アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

洞山が弟子の首座を問殺する

2023-02-22 06:54:02 | 無限の見方・無限の可能性

◎問い詰められてすぐ死んじゃった初首座

 

洞山録から。先生とは洞山のこと。首座はランキング上位の弟子。

『【首座を問いつめる】

 

先生は、泐潭(ろくたん)で、初首座に会われた。かれはこういった、「すばらしや、すばらしや、仏道の 世界は測ることもできん」

 

先生はそこでたずねる、「仏道の世界のことはおいて、たとえば仏道の世界を語る君は、どういう世界の人なのだ」

初は沈黙して答えない。

先生、「どうして早く返事せぬ」

初、「せかせてはいけません」

先生「まともな返事すらできないで、せかせてはいかんなどとよくもいえたものだ」

初は答えない。

 

先生、「仏といっても道といっても、みな名前にすぎん、とある。どうしてお経を引用せぬ」 初、「お経にはどういっている」

先生、「意味を把めば言葉はいらん、とある」

初、「君はまだ経典によって心の中に病気を作りだし ているぞ」

先生、「仏道の世界をあげつらう君の病気の方はいったいどれほどだ」

初はこんども答えられぬ。そして次の日、にわかに死んだ。

人々は先生のことを、首座を問いつめた价と呼んだ。』

(禅語録(世界の名著)/中央公論社P315から引用)

※价とは、洞山良价のこと。

※<泐潭> 江西省洪州南昌県。当時、ここに「大蔵経」があった。

 

禅問答は、そもそも解答のない問題に自分自身がなりきり、その不条理を体感しきった先に起こる何かを求めようとするもの。この問答は公案ではないが、求める解は同じ。

 

人は、大災害に突然出くわすと、心を石のように閉ざすか、自殺するか、心をオープンにして大悟するかのいずれかに分かれるなどと言われる。

 

禅語録では、不条理に迫られた求道者が、悟れないまま禅堂で暮らし続けるか、退去を求められるかなどするケースがあるが、死ぬケースはさほど多いものではない。

 

悟りを開くには、人生を卒業するに足るあらゆる実感を経験していることが求められる。そうした蓄積がなければ、準備ができていないということになるわけだが、特に禅では、今日只今悟っているかどうかを求めるために、覚者老師の側は、準備ができていようができていまいが、そんなことはおかまいなしのところがある。

 

洞山には他にも、彼が死んだばかりの僧(悟りきらないまま死んだ若い僧)の頭を三度棒で打ち、輪廻から抜けられないぞと独白するシーンがあり、結構素人目には酷薄な言動の目立つ人だったのかもしれない。

 

悟りを開くには、高額な金を払えばよいとか、何かスペシャルなあるいはバーチャルな環境に身をおけばよいとか、悟りを促す姿勢保持をサポートする機器を使えばよいなどといろいろなことが言われる。だがそんなうまい話はない。

 

また今はスマホ1台で、居ながらにして大蔵経のテキストを読める時代になったが、当時希少な大蔵経にアクセスできる洞山の僧堂にあって、お経の意味を把めば言葉はいらんなどと、言っていることは、現代と何も変わらない。自分で飛び込んでいくしかないのだ。

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自由な石屋さん、錬金術、キリスト教

2023-02-19 07:36:25 | 無限の見方・無限の可能性

◎イエス出現の成果はキリスト教に限定されない

 

自由な石屋さん、錬金術、キリスト教については、寡聞にして浅学非才ながら次のような印象を持っている。

 

紀元前からグノーシス、ユダヤ教、錬金術というのは、中近東から西に存在していた。これらは、いわゆるアトランティス密教から派生した宗教と見られ、風土や時々の聖者の出現によって、しばしば路線変更が見られた。

 

アトランティス密教についていえば、プラトンがソロンという神官からアトランティスのことを聞いたことで当時のアレクサンドリアの図書館にアトランティス密教の精華が残っていたらしいことが想像される。

 

紀元前5世紀頃、ソクラテスは只管打坐型の悟りを実現し、プラトンは、クンダリーニ・ヨーガ型の悟りを実現したことがプラトンの著作でわかる。学者さんが哲学だと言っているから哲学だと思っている人が多いが、彼らは古代ギリシアの冥想修行者である。つまり二人で、顕教系と密教系の悟りを継承していたのだ。

 

イエス・キリストは、ユダヤ教の中から出てきたが、悟りである以上宗派の垣根を越えて他宗派も注目し、誕生時には馬小屋に三人の博士(マギ)も集まったほど。

 

ダンテス・ダイジは、イエスはユダヤ教エッセネ派の中から出て来たと見ていたが、イエスは、超能力を使いまくり、クンダリーニ・ヨーガ系であるユダヤ教の継承者として存命中は活動したことがわかる。

だが当時、グノーシスも8天球という形で正当な悟り(ニルヴァーナ)を見ており、錬金術もユダヤ教と一体となった形でユダヤ教の中にあったのだろうと思われる。

 

最初の錬金術師としてゾシモスやマリア・プロフェティサが出たのが3世紀。マリア・プロフェティサは、ユダヤ人でありユダヤ教から出たと考えるのが自然だろう。心理学者ユングは、ゾシモスの文書を冥想法に関するものと見ており、マリア・プロフェティサの片言『一は二となり、二は三となり、第三のものから第四のものとして全一なるものの生じ来るなり』も冥想に関するものなのだろうと思う。

 

なおマリア・プロフェティサは物理的な錬金術の器具を発明したとされるが、中国でも漢代において物理的な錬金術である外丹は既に行われていたので、錬金術が中近東オリジナルと見ることはできない。

 

おそらく、グノーシスとユダヤ教の密教的(クンダリーニ・ヨーガ的)な部分が混交して錬金術という形になったのではないか。

 

4世紀にキリスト教がローマ帝国で公認された一方で、ユダヤ教とグノーシスの密教的部分は次第に衰退し、イスラム教の中に取り込まれる形で、15世紀までの長い胚胎の時期を過ごした。15世紀以降にユダヤ人が欧州各地に散って行く中で、その密教的部分に触発された運動が17世紀の薔薇十字の運動。それは自由な石屋さんの流れになっていくのだが、なぜかユダヤ教と違うシンボリズムを用いている。

 

勿論欧州域内では、ホイジンガの中世の秋に見るように、信仰としては安定的だったキリスト教の背後で密教的な物も時々ガス抜きをしつつ醸成されてきたところも無視できない。

 

薔薇は真理の象徴であり、石もまた真理の象徴であり、自由な石屋さんが薔薇のシンボルを用いるのは、真理たるニルヴァーナを標榜するまともな宗教なのだろう。

 

自由な石屋さんというのは、キリスト教神秘主義だの、西洋錬金術だの、新プラトン主義の流れを汲むものだと言われる。だが、17世紀頃さるドイツかなんかの覚者が、21世紀の至福千年実現に向けて、それら密教的なものを再編成して自由な石屋さんというものとして始めたのではあるまいか。

