アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

大地平沈-只管打坐と下降

2024-12-23 06:59:50 | 達磨の片方の草履

◎天童如浄の語録から

 

ダンテス・ダイジは、クンダリーニ・ヨーガは上昇、只管打坐は下降と唱える。クンダリーニ・ヨーガの上昇は異論のないところだと思うが、只管打坐の下降は結構論証が大変だ。

 

まず道元の師の天童如浄の清涼寺語録から。天童如浄が弟子たちに説法する。

『法座。

大地平沈し、この座は高く広い。千変万化、功無くして賞を受ける。』

(天童如浄禅師の研究 鏡島 元隆/著 春秋社P151から引用)

 

(大意)

『説法の座に拠っていう。大地は等しく沈んでも、この法座は高く広く巌としている。世界は千変万化しても、この法座は無為の功によって賞を受ける。』

 

大地は等しく沈んで、身心脱落する。そこで無為の功(無用の用)が達成されて、その報酬を得る。

 

さらに清涼寺語録から、

『衆寮を建てて上堂す、喝一喝、大地平沈、徧く黄金を布く。』

(上掲書P183から引用)

 

(大意)

『修行者寮を建てるにちなみ、天童如浄が上堂説法。

喝一喝しながら言うには、

大地は等しく沈んで、身心脱落する。そこに黄金を敷き詰める。』

“大地は等しく沈んで、身心脱落“というのが体験とは言えない体験。そこで有の側第六身体アートマンの状況は、世界が自分と合一したので、これを” 黄金を敷き詰める“と云う。

 

台州瑞巌寺語録から

『法座を指して云く、大地を平沈して、高く虚空に出、機先に坐断して、遊戲神通、須彌燈王、下風に立つ』

(上掲書P191から引用)

 

(大意)

『天童如浄が法座を指していうには、

大地は等しく沈んで、身心脱落する。そこで高く虚空に出る。ここに坐することは、あらゆるものの最古、大本、最先端に出ることであって、神通不可思議(超能力もあり、神秘もあり)の世界に遊戯すること。

8万4千の高さの須弥灯王のことも下に見下ろせる。』

大地は等しく沈んで、身心脱落すれば、世界最古最高の根源に達し、世界全体と合一したのだから須弥灯王も下に見下ろせる。

 

天童景徳寺語録から

『問有り答有り、屎尿狼藉、問無く答無し、雷霆霹靂(びゃくりゃく)、是に於て眉毛慶快し、鼻孔軒昻たり、直に得たり、大地平沈、虚空迸裂することを。』

(上掲書P278から引用)

 

(大意)

『問いに対して答えるのは、大小便をまき散らすようなぶざまなものだ。一方、問うことも答えることもしないのは、激しい雷が急に鳴るような素晴らしいものだ。

ここにおいて、意気軒昂となり、直ちに大地は等しく沈んで、身心脱落し、虚空が引き裂かれる。』

 

このように、修行者向け説法の眼目として、ことさらに繰り返し大地平沈を説くことこそ、只管打坐は下降である証拠だと思う。

 

映画「禅ZEN」(2009年 中村勘太郎、内田有紀、藤原竜也等)で、道元の身心脱落シーンがぐるぐる回って上昇なのは、大いに誤解を招いているのではないか。

なお笹野高史の典座(食事係)は良かった。

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