アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

OSHOバグワンは頓悟の方法を開示しない

2024-12-12 12:42:38 | 冥想アヴァンギャルドneo

◎頓悟の大なるリスク

(2021-01-12)

 

OSHOバグワンは頓悟の方法を開示しない。その理由の一つは、その方法を用いれば、修行者は死んだり発狂したりすることがあり得るからである。もう一つの理由は、開示すると文書として伝承され、単なる好奇心の結果、不幸な修行者が増えるからである。翻ってその教えは邪教として廃されかねない。

 

さらに頓悟の方法はグループで為されるべきであるとする。理由は修行者が長期にわたって無意識に留まり日常生活ができなくなることがあるから。

 

一人で修行する代表例は、経典やハウツー本やマニュアルだけで冥想修行するものだが、これも危険だとする。頓悟するのに必要な鍵は、経典の外に師から弟子への口伝として存在しているからである。

(以上参照:究極の錬金術Ⅰ/OSHOバグワンP177-181)

またそういった口伝を持たない師につくのも当然に危険だが、未悟の弟子は師が悟っているかどうかを見分けることなどできない。行=無意識を操作するというのは、容易に精神病になり得る技術でもある。

 

禅は代表的な頓悟の法だが、一人で修行してはならず、必ずグループで修行している。だが唐代の破仏後などは一人で山で修行する例が少なくなく、よほどの覚悟の上のことである。

錬金術書などに近道、乾いた道などという言葉に出会うことがあるが、近いがゆえに危険性も高いということは字面からも想像される。

早い安いは経済的メリットの定番だが、それを求める冥想修行は邪道であり、また一人でやる近道も危うい。だからと言って、わけのわからないカルト教団に入信するわけにもいかない。

OSHOバグワンは、ちゃんとした悟境のグルだったが、彼の宗教コミューンに参加したからといって、全員を親身に面倒を見たわけでもない。

だから、人を水辺に連れて行っても、本人が水を飲むかどうかは、あくまで本人次第なのだ。

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自己中心人間は眠れない

2024-12-12 12:33:43 | 冥想アヴァンギャルドneo

◎坐って目を閉じても冥想などできない人が多い

(2020-11-07)

 

インドでは、人間のたどり着くべき境地が、熟睡中の夢を見ない状態であることを古来唱える。それを枕に、OSHOバグワンは、『自己中心人間は眠れない』とする(死・終わりなき生/OSHO/講談社P155-162)。

 

彼は、西洋における無神論の根底には、西洋人の乱れて混沌とした睡眠の状態があるとし、ニューヨークでは、三割以上の人が精神安定剤なしで眠れないという。つまり、世界の広汎な赤化の原因のひとつは、その睡眠を奪われつつある生活スタイルだと断じている。睡眠薬や精神安定剤なしで眠れるようになれば、無神論と赤化の勢いは止まるということがあろう。科学的論証は困難だが、そこに冥想が広まれば、自然な睡眠を取り戻す人が増え、無神論の暴走は止まるという法則が推測される。

 

この伝で、2千年前は、人々は目を閉じるだけで睡眠に入れたが、いまや西洋人は、目を閉じてもまぶたの下で思考が走るので、目を閉じても眠れない。同様に2千年前は、人々は目を閉じるだけで冥想に入れたのが、いまは、目を閉じても落ち着きなく不安な心なので、目を閉じるだけでは冥想に入れない。

 

睡眠できない環境では、容易にトランスが起こるので、それを利用して共産主義洗脳が行われてきたのは知られている。これは、睡眠を奪われた極みの状態。モバゲーやスマホで、中断なく操作を続けさせる工夫がゲーミフィケーションなどと言ってとても発達しているが、これも睡眠を奪うテクノロジーであって、その結果は、メリデメで成る無神論の強化であって、無思考な暗示・洗脳を受けやすい心理を作り出す。

 

かくして坐って目を閉じても冥想などできない人が多いので、まずは柔軟体操そしてハタ・ヨーガの若干のポーズでリラックス。特に死体のポーズは重要。全身くまなくリラックスを行き渡らせるのだ。そして身体を起して冥想。

 

よく資格取得講座などで、金を払ったから一生懸命やる動機とするなどということと冥想は対極にあるが、ここまで準備しないと冥想できない時代になったと覚悟して、冥想しなければならない時代になった。

 

世界の無神論化は、核戦争に至るロジックを強化し、それが発生するまで強者同士の対立が終わらないだろうとは容易に想像できる。自分ひとりの冥想が世界を救うロジックがここにある。

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本山博の「場所的個」

2024-12-12 03:29:11 | 浅い霊感から神人合一まで

◎「場所」には、創造神と個別神霊がある。

 

本山博の「場所的個」とは、神人アヴァターラのことのようである。三身、三位一体の構成要素としての人間のことだと思う。

 

「場所的個」とは、

  1. 「場所的個」とは、ヨーガでは「アヴァターラ」、仏教で は「応化身」、キリスト教では「神が受肉をしてキリストになった」、あるいは「神の子」のこと。
  2. この場合の「場所」というのは「神様そのもの」。だから、「場所的個」とは神とイコールな人間で、普通の人間ではない。人間なのだけれども、神様になった状態でいる人。
  3. 「絶対」と個人とのつながりを本当にこの人の存在全体で体験した人が「場所的個」
  4. 絶対と現実(相対)とをつなぎ、両方を成り立たせるものが「場所的個」。
  5. 「場所」には、創造神と個別神霊がある。創造神とは、一切のものがそこで死んだり生きたりするような、そこで宇宙が滅んだり出来たりするような 「生死の場所」。個別神霊とは、そこで一切のものが死んだり生きたりはしないが、或る範囲の場所に存在するもの、生きているものが生かされているような、そういうプルシャ的な、あるいは神霊というか、そういう場所。お不動様や観音様のようなもの。

(以上参照:場所的個としての覚者/本山博/宗教心理出版P10-12)

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