 

一方で顕教的なキリスト教は、観想法あるいは只管打坐的な瞑想法を中心に今までどおりがんばっているわけだ。

 

出口王仁三郎は、基本は猶太批判を行わず、昭和神聖会の時代と第二次大本教事件前夜のみにおいて批判。ダンテス・ダイジも、自由な石屋さん側にもちゃんと悟った人間がいると見ている。

 

ところで昨今のマスコミ、スマホによるマインド・コントロールは猛烈であって、特に最近はほとんどの人に関係のない無用の情報を洪水のように流し込んだり、画面をぽちぽちさせることで、まともな思考をさせまいというタイプに変化している。こうした中で正気を保つのは大変だ。

 

一方で歴史学者トインビーの唱えるように文明の根幹は、宗教であって、宗教が衰退すればその文明は滅亡する。近代西欧文明とは、キリスト教をバックボーンとする宗教であって、キリスト教が衰退滅亡すれば、近代西欧文明は終わる。

 

また自由な石屋さんのたくらみは、特に最近においてどんどん露見していっているのだろう。そのたくらみ群は陰謀論とひとくくりにされて論じられることも多い。

 

そして古来からのキリスト教滅亡予言やら、さる勢力の世界統一予言などもある。

だが、そうしたものについては、出口王仁三郎の『○○は大悪に見せて大善をやる』という喝破を忘れるべきではないと思う。

 

全体として見れば、イエス出現なくしては、自由な石屋さんもなかったのだろうと思う。

フリーメイソン螺鈿箱

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海幸彦山幸彦-4

2023-01-28 03:07:42 | 無限の見方・無限の可能性

◎聖王鵜葺草葺不合命が誕生し世界の経綸は完成

(うかやふきあえずのみこと)

 

海幸彦山幸彦のストーリーの続き。

『そうして、約束どおり、一日のうちにお送り申し上げた。そのわにが帰ろうとした時に、火遠理命は身に帯びた紐つきの懐剣をほどいて、わにの背中に結びつけて返した。それで、その 一尋わには、今、佐比持神という。

 

こうして、火遠理命は、何もかも海の神が教えた言葉のとおりにして、 その釣り針を火照命に返した。それで、それ以後、火照命はだんだんま すます貧しくなり、前にもまして 荒々しい心を起して攻めてきた。火照命が攻めようとした時には、火遠理命は塩盈珠(しおみちのたま)を取り出して溺れさせた。そして火照命が嘆いて赦しを求めると、塩乾珠(しおひのたま)を取り出して救った。

このように困らせ苦しめたところ、火照命はぬかずいて、「私は、今から後は、あなた様を昼夜守護する者として、お仕え申し上げます」と申 した。それで、今に至るまで、その溺れた時の色々な仕草を絶えることなく伝えつつ、お仕え申し上げている。

 

[二]さて、海の神の娘、豊玉毘売(とよたまびめ)命は、自分自身で国を出て火遠理命のもとへ参り、「私はもう妊娠しています。今、産もうという時にあたって、このことを考えてみると、天つ神の御子は海原で産むわけにもゆきません。それで、参り出て来たのです」と申した。そこで、ただちにその海辺の渚に、鵜の羽で屋根を葺いて産屋を造った。ところが、その産屋の屋根をまだ鵜の羽で葺きおえないうちに、豊玉毘売命はさし迫った出産の痛みに耐えられなくな った。それで、産屋にお入りになった。

 

そうして、まさに産もうとした時、豊玉毘売命は日の御子に申して、「他の国の人は、およそ子を産む時にあたって、自分の国での姿をとって産みます。だから、私は今、本来の姿になって子を産もうと思います。お願いですから、私を見ないでください」と言った。そこで、その言葉を不思議に思って、豊玉毘売命がまさに子を産もうとしている様子をこっそりと覗いたところ、大きなわにに変って、腹這いになって身をくねらせ動いていた。それで、火遠理命は見て驚き恐れ、逃げ去った。そう して、豊玉毘売命は火遠理命が、覗き見たことを知って、恥ずかしく思い、すぐにその御子を産んでその場に置き、「私は、普段は海の道 を通って行き来しようと思っていました。それなのに、あなたが私の姿を覗き見たことは、たいへん恥ずかしいことです」と申して、ただちに海坂を塞いで、自分の国へ帰っていってしまった。そうして、その産んだ御子は名付けて、天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命(あまつひたかひこなぎさたけうかやふきあえずのみこと)という。

 

このようなことがあって後、豊玉毘売は、火遠理命が覗き見した心を恨みはしたものの、恋しく思う気持を抑えることができず、その御子の 養育というかかわりに託して、妹の玉依毘売にことづけて、歌を差し上げた。その歌にいうには、

赤玉は緒さへ光れど 白玉の君が装いし 貴くありけり

(赤玉は、それを通した緒までも光りますが、白玉のようなあなたの姿は、さらに立派で美しいものです)

これに対し、その夫君である火遠理命が答えた歌にいうには、

沖つ鳥 鴨著(ど)く島に 我が率寝(いね)し 妹は忘れ時じ 世の悉(ことごと)に

 (<沖つ鳥> 鴨の寄りつく島で私と共寝をした妻のことは忘れまい、一生の間)

 

そうして、日子穂々手見命(ひこほほでみのみこと)は、高千穂の宮に五百八十年の間いらっし ゃった。御陵は、すなわちその高千穂の山の西にある。

 

[三]この天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命が、叔母の玉依毘売命を娶って生んだ御子の名は、五瀬命。次に稲氷命。次に、御毛沼命。次に、若御毛沼命、またの名は、豊御毛沼命、またの名は、神倭伊波礼毘古命(かむやまといわれひこのみこと)

 

そして、御毛沼命は、波頭を伝って、常世国へお渡りになり、稲氷命は、亡き母の国である、海原にお入りになった。』

 

これに対する出口王仁三郎の解説は以下。

 

『火遠理命は一尋鰐に乗つて、愈々本の国日の本の国へ、帰られたのであります。此の一尋鰐といふ事には、非常に重大な意味があります。又此の火遠理命は、日子穂々出見命の事であります。御筆先にも『日子穂々出見命の世になるぞよ』といふことがありますが、愈々火の燃え上つた如く中天に輝く所の御盛徳を持つた、日子穂々出見命が、海原を御渡りになる。其の時に一尋もある大鰐が、之を助けたと云ふ事になつて居るのであります。其の時に豊玉姫も共に御連れ帰りになりました。さうすると豊玉姫は妊娠せられた。御子さんが出来たのであります。併し子と云ふ事は原子分子一切の子である。それから、非常に腹が膨れるといふ事になつて子を産む。竜宮も海を離れた島ですから、地の竜宮と云ふ事になります。それでお二人の間に一人の子が出来た。さうすると豊玉姫は、子を産まむとする時に夫に向つて、妾は国津神の子であるから、元の姿になつて児を産みますから、産屋を御覧ならないやうに、何処かへ行つて居て下さい、と堅く申されました。そこで鵜葺草葺不合命を産まれました。未だ鵜の羽の屋根が葺き合へない中に御生れになつたから、さう申すのであります。

