◎焼餅屋だった龍潭
道元のことにも出てくるが、禅寺の典座(炊事係)でも悟りの修行ができる。以下に示す龍潭は、もともと門前の焼餅屋さんであったが、出家してからは、食事係ばかりやらせられて、一年経っても和尚が悟れる秘訣を教えてくれないとぼやく話である。
禅の六祖恵能は、坐らせてもらえず、ずっと寺で米つきばかりやってた。
実は、これらは坐らないからには、一行専心の修行であって、坐る冥想とは全く異なる行である。
禅の坐る冥想とは、只管打坐、隻手や無字などのマントラ禅、公案禅に大別されるが、一行専心は、坐らないので全く別種。
一行専心とは、仕事を精密にやり続ける事上磨錬、武道(柔道、剣道、合気道)、芸道(書道、茶道、華道、香道、歌道、舞踊、ダンスなど)に加え、絵画、彫刻、建築、工芸、デザイン、写真、作曲、声楽、器楽、指揮、ダンス、演劇からスポーツといったものまで含まれる。ただしそれが道と呼ばれるためには、神仏への敬虔があって、人間の努力の限界を超えようとするモチベーションがなければならない。
ただし、一行専心は、往々にして見神見仏見道にとどまる。要するに禅の十牛図で言えば、見牛第三止まりである。稀に一行専心でもニルヴァーナに至る者もいるが、見神見仏見道から先に進むには、やはり冥想による方が早いのではないかと思う。
祖堂集巻四の天皇道悟の章から。
『澧州龍潭崇信禅師〈天皇に嗣ぐ〉は、焼餅をつくる家業であった。天皇和尚を礼して出家した。
天皇は言った、「あなたが、わたしに師事してから後に、あなたに心要法門を説いてあげよう」。
およそ一年が経過した。 龍潭、「ここに来ました時に、和尚さんは、心要法門を説いてあげるといわれながら、いまだに指示していただけません」。
天皇、「わたしは、あなたに説いてあげてから永い間たった」。
龍潭、「どこに和尚さんはわたくしのために説かれましたか」。
天皇、「あなたが『ごきげんいかがですか』といえば、わたしは、すぐさま合掌する。わたしが坐っている場合、あなたがすぐさま側に控える。あなたが茶を運んでくれば、わたしが受け取る」。
龍潭はしばらく黙った。
天皇、「見るときはそのまま見る。思慮せんとすれば、とたんに間違う(見則便見、擬思即差)」。
龍潭はそこで大悟した。(河村本-150頁)』
(中国禅宗史話/石井修道/禅文化研究所P455-456から引用)
龍潭は、もともと悟っていたが、一年かけてそれに気づいただけと言うのは簡単である。龍潭が、寺で坐ることなく悟ったのはなぜだろうか。禅寺の炊事係なら誰でも悟るわけでもない。