アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

真実の道心はむずかしい

2024-12-17 00:01:30 | 達磨の片方の草履

◎臨済録-心心不異

 

2024年12月15日、世界各地にレーダーで捕捉できないUFO群が出現。同日イスラエルのシリア攻撃で、きのこ雲が目撃され核使用を疑われているようだ。世界全面核戦争の予言あるいは警告として、霊界からUFOが出現したのか。

ダンテス・ダイジは、UFOは霊界のものと言っている。

 

「究極を悟ることができずに一生を終えれば、この世でむだ飯を食ったその飯代を請求される。」などとダンテス・ダイジは語っていたものだ。

 

河北省で活躍した禅マスター臨済が弟子たちに同じようなことを語る。

『「修行者たちよ、真実の道心を発(おこ)すことはむずかしく、仏法は幽玄で奥深いものだが、しかしみんながわかることは相当にわかっているのだ。わしは一日じゅう、彼らに説き明かしてやっているが、修行者たちはまったく問題にしてくれぬ。彼らは千べん万べんそれを脚の下にふみつけていながら、心中まっくらでそれを気づかずにいる。

それは一箇のきまった形がなく、しかもはっきりとして、他の力を仮りずにそれ自身で輝いているのだ。修行者たちはそれが信じきれないで、すぐに〔仏とか法とかいう〕名句の上で理解しようとする。よわい五十になんなんとして、ひたすら脇道にそれて、死屍(しかばね)を背負って行き、荷物をになって天下を歩き廻る。そんなことでは、閻魔の庁で草鞋銭を請求される日がきっと来るぞ。

 

諸君、わしが『外には法はない』というと、修行者たちはその真意を理解しないで、すぐに内にあると解して、早速壁によって端坐し、舌は上の顎(あぎと)をささえ、じっとして動かず、これが祖師門下の仏法だと思っておる。大まちがいだ。ほかならぬ君たちが不動清浄の境をそれだと考えるならば、君たちはとりもなおさずあの無明を本心と見誤っていることになる。

古人もいった、『深い深い真暗な穴こそ、実に怖るべきである』と。これがそれである。君たちがもしあの動くものをそれだと考えるなら、すべて草木はみな動くことができるのだから、当然それは道だということになる。では言おう、動くものは風の要素であり、動かぬものは地の要素である。動いても動かなくても、どちらも自性はない。君たちがもし動く所にそれを捉えようとしたら、それは動かぬ所に立つ。もし動かぬ所にそれを捉えようとしたら、それは動く所に立つ。

『ちょうど泉にひそむ魚が波を打って自分で踊るようなものだ。』諸君、動くのと動かぬのとは、二つの境にすぎぬ。実は無依の道人こそが、動くものを働かせ動かぬものを 働かせているのだ。』

(禅の語録 10 臨済録 筑摩書房P115-116から引用)

 

『壁によって端坐し、舌は上の顎(あぎと)をささえ、じっとして動かず』これは、坐禅の姿勢

 

隙間理論でいえば、現象の側が真っ暗な穴。坐禅して、不動清浄の境地は真っ暗な穴なのだ。

隙間理論でいえば、隙間のニルヴァーナの側が道。

  

上掲『それは一箇のきまった形がなく、しかもはっきりとして、他の力を仮りずにそれ自身で輝いているのだ。』。

だから上掲『外には法はない』。これは隙間の側。

 

※無依の道人:大宇宙すべてが自分の所有となっている人。仏人合一。即身成仏。第六身体

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