 

此の鵜の羽といふ中には、深い意味があるのであります。鵜の羽を以て屋根を葺く、此の鵜といふ事は、稚比売君命と深き因縁のある事であります。此の神様は非常に烏と因縁がある。鵜と云ふ事は烏と云ふ事であります。烏は羽なくては駄目である。それで其の羽で以て屋根を葺く、其の出来ない中に御子が生れたのであります。火遠理命は恐いもの見たさで、そつと御窺ひになると、立派な玉の様な御子が御出来に成つて居る。御子は生れて居りますが、其の母の豊玉姫は竜神の本体を現して居る。大なる竜神が玉の様な児を抱いて居る。それを見て大に驚いた。竜神といふものは、天津神計りと思つて居たが、地津神にもあるかと云ふ事でお驚きになつた。寧ろ此の驚きは恐怖の驚きでなくして、感心の余りの吃驚せられたのであります。

 

さうすると豊玉姫命は、自分の姿を見られたものですから、恥かしくてもう御目にかかれませぬと言うて、元の海へ隠れた。此の御子さんの事を、天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命と申し上げるのであります。此の神は皇室の為めに尽さむとして居るのであります。又豊玉姫は還元して居る現状を見られて、申訳がないと云ふ事になつて再び海に隠れて、元の所に潜伏せられ、其の御産になつた鵜葺草葺不合命を御育てする為に、玉依姫と云ふ竜宮で一番良い所の、選りに選つた神様を御遣はしになつて、御育てになつたのであります。其の時に斯う云ふ歌を御言附けになりました。此の歌は中々意味があります。『赤珠は緒さへ光れど白珠の 君が装ひし貴くありけり』

 赤珠──日の大神、白珠──月の大神、其の珠の緒が、冴え光つて居つたといふ事である。君──伊邪那岐伊邪那美とか、神漏岐神漏美とかのキミで、即ち両陛下を指してキミと申すのです。『キ』は太陽で『ミ』は月の事であります。厳の魂は日、瑞の魂は月、即ち天辰日月が輝いて、完全無欠なる美しい、且つ尊い国が出来たといふ事を、非常に御喜びになつたのであります。此の玉依姫の事を竜宮の乙姫様と云うて居ります。此の神様が御育てした、鵜葺草葺不合命が立たれると、天下は良く治まつて、日月は晧々として輝き、陰陽上下共に一致する。即ち『貴くありけり』と謂はれたのは天下泰平に宇宙が治まつた所の形をば、讃美されたのであります。

 

其の以前に日子穂々出見命、亦の名火遠理命が、豊玉姫に御送りになつた歌があります。

 『沖つ鳥鴨着く嶋に吾率寝し 妹は忘れじ世のことごとに』

 沖つ鳥と云ふ事は、沖の嶋といふ事であります。此の日本以外の外国を指して云ふのであります。或は竜宮の嶋を指して言つたのであります。鴨着く嶋──嶋と云ふ事は、山篇に鳥である。嶋には鴨とか、鴎とか言ふ鳥が沢山群がつて居る。若しも鳥が居なかつたならば嶋ではない。女島男島は真白けに鳥が群がつて居る。鳥が沢山居る嶋が鴨どく島である。吾率寝し──といふ事は共に暮したいといふ事であります。妹は忘れじ──ツは大津といふ事で、大きな海の水の事であります。マは廻つて居るといふ意である。例へば島のシと言ふ事は水であつて、マと言ふ事は廻る事、即ち水が廻つて居ると言ふ事で、小さい島の意味になります。或は又シメと云ふのも、ぐるぐる水が廻つて居る形である。又真中に建造物のあるのは、城とも言ふのである。故に日本国を秀津真の国と言ふのである。

 ツとシとは反対であつて、ツは外国の事である。潮流杯も日本と反対に流れて居ります。忘れじ世のことごとに──といふ事は、万国を一つに平定される事である。世のことごとに、は守るといふ事である。幾万年変つても、此の国は忘れないで、此の御神勅に依つて治めなければならない。日月星辰のある限り、飽くまでも治めてやると言ふ、有難い御言葉であります。』

(出口王仁三郎全集 第5巻【言霊解】皇典と現代 海幸山幸之段から引用)

 

ポイントは、以下。

 

  1. 山幸彦は、三年の留学という真の宗教を忘れた状態の後、一尋鰐の助けで、日本国へ帰られた。一尋鰐(わに)は、出口王仁三郎(わに)のこと。天皇陛下を憚って、自分で一尋鰐の説明はしていない。

 

  1. 母の豊玉姫は、竜神にして国津神だが、天津神の子を産んだ。これが逆転に当たるので、父君も驚いた。霊界物語には、国津神と天津神が一部逆転することも書いてある。

 

  1. 屋根を葺ききれないうちに重要な子を生んだのは、スサノオが高天原の衣服工場の屋根を破って馬を投げ込んだ故事を承ける。スサノオはその時点で、天国と地獄の結婚(誓約、伊都能売)を経ていたが、世界の経綸(稚比売の命の機織) は揺り戻した。しかしながら、ここで聖王鵜葺草葺不合命が誕生したことで世界の経綸は完成に近づいた。

 

  1. ここに、光も闇もあらゆる双極をも包含した完全無欠なる美しい、且つ尊い国が出来、天下泰平となった。

 

  1. 誰もそんなことは夢想だにしないかもしれないが、天皇陛下は、万国を一つに平定されるシーンがある。

 

  1. ここで古事記の上巻は終了。出口王仁三郎は、古事記の上巻にある事は、大抵ミロク出現前に、総ての事が実現することになっていると述べている。天皇陛下が海外に行宮を設けられるようなことがあるのだろうか。

 

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海幸彦山幸彦-3

2023-01-27 03:53:25 | 無限の見方・無限の可能性

◎潮乾珠、潮満珠、両方揃って伊都能売の魂

 

海幸彦山幸彦のストーリーの続き。

『そこで、この弟の火遠理命が泣いて嘆き、海辺にいた時、塩椎神(しおつちのかみ)が来て、火遠理命に尋ね、「なぜ、虚空津日高(そらつひたか)が泣き嘆いているのか」と言った。火遠理命は答えて、「私は、 兄と釣り針を取り替えて、その釣り針をなくしてしまいました。そして、 兄がその釣り針を返すよう求めるので、たくさんの釣り針で償いましたが、兄はそれを受け取らず、『やはりもとの 釣り針がほしい』と言いました。そ れで、困って泣いているのです」と

