7/7に福井鉄道 北府鉄道ミュージアムに保存されている200形を撮りました。
1枚目は、北府鉄道ミュージアムに保存されているモハ203-1です。
プラットホームを模した物見台の側から撮りました。
運転台には後付けで設置された行先方向幕とワンマン表記が残っています。
2枚目は、モハ203-1の前面に掲出された登場当時に装着していた「急行 武生」と表示された急行用の行先表示板の復元版です。
3枚目は、モハ203-1の階段状のステップが下ろされた状態です。
福井市内併用軌道の低床ホーム用に、扉部分には2段式のステップが設置されています。
4枚目は、連接車の203編成のモハ203-1とモハ203-2の連接部分の台車と階段状のステップが折りたたまれた状態です。
5枚目は、モハ203-2を外側から駐車場の側から撮りました。
柱が多くて写真を撮るのにはやや難が有りますが、積雪などによる屋根の強度を考慮したものと思われます。
こちら側の運転台の行先方向幕とワンマン表記は撤去されていて、より登場時に近い姿となっています。
6枚目は、モハ203-2の前面に掲出された「急行 福井」と表示された急行用の行先表示板の復元版です。
7枚目は、モハ203-2の外側に取り付けられていた製造銘板で、「名古屋 日本車輛 昭和37年」と表記されています。
自分と同じ年に登場しており、親しみを感じます。
福井鉄道200形は、福武線の急行用の2両3台車の連接車として、1960年に201編成、202編成が登場し、1962年には203編成が増備されて3編成となりました。
前面形状は非貫通式の2枚窓で屋根は張り上げ屋根構造となっており、この時期に他私鉄でも登場した湘南形スタイルです。
塗装は福井鉄道の当時の標準カラーであるベージュと紺色の塗装に白帯が加わり、200形が当初急行専用だったことから、後に福鉄急行色と呼ばれました。
車内はセミクロスシートで扉間に片側4組のボックスシート、その他の部分にはロングシートが設けられています。
1989~91年には冷房化改造が実施され、1996~98年に主電動機、動台車の換装が行われて、動力伝達方式もWN駆動方式から中空軸平行カルダン駆動方式へと変更されています。
登場時から急行用として活躍しましたが、1986~87年に静岡鉄道から300形が譲渡されてからは普通主体に運用されるようになりました。
2006年に旧名鉄 岐阜地区の低床車の譲渡により在来の高床車の多くが引退しましたが、200形は収容力を生かしてラッシュ時を中心に運用され、急行運用にも復帰していました。
しかし、超低床車両の導入や老朽化により、2015年に201編成、2016年に202編成が引退し、203編成は2016年以降は休車となり、北府駅の車両工場の側線で留置されていました。
その頃の光景は以前にこのブログでも紹介しましたが、かなり車体が劣化しおり、その後の動向が気になっていました。
幸いなことに地元自治体が2019年から北府駅鉄道ミュージアム整備事業を行うこととなり、屋根付きの展示スペースを設けて203編成を保存するが決定されました。
2022年からはクラウドファンディングによって募金された資金などを活用して修復作業が実施されて、車体塗装も登場時の福鉄急行色に再塗装されました。
本年3/19の北府駅鉄道ミュージアムのオープンとともに、北府駅の駐車場敷地内に整備された上屋付きの車両展示場に展示された203編成が公開されました。
一度、見に行きたいと思っていましたが、北陸鉄道8000系を撮りに行った帰途に武生駅で途中下車して撮ることができました。
1枚目は、北府鉄道ミュージアムに保存されているモハ203-1です。
プラットホームを模した物見台の側から撮りました。
運転台には後付けで設置された行先方向幕とワンマン表記が残っています。
2枚目は、モハ203-1の前面に掲出された登場当時に装着していた「急行 武生」と表示された急行用の行先表示板の復元版です。
3枚目は、モハ203-1の階段状のステップが下ろされた状態です。
福井市内併用軌道の低床ホーム用に、扉部分には2段式のステップが設置されています。
4枚目は、連接車の203編成のモハ203-1とモハ203-2の連接部分の台車と階段状のステップが折りたたまれた状態です。
5枚目は、モハ203-2を外側から駐車場の側から撮りました。
柱が多くて写真を撮るのにはやや難が有りますが、積雪などによる屋根の強度を考慮したものと思われます。
こちら側の運転台の行先方向幕とワンマン表記は撤去されていて、より登場時に近い姿となっています。
6枚目は、モハ203-2の前面に掲出された「急行 福井」と表示された急行用の行先表示板の復元版です。
7枚目は、モハ203-2の外側に取り付けられていた製造銘板で、「名古屋 日本車輛 昭和37年」と表記されています。
自分と同じ年に登場しており、親しみを感じます。
福井鉄道200形は、福武線の急行用の2両3台車の連接車として、1960年に201編成、202編成が登場し、1962年には203編成が増備されて3編成となりました。
前面形状は非貫通式の2枚窓で屋根は張り上げ屋根構造となっており、この時期に他私鉄でも登場した湘南形スタイルです。
塗装は福井鉄道の当時の標準カラーであるベージュと紺色の塗装に白帯が加わり、200形が当初急行専用だったことから、後に福鉄急行色と呼ばれました。
車内はセミクロスシートで扉間に片側4組のボックスシート、その他の部分にはロングシートが設けられています。
1989~91年には冷房化改造が実施され、1996~98年に主電動機、動台車の換装が行われて、動力伝達方式もWN駆動方式から中空軸平行カルダン駆動方式へと変更されています。
登場時から急行用として活躍しましたが、1986~87年に静岡鉄道から300形が譲渡されてからは普通主体に運用されるようになりました。
2006年に旧名鉄 岐阜地区の低床車の譲渡により在来の高床車の多くが引退しましたが、200形は収容力を生かしてラッシュ時を中心に運用され、急行運用にも復帰していました。
しかし、超低床車両の導入や老朽化により、2015年に201編成、2016年に202編成が引退し、203編成は2016年以降は休車となり、北府駅の車両工場の側線で留置されていました。
その頃の光景は以前にこのブログでも紹介しましたが、かなり車体が劣化しおり、その後の動向が気になっていました。
幸いなことに地元自治体が2019年から北府駅鉄道ミュージアム整備事業を行うこととなり、屋根付きの展示スペースを設けて203編成を保存するが決定されました。
2022年からはクラウドファンディングによって募金された資金などを活用して修復作業が実施されて、車体塗装も登場時の福鉄急行色に再塗装されました。
本年3/19の北府駅鉄道ミュージアムのオープンとともに、北府駅の駐車場敷地内に整備された上屋付きの車両展示場に展示された203編成が公開されました。
一度、見に行きたいと思っていましたが、北陸鉄道8000系を撮りに行った帰途に武生駅で途中下車して撮ることができました。