(昭和20)年までは上甲子園~中津浜駅間)の甲子園線、野田~天神橋筋六丁目(行先方向板は天六と表記)駅間の北大阪線から成り立っていました。
自分が中学1年生の時に廃止となっており、小学生の頃に数回乗ったことがありました。
車両は前面がフラットな2扉の1927~30(昭和2~5)年に登場した1形、31形と、通称「金魚鉢」と呼ばれた流線型で3扉で1937~48(昭和12~23)年に登場した71形、91形、201形の2種類のスタイルが運用されてました。
埋込式ヘッドライトが設けられた流線型の前面と、車体部分高さの半分を超すほどまで大型化した側窓のデザインから「金魚鉢」と呼ばれたと思います。
80年以上前に設計されていますが、現在でも通用するような秀逸なデザインで、現在ならブルーリボン賞などの対象でないかと思われます。
1975(昭和50)年の廃止後は、運良く71形の内2両が尼崎市内の公園に保存されました。
74は尼崎センタープール前駅から北東へ約1km(徒歩10分位)の蓬川公園に保存されています。
地元の集会所として利用されているらしく、運転席側の扉が住宅用の扉に変更されたり、照明が外付けで設置されたりしてます。
Yゲルと呼ばれた特徴的なビューゲルは撤去されてますが、屋根が掛かっていることもあって、比較的、良好な保存状態です。
ただし、樹木が茂り過ぎのようで、写真が撮り難いのは仕方ないとしても、落ち葉などが詰まって車体の腐食が起きないか心配なところもあります。
現役生活38年、保存後47年で車両として稼働してない期間の方が長くなりましたが、貴重な阪神国道線の遺産として今後も長く保存されるように祈ってます。