言った。

 

すると、塩椎神は、「私が、あなた様のために善い手だてを考えましょう」と言って、たちどころに 隙間のない竹の籠(無間勝間)を作って小舟とし、 その船に火遠理命を乗せて、教えて言うには、 「私がこの船を押し流したら、暫くそのまま行きなさい。よい潮路があるでしょう。すぐにその潮路に乗って行けば、鱗のように並び立った宮殿がある。それが綿津見神の宮です。その神の宮の門に着くと、そばの井戸のほとりに 神聖な桂の木があるでしょう。そうしたら、その木の上にいらっしゃれ ば、その海の神の娘が、あなたを見つけて相談に乗ってくれるでしょ う」と言った。

 

そこで、教えにとおりにやや行ったところ、すべてその言葉どおりであった。それで、その桂の木に登っていらっしゃった。そうして、海の神の娘豊玉毘売の下女が、玉器を持って水を汲もうとした時に、井戸の中に光が見えた。下女が上を仰ぎ見たところ、麗しき青年がいた。下 女は、たいへん不思議なことだと思った。 そして、火遠理命は、その下女を見て、「水が欲しい」と求めた。

下女はすぐに水を汲んで、玉器に入れて差し上げた。これに対し、火遠理命は、その水を飲まずに、御首に掛けた玉飾りをほどいて口に含んでその玉器に吐き入れた。すると、その玉は器にくっついてしまい、下女は玉を離すことができなかった。それで、 玉をつけたまま豊玉毘売命に差し上 げた。

 

さて、豊玉毘売はその玉を見て、下女に尋ねて、「もしやだれか人が門の外にいるのですか」と言った。下女は答えて、「人がいて、私どもの井戸のほとりの桂の木の上にいらっしゃいます。たいへん麗しい青年です。われらが王にもまして、とても高貴な様子です。それで、その人が水を求めたので、水を差し上げたら、その水を飲まずに、この玉を吐き入れたのです。これは離すこと ができません。それで、入ったままにして持って来て差し上げたので す」と言った。

 

そこで、豊玉毘売命は不思議なことだと思い、外に出て火遠理命を見て、たちまちその姿に感じ入り、目配せをして、その父に申すには、「私の家の入り口に立派な人がいます」と言った。そこで、海の神が自ら外に出て、火遠理命を見 て、「この人は、天津日高の御子、虚空津日高だ」と言って、すぐに家の内に連れて入り、海驢の皮の敷物を幾重にも重ねて敷き、またその上に絹の敷物を幾重にも重ねて敷き、その上に座らせて、たくさんの台に載せるための物を用意し、ご馳走して、すぐにその娘の豊玉毘売と結婚させた。そうして、火遠理命は三年になるまでその国に住んだ。

 

さて、火遠理命は、初めにその国にやって来た時の事を思い出して、大きなため息を一つついた。すると、豊玉毘売命がこのため息を聞いて、

父に申していうには、「火遠理命は、この国に住んで三年になりますが、その間いつもは、ため息をつくことなどなかったのに、昨晩は大きなため息をひとつつきました。もしかしたら何かわけがあるのでしょうか」と言った。それで、その父の大神が、婿に尋ねて、「今朝、私の娘の話を聞いたところ、『三年いらっしゃって、いつもは、ため息などついたことがないのに、昨晩は大きなため息をつきました』と言っていました。もしや、何かわけがございましょうか。また、 あなたがこの国に来たのはどういう理由があってのことでしょうか」と言った。これに対し、火遠理命はその大神に、なくなった釣り針の返却を兄が催促した様子そのままに、委細洩 らさず語った。

 

そこで、海の神は、海にいる大小の魚をすべて召し集め、尋ねて、「もしやこの釣り針を取った魚はいるか」と言った。これに対し、諸々の魚は、「最近は、鯛が、『喉に骨が 刺さって、物を食べられない』と嘆いて言っていました。だから、きっとその針を取ったのでしょう」と申 した。

 

そこで、鯛の喉を探ると、釣り針があった。すぐに取り出して洗い清め、火遠理命に差し出した時、綿津見大神が火遠理命に教えるには、 「この釣り針をその兄にお与えになる時に、『この釣り針は、ぼんやりの針・猛り狂う針・貧しい針・役立たずの針』と言って、後ろ手にお与 えなさい。

 

そうして、その兄が高地に田を作ったら、あなたは低地に田を作りなさい。その兄が低地に田を作ったら、あなたは高地に田を作りなさい。そうしたら、私は水を支配しますから、三年の間、きっとその兄の方は収穫がなく貧しくなるでしょう。もしもそうしたことを恨んで戦を仕掛けてきたら、塩盈珠(しおみちのたま)を取り出して溺れさせなさい。そうしても しも嘆いて赦しを求めてきたら、塩乾珠(しおひのたま)を取り出して生かしなさい。このようにして、 困らせ苦しめなさい」と言って、塩盈珠・塩乾珠を合せて二つ授け、すぐにすべてのわにを召し集め、尋ねるには、「今、天津日高の御子、虚空津日高が、上つ国においでなさろうとしている。だれが幾日でお送り申し上げて復命するか」と言った。

 

すると、めいめいがそれぞれの身長に応じて日数を申すなかで、一尋わにが、「私は、一日で送って、すぐに帰ってきましょう」と申した。 そこで、その一尋わにに、「それならば、 お前がお送りして差し上げよ。もしも海原の真中を渡る時には、恐ろしい思いをさせないようにせよ」と仰せられ、すぐにそのわにの背中に火遠理命を乗せて送り出した。』

 

これに対する出口王仁三郎の解説は以下。

 

『さうして竜宮に行つてから、自分の落した釣鉤の事に就て来れる所以を御話しになつた。それから豊玉比売を妃として、三年海外に留学をせられたと云ふ事になる。つまり日本国にメナシカタマの舟が現れて来て、それに乗つて、初めて皇道の光が稍発揮しかけて来た。三年程の間に、皇道の光が発揮しかけて来たのである。丁度今日の時代に適応して居るのであります。

