撮り散らかし鉄の記憶

撮り散らかした鉄道写真の中から記憶に残るシーンを

JR西日本 定利一踏切(2023.7.12) 117系 E-08編成+E-05編成 普通 福山行き

2023年07月19日 23時27分22秒 | JR各社
7/12にJR西日本 山陽線 庭瀬~中庄駅間の定利一踏切で117系の8両編成の下り列車を撮りました。
1枚目は定利一踏切に向かう、E-05編成 クハ116-17の普通 福山行きです。
下りの8両編成は逆光の向きですが、やや曇り気味だったので何とか撮ることができました。



2枚目は、引いて撮ったクハ116-17です。
E-05編成は1979~82年に登場した0番台なので、側窓は2段上昇式のユニット窓です。



3枚目は後追いで、中庄駅に向かうE-08編成  クハ117-102です。
E-08編成は1986年に登場した100番台なので、側窓は2列1組のバランサー付き1段下降式です。



以下の記事は過去に書いたブログの再掲になります。
1970年に当時の国鉄 東海道線、山陽線で運行を開始した新快速は113系、153系などで運用されていましたが、1979年に専用の117系が登場して運用を開始しました。
流線形の前面の腰部には左右各2灯の前照灯、中央窓下には列車種別表示器、タイフォン(警笛)が設置された、従来の国鉄にはない独自のデザインでした。
側面は2ヶ所の両開扉と戸袋部を除いて2段上昇式の窓のユニット窓が並び、独自の配置となってます。
室内は転換クロスシートが並び、車内妻面は木目調仕上げの化粧板となって、蛍光灯には乳白色のグローブが取り付けられるなど、従来の国鉄形の近郊形電車とは一線を隔した設計となってます。
塗装はクリーム1号を基本に、ぶどう色2号の細帯が窓下に入っており、戦前の流電52系以来の伝統的な117系独自のものでした。
阪急6300系、京阪3000系のライバル車に相応しい車両として1979~86年に関西地区に144両が登場し、東海地区にも72両が登場しています。
1986年の国鉄分割民営化の際には、関西地区の車両はJR西日本、東海地区の車両はJR東海に全車が継承されています。

JR西日本になってからも新快速で活躍しましたが、1989年の221系の登場以降は新快速での運用を縮小し、1999年の新快速の130km/h運転開始により新快速の運用からは撤退しました。
新快速運用が減ったことから、福知山線、奈良線、山陽線の岡山・下関地区、紀勢線・和歌山線、湖西線・草津線の京都地区に活躍の場を広げました。
また、一部の中間車は115系に編入されました。
しかし、福知山線、奈良線、下関地区、紀勢線・和歌山線での117系としての運用は既に終了しています。
本年3/28限りで草津線の運用も終了し、最後まで残ったのは岡山地区の4両編成×3編成となりました。
この3編成も7/21限りで定期運用からの引退が発表されています。
朝ラッシュ時に117系の8両編成が岡山~福山駅間で1往復 定期運用があるので、前日から岡山入りして早朝の下り列車を撮ることができました。
さすがに時間が早かったためか、撮っていたのは自分だけでした。