 さうして居る中に、火遠理命は以前の事を思うて、大きな歎きを一つし給うた。即ち昔の事を思うて、斯う云ふ結構な教が我国にある。

『澆季末法の此世には、諸善竜宮に入り給ふ』

と和讃に誌されてある通り、本当に我国には誠の教、本当の大和魂、生粋の教があつたのである。さう云ふ結構な教があつたのを知らずに、三年間居つた。此の真直なる山幸を捨てて、さうして海幸になつて居つたと云ふ事を、初めて悟られて、大に誤つて居つたと云ふ事を、神界に於て歎かれたのであります。ここに大なる歎きをせられたので、綿津見の大神は、豊玉姫命に其の訳を聞かれると是々爾々と云ふ事であつた。そこで綿津見の神は大小の魚共を悉く集めて、鉤の行方を探した。其の魚の中でも名を知られて居る、例へばウイルソンの如く、其の名を世界に知られて居ると云ふやうな魚を名主、此魚の中の一番王様といういふのが鯛であります。その鯛の喉に鉤が詰つて居つた。つまり口では旨い事を云つて居るけれども、何か奥歯に物が詰つた様な、舌に剣がある様な、引つかける所の言葉、釣鉤の様な言葉がある。国際連盟とか、平和とか、民族自決とか、或は色々の事を言つて居りますけれども、釣鉤といふものを口の中に入れて居る。みな言葉で釣つて了ふのであります。正義人道とか、平和とか云つて、戦はしないと言つて居る。其の尻からどんどん軍備を拡張して、己の野心を逞しうせむとしつつあるのであります。所謂此の鯛の喉に、海幸彦の鉤が隠れて居る。其の鉤を発見して之を持ち帰つて来た。つまり鯛の言ふ事は当にはならぬ。総て斯う云ふものを喉に引つかけて居る。斯くして綿津見の神の力に依つて之を発見して、さうして之を貰つて、御帰りになると云ふ事になつたのであります。

 かくて其の兄に、此の鉤を渡す時に、憂鬱針、狼狽針、貧窮針、痴呆針と言つて、手を後に廻して御返しなさいと、綿津見の神が言はれた。兄とは兄の事で、外国思想にかぶれたものである。今日は物質の世であるから、外国が兄である。三つ位の日本の弟と、七つ位の兄と喧嘩すれば、何うしても弟が負けるにきまつて居る。それから此の大きな鯛の、所謂ウイルソンか何か知らぬけれども、其の中の鉤を持つて帰つたといふ事であります。それで世界の平和とか、文明とか言つて居るけれども、これを有難がつて居る連中の気が知れないのであります。

 憂鬱針──今日は所謂憂鬱針に釣られて居るのであります。即ち物質文明と云ふもので、世が乱れて来た。或はマツソンの手下となつて居るといふ有様である。憂鬱病にかかつて、自殺したり、或は鉄道往生をしたり、もう悲観し切つてしまつて、何をしても面白くないと云ふ人間計りであります。

 狼狽鉤──是は非常に狼狽して居るといふ状態で、例へば政治界を見ても、外交上の狼狽、即ち支那問題とか、朝鮮問題とか、其の他思想上の問題一切のものが、皆狼狽をして居る。是が狼狽針であります。

 貧窮針──是は申すまでもなく貧乏の事であります。

 痴呆針──馬鹿を見る事であります。日本人全体には大和魂があるけれども、外国の横文字にはほうけて阿呆になつて居る。横文字も必要ではあるが、それにほうけて自分の懐には何もない。大和魂がないといふのは所謂痴呆針にかかつたといふ事であります。折角竜宮迄行つて、何んな釣鉤を持つて帰つたかといふと、こんなもの計りであつた。

 綿津見神が続けて申されるのには、是等の鉤を兄上に返すには後手に御渡しなさい。さうして若し兄が怒つて高田を作つたならば、汝が命は下田を営り給へ。若し兄が下田を作つたならば、汝が命は高田を営り給へと申されたのは、何でも反対に行けといふ意味であります。つまり外国が若しも笠にかかつて出てきて戦争をしかけたならば、此方は慎んで戦争をせない様にせよ。若し又日本に向つて無理な事を言つて来る、人道に反した事を言つて来るならば、此方は充分に皇道に基いて、正々堂々誠の道に高く止つて、其の手段を取れ。斯ういふ様な事であります。さうして潮満珠と潮乾珠といふ二つの宝を持たされました。若し飽くまで先方が反対して来るならば、潮満珠を御出しになれば、必ず水が湧きでて兄様を溺れさせますし、若しあやまつたならば、潮乾珠の方を出して活かしてやり、活殺自在にたしなめておやりなさい、と申されました。即ち是は仏教で申しますと、如意宝珠の珠といふ事であります。

 此の潮といふ事は、火水相合致したものでありまして、吾々は皆一人々々潮乾珠、潮満珠を持つて居るのであります。之を言霊学上からいひますと、伊都能売の魂といふ事になります。』

(出口王仁三郎全集 第5巻【言霊解】皇典と現代 海幸山幸之段から引用)

 

ポイントは、以下。

  1. 日本国にメナシカタマの舟が現れて究極に至る冥想の道が開きかけた。

 

  1. 海幸は曲がった教え。三年の竜宮留学中に、日本にも山幸というまともな教えがあることに今まで気づかず、そのことを大いに嘆かれた。

 

  1. 魚の王である鯛の口に刺さった鉤は、平和とか、民族自決とか、正義人道とか、LGBTとか、SDGsとか、平和とか、みな有名人や権力者の美々しい言葉で釣って、その裏で着々と軍備を拡張し、軍事的圧力を背景に弱小国から収奪せんとしている姿。海幸彦は、言葉はきれいだが、その実はあてにならないということ。山幸彦は、どうしても見つからなかった鉤を綿津見の神の力を借りて発見することができたのだ。

 

  1. 綿津見の神は、山幸彦に、此の鉤を渡す時に、憂鬱針、狼狽針、貧窮針、痴呆針と言って、手を後に廻してお返しなさいと教えた。これは、山幸彦が海幸彦に鉤を返す時に、海幸彦が不幸になるように呪いをかけたように見えるが、さにあらず。もともとその鉤は憂鬱針、狼狽針、貧窮針、痴呆針という役に立たないものであっただけのこと。

 

  1. 綿津見の神は、さらに『この鉤を兄上に返すには後手に御渡しなさい。そして何事も兄海幸彦の行うのと反対に行いなさい』とは、外国スタイルを行わず、正々堂々誠の道に即した日本のやり方で行いなさいということ。

 

  1. この潮という意味は、火水合致したもので、我々は皆一人々々潮乾珠、潮満珠を持っている。これが、両方揃って伊都能売(完全人、アダムカドモン)の魂であって、天国と地獄をも超えていくものとなる。これが冥想修行の目標の一つとなる。

 

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海幸彦山幸彦-2

2023-01-26 06:48:33 | 無限の見方・無限の可能性

◎恐るべきライフ・スタイルの統一化と日本

 

海幸彦山幸彦と言っても、最近は知らない人も多いかもしれないので、まずはそのストーリー。

 

『火照命(ほでりのみこと/海幸彦)は、海の獲物を獲る男として大きな魚・小さな魚を取り、火遠理命(ほおりのみこと/山幸彦)は、山の獲物をとる男 として毛の粗い獣・毛の柔らかい獣を取っていた。そうして、火遠理命 が兄の火照命に対し、「それぞれ道具を取り替えて使ってみたい」と言 って、三度乞い求めたが、火照命は 許さなかった。しかしながら、最後にやっと取り替えることができた。

 

そこで、火遠理命は、海の獲物を取る道具を使って魚を釣ってみたが、 全く一匹の魚も釣れなかった。また、 取り替えてもらった釣り針を海中になくしてしまった。そこへ、兄の火照命がその釣り針を返してくれと、「山の獲物も、海の 獲物も、やはり自分の道具でなくてはうまくとれない。今はそれぞれの道具を返そうと思う」と言った ところ、弟の火遠理命は答えて、 「あなたの釣り針は、魚を釣った時 に、一匹の魚も釣れずに、とうとう海中になくしてしまいました」と言った。すると、兄はどうしても返せと言って聞かない。

 

それで、弟は腰に帯びた十拳の剣を折り、五百もの釣り針を作って償ったが、兄はそれを受け取らなかった。 弟はまたさらに千の釣り針を作って償ったが、兄は受け取らず、「やはり正真正銘の元の釣り針をもらいたい」と言った。』

 

これに対する出口王仁三郎の解説は以下。

 

『古事記の上巻に、火遠理命が竜宮に御出でになつて、潮満の珠を御持ち帰りになりました、といふことが載つて居ります。今其の大略を現代に合せて、講義を致したいと思ひます。何時も申す通り此の古事記は古今を通じて謬らず、之を中外に施して悖らない、と云ふのでありまして、神代の昔も今日も、亦行く先の世の総ての事も、測知することが出来る様に書かれてあるので、是が天下の名文である所以であります。而して此の古事記の上巻にある事は、大抵ミロク出現前に於て、総ての事が実現する事になつて居ります。前の方は略して、次の項から御話致さうと思ひます。

 

(中略)

 

火照命の経綸は海幸彦で、釣鉤の事であり、火遠理命の経綸は山幸彦で、弓矢であります。矢と云ふものは一直線に、目的に向つて進んで行つて、さうして的にあたるのであります。海幸彦は外国の遣り方で、鉤に餌を付けて美味いものの様に装うて居る。さうすると魚が出て来て、釣鉤があると知らずに呑んで、生命を取られてしまふのである。今日の日本の国民全体が、総て日本の遣り方は古いとか色々の事を言うて、一切の事を軽んじて、さうして外国の鉤に餌が、ぷんぷんとして居るのに、総ての者が心を寄せて居る。然るに之を食べて見るが最後、口を引つかけられて生命を取られて了ふ。一方の矢の方は、己を正しうして後に放つて始めてパンと適る。此方が正しくなければ何うしても的に適らぬのである。餌の方は此方が仰向けになつて寝て居つても引つかかるのであるが、矢の方は中々練習を要する。魂と肉体とが一致せぬことには、山幸は出来ぬのであります。

 

それで山幸彦は日本の御教で、即ち火遠理命は、皇祖皇宗の御遺訓を真直に、正直の道を以て、此の世の中を治めて行くと云ふので、つまり之を諷されたのであります。

 

海幸彦の方は権謀術数の方法を用ひる。旨いものを前に突き出して、さうして其の実質は曲つて居る。旨いものだと見せて、其の頤を引つかけて了ふ。此の海幸と山幸とは、大変違ふのであります。海幸彦の方は鹽沫の凝りて成るてふ外国即ち海の国であります。山幸彦は日本の国の事であります。所が他人の花は美しく見える、又自宅の牡丹餅より隣の糠団子と云うて、自分の商売よりも、人の商売は結構に見えるのであります。であるから、誰でも商売を変へたいと思つて居る。日本人は外国人を結構だと思つて居るし、外国人は日本人を結構だと思つて居る。日本人は外国人を頗る文明の国で良い所ばかりだと思つて居るが、豈図らむや裏の方に行つて見ると、惨憺たる地獄の状態であると云ふ事が分るのであります。

 

それで山幸彦は海幸彦を、一つ試して見たいと思つた。是が所謂和光同塵であつて、向ふの制度を日本に移し、日本の制度を向ふに移さむとされたのであります。丁度今日の日本人一般が、此の釣鉤にかかつて居るのであります。而も此の釣鉤たるや、太公望の様な真直な鉤ではない、皆曲つて居つて、餌がつけてある。然し何うしても日本に之は合はぬから、得る所は一つも無い、のみならず合はぬから、海へ落したと出て居ります。

又海幸彦も山猟には失敗した。矢張り是は外国には適当せぬのであります。国魂に合はぬのであります。それで矢張り元の通りに換へよう、外国は外国の遣り方に、日本は日本の遣り方にする、到底日本の皇祖皇宗の御遺訓を、其のまま外国に移す事は出来ない。又向ふの国のものを、其のまま日本でやる事も出来ぬ。

 

元通りにやると云ふ時に、如何なるはづみか知らぬが、元の鉤は海へ落ちて無い様なことになつた。そこで海幸彦は元の鉤を返して呉れ、と云ふ請求が喧しい。

 

日本の国は外国の文明を羨望したので、明治初年外国文明が入つて来た。さうして日本文明を之と交換したのである。所謂外国は日本の国を指導して、自分の貿易国にしようとか、或は之で引つかけようとか思つたに違ひない。所が既に其の鉤は、海底に沈んで了つた。丁度向ふの教は日本の国に持つて来ると、恰も熱帯の植物を寒帯へ持つて来た様に、到底育つ事が出来ない。此方のものも、向ふには適当せぬと云ふ事になる。

 

さうすると其の賠償として、御佩せる十拳剣を破つて五百鉤を作つて償はうと思つた。日本武士が二本さして居つたのが、帯刀を取られて了ふ。一本差も取られて了ふ。丁度廃刀令を下すの余儀なきに立到つたのである。是が十拳剣を破つて色々の鉤を作られた事で、所謂昔の剣より今の菜刀、斯う云ふ事になつて来た。昔は武士は喰はねど高楊枝と云つて居たが、今は中々さう云ふ事は出来ない。矢張り饑いので、千松の様な事になる。その為に十拳剣をすつかり取つて、向ふの言ふ通りになつて、丸裸丸腰になつて了うた。

 

それでもまだ向ふは得心が行かない。元の鉤を返せ返せと云つて頻に迫る。併し日本の貿易国にしようとか、旨い事を考へて居つた其の鉤は落ちて了つた。さうして却つて此方から、カナダや米国に移民したり、或は英国の植民地に移住するとか云ふ様な事で、鉤の方の国の方へ、日本人がどんどん行つて了ふ。今度は日本人が鉤を使ふやうになつて来た。それが為に、海幸彦は元の鉤を得むとして頻に責めるが、向ふの国は御維新前には何うかして旨い汁を吸ひたいと考へて居つたが、今日となつては、ああして置いては大変だ、吾々は枕を高うして眠る事が出来ぬ。それで一刻も早く何とかして、利権を獲得して了はうと云ふ考えを起して居るのであります。所謂元の釣鉤を望んで居ると云ふやうな事が諷されてあるのであります。それが今日、現実的に実現して居るのであります。』

(出口王仁三郎全集 第5巻【言霊解】皇典と現代 海幸山幸之段から引用)

 

ポイントは以下、

 

1.古事記の上巻にある事は、大抵ミロク出現前に、総ての事が実現することになっている。海幸彦山幸彦もその一つ。

2.海幸彦は、外国即ち海の国。山幸彦は日本の国。

3.日本人一般が、海幸彦の釣鉤に自ら望んでかかってみるが、やがて騙されたことに気づき、一方西洋側も日本のやり方が合わないので、戻そうとする。

これは、明治以来脱亜入欧で西欧の文明や制度をどんどんと導入してきたが、日本の文化伝統にどうしても合わないところがあった。しかしながら日本は戦前に世界の列強と肩を並べ、敗戦後は世界の経済大国となって、西欧の思惑である日本の三流国化という点では、うまくいかなかったので、『貸した鉤を返せ』ということになった。明治期は、廃刀、廃仏毀釈だったが、今は日本人の清よ明けき心から来るところの天皇崇拝、古神道と仏教両立の信仰から来るところの日常生活、習慣、伝統というものを破壊にかかっている。これが全体でみると『鉤を返すために剣をつぶして鉤を1500も作ったが海幸彦は了解しなかった』ということ。

 

西欧文明による東洋の生活スタイルや伝統の破壊の趨勢は圧倒的で、いまやどんな後進国でもスマホを手に持ち、マインド・コントロールされながらの日常生活がほとんど世界均一になっているのは、恐るべきライフ・スタイルの統一化である。その内面は、金優先、メリット・デメリット優先の地獄的様相であるのもこれまた世界共通と言わざるを得ない。

 

個々人がそれぞれの欲望を実現しようとする場合、共通の理念、思惟形式、文化的伝統がないと、大方は戦争になる。「戦争は近い」というのは、このあたりの消息である。

 

山幸彦は、元の鉤を返せと無理難題を吹きかけられて窮したとは、日本は今となっては西欧化をやめれるはずもないので、かえって完全に西欧化せよと迫られて窮したということ。

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海幸彦山幸彦-1

2023-01-25 07:11:23 | 無限の見方・無限の可能性

◎無間勝間(めなしかたま)の神船に乗り神を知る

 

出口王仁三郎は、古事記の重要部分については、古事記言霊解として特に注釈を施している。

その最後のパートが海幸彦山幸彦。

 

海幸彦は、西洋にして近代西欧文明で、謀略を旨とする。山幸彦は日本であって正直素直の清よ明けき心を旨とする。古事記には、金銀本位制の西洋という言葉も、仲哀天皇の段に登場してきており、飛行機もなく潜水艦もなく外洋船もない古代に、日本と海外の往来、角逐をことさらに問題する古事記があるのは、不思議なことだと言わざるを得ない。

 

海幸彦山幸彦の段には、進退に窮した山幸彦が、

ヨーニムドラーを思わせる無間勝間(めなしかたま)の神船に乗り神を知る件りが出てくる。これにより、神を知った山幸彦が海幸彦に押されっぱなしであった形勢を逆転し、やがてみろくの時代を成就していく。

 

米ロが戦って日本が仲裁に入るとか、世界的武装解除の時期は天皇陛下の役割が大きいとか、東京で仕組みを駿河美濃尾張などといろいろな予言はあるが、基本線は、普通の日本人が冥想により神に目覚めるということで紛れはないと思う。

 

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天の岩戸開きの密意-2

2022-12-28 06:27:43 | 無限の見方・無限の可能性
◎天の岩戸を開いて弥勒の世へ

玉祖命(たまのおやのみこと)に『珠(五百津之御須麻流之珠:いほつのみすまるのたま)を作らしめ』、 『天の香山の真男鹿の肩を打抜きに抜きて』の鹿角を焼いて今後の対応を占うことになった。天の香山というのは鼻をシンボライズした山。
 占いの結果、岩屋戸を開くについてはフェスティバルを行って天神地祇を祭らなくてはいけないという神意になった。

『真賢木を根抜に掘て、上枝に八咫の勾珠の、五百津の御統麻琉の玉を取り著け、中枝には、八咫鏡を取りかけ、下枝に、白丹寸手、青丹寸手を取り垂でて』
真賢木に玉を取りつけ、鏡を掛け、幣を下げ、布刀玉命がこれを捧げ、天児屋命(あめのこやのみこと)が、天照大御神が岩戸からお出ましになるように祝詞を奏上した。

『天の宇受売命、天の香山の天の蘿(ひかげ)を、手次に繋(つ)けて、天の真析(まさき)を鬘(かずら)として、天の香山の小竹葉を手草に結ひて、天の岩屋戸に空槽伏せて』
いろいろの葉を頭につけたり、葛を襷にかけたりして、岩屋戸の前へ行って、桶に乗って、起きたり逆様になったり、足拍子を取って、どんどんどんどんやった。
『踏み動響し、神懸して、胸乳を掻き出で、裳紐を陰上に押し垂れき』
岩屋戸を開く為に、宇受売の命が起きたり、逆様になったり、一生懸命に神懸りをやった。宇受売命、すなわち男勝りの女が、国難に際して、トランスに入り、飛んだり跳ねたり、見せてはいけないところを見せたり、今日明日のことで沈鬱な国民の心をオープン・マインドさせ、『かれ高天原、動りて八百万の神、共に咲(わら)ひき』と、一度にどっと笑った。

これは、伊勢神宮が室町後期に廃絶しかけていたのを、勧進の音頭をとったのが神道家でなく、仏教の尼さんだったことを思わせる。本当の危難においては男まさりの女性の本気の活躍がターニング・ポイントとなる。

『ここに、天照大御神、怪しと思ほして、天の岩屋戸を細目に開きて、内より告り給へるは』
日本も世界も真っ暗闇になって、神々は途方に暮れているだろうと、天照大御神が思っていたら、豈はからんや岩屋戸の外で、太鼓を打つ、鐘を叩く、笛を吹く、どんどん足拍子がする、宇受売の命が嬉しそうに噪(さわ)ぐ、八百万の神たちが一緒になってどっと笑い楽(えら)ぶ。余りに不思議に思われて岩戸を細く開き、中から仰せになった。
『吾が隠れますに因りて、天の原自ら闇(くら)く、葦原の中津国も皆闇けむと思ふを、何て天宇受売は楽(あそ)びし、亦八百万の神、諸々笑ふぞ』
何故そんなにおかしいか。
すると天宇受売命が、
『汝が命に益りて貴き神坐すが故に、歓咲ぎ楽ぶと申しき』
およそその国に大国難が起こったときは皆なの顔色は土色に変るものである。ところが神を知るという体験とは言えない体験を経れば、大国難もやれ来たそれ来たと、勇んで談笑遊楽のようなオープン・マインドの間に処理する事ができる。平常心是道。

天照大御神は、「何故、皆さんは笑うのか」とお尋ねになった。そこで、天宇受売命は、「あなたより優った偉い神様がおいでになったから喜び勇んで居ります」と答へられた。

そこで、布刀玉命と天児屋命が鏡を差し出した。鏡と言えばまず姿見を思うが、そうではなく、ここは八百万の神たちの誠の言霊を見せたという意味もある。

八咫の鏡は太古には七十五声の言霊。八百万の誠の神たちが各々に七十五声をそろえたことにより、再び天上天下が明るくなった。つまり献饌し祝詞を上げて鎮魂帰神の霊法に則って、全員の声を一つの大きな言霊と為して天照大御神を、見事その言霊に招き寄せたのだ。

つまり、外で大宴会、レーブなどを催して近所迷惑なその騒音の不快さでもって、岩戸をちょっと開けさせたということではなく、鎮魂帰神という冥想により既に岩戸の外は、天照大御神が隠れる以前より明るく正しくなっていたのだ。
それはなぜかと言えば、八百万の神々が大悟覚醒したからである。

『愈奇しと思ほして』(いよいよ不思議だとお思いになり)
そつと細目に戸をお開けになった。天照大御神がその鏡を見たところ、天照大御神よりも立派な神様の姿が映っている???。するとそれがパツと鏡に映つたので、天の手力男神がその手を取って引き出された。

これは、卒啄同機。神の側からも人の側からも相互にプッシュして神に至る。八百万の神とは人々のことで、人々の側も既に大神と同等以上のレベルに達していた。この部分の経緯はとてもあっさり描いていて人類的な苦難など何もないようだが、これぞ覚者の世界観ではある。何も問題のない自分を知っているということ。日々是好日。

さて世界中が照り明るくなったので、今後闇の発生する可能性のある場所は、岩屋の中ばかりとなった。そこで岩屋の岩戸を閉めて悪と邪を封じ込めるのではなく、天照大御神が二度と岩屋に入らないように注連繩(七五三=しめなわ)を張る。つまり影を作らないというやり方で悪を封じ込めるというのは留意すべきだろう。
言霊は、すべて七五三の波を打っていくもの。かくして注連繩を引き渡して、一度岩戸が開いた以上は、再び中に還らないようにと布刀玉命が申し上げた。

人は悟る際に、2、3柱の高級神霊サポートがあるというが、ここでは布刀玉命と天児屋命と、特に天の手力男神。引っ張ってくれる神様がいらっしゃるのだ。
それにもまして、冥想修行中の目鼻もつかない時期に、伴走、応援してくれる天宇受売命の役割は大きい。

それは個人の覚醒の説明だが、世界全体として見れば、もともと天国だったのが、万人(八百万の神)の冥想修行の努力により、闇夜から日向に変わり、至福千年、弥勒の世に転換するということ。

個人から世界全体への逆転というポイントについては、八百万の神々の言霊が、ただ一つの八咫の鏡に転換したという部分だが、わかりにくい。多くのものをまとめるというように見れば、理解はしやすいが、逆転、倒立のニュアンスは出ない。神の側からみれば、最初から一つの世界全体は、神知った後も一つの世界全体で変わらないが、それは人の視点からの表現ではないと思う。

(参照:霊界物語第12巻第三〇章 天の岩戸/出口王仁三郎)

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天の岩戸開きの密意-1

2022-12-27 06:52:58 | 無限の見方・無限の可能性
◎岩戸閉めから鏡を作るまで

古事記では、天の安の川原で天照大御神が素盞嗚尊と天の安の川原で仲直り誓約をとり行い、ここに天国と地獄が結婚し、男女両性具有がなった。ところが素盞嗚尊の眷属たちが、もともと最初に難癖をつけて来たのは天照大御神の方なので気持ちが収まらないとして高天原で大暴れ。これを見て、天照大御神は、自ら岩屋を建造して岩戸を閉めそこに引きこもったので、世界全体が光を失い、真っ暗闇になった。

世の中全体が真っ暗闇になったからには、政治も内政も外交も乱れ、風俗も紊乱し、窃盗、強盗、詐欺が横行してくる。

『是を以て八百万の神、天の安河原に神集ひに集ひて』
すべてを洗い清めることのできる場所にして、何も圧力を受けることのない場所に、上下貴賤の区別なく総ての人々が、潔らかな精神をもって、国を憂い、国家を救わなくてはならないという気持で、集まった。

『高御産巣日の神の御子、思兼の神に思はしめて』神知る覚者に岩戸を開ける方法を冥想させて、
『常夜の長鳴鳥を集へて鳴かしめて』
永遠無窮に日月と共に、国事について憂い活動をしている人に自由に意見を述べさせた。

その結果、
 『天の安の河の河上の天の堅石を取り、天の金山の鉄を取りて、鍛人(かぬち)、天津麻羅(あまつまら)を求(ま)ぎて、伊斯許理度売(いしこりどめ)の命に科(おほ)せて鏡を作らしめ』
真理のシンボルの堅石は悟りのこと。金山の鉄とは金・マネー。これらによって、世を治めるのに必要な道具や兵器そして鏡を作らせた。

鏡は、人物と霊能の反映だが、神にして言霊でもあるので、皇室の宝物にもなっている。言霊七十五音を真澄の鏡と言い、八咫の鏡は即ち七十五声の言霊。

言霊については、過去何回か述べているが、発音の問題でもなく、発声法の問題でもなく、本人が神を知っていなければ、正しき言霊にならない。

そこからすると何十人か集まって発声すれば、正しい言霊になるなどというのは、厳しいかもしれない。

天の安の川原で、男女両性具有、天国と地獄の結婚という悟り一歩手前まで行ったが、完全な悟りでないがために揺り戻してしまい、かえって世の中真っ暗闇になった。そこで心ある人々と悟った人が集まって、協議して対策を立てるのだが、最初に行うのは、各人が悟る(神知る)ことだった。それが鏡を作る材料の一つであるということ。

(参照:霊界物語第12巻第三〇章 天の岩戸/出口王仁三郎)
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十牛図はどこで逆転するか

2022-12-11 07:13:32 | 無限の見方・無限の可能性
◎禅には、悟りで遊ぶという段階が薄い

十牛図は、第三見牛で見性、見仏する。どこでニルヴァーナに到達するのかと言えば、第八人牛倶忘である。牛は、宇宙全体、第六身体アートマンの謂い。

十牛図は、第三見牛以降は次のように並ぶ
第三 見牛、
第四 得牛、
第五 牧牛、
第六騎牛帰家
第七忘牛存人
第八人牛倶忘

全体の流れで言えば、第三見牛で見性したので、以後第七忘牛存人までが、悟り後の修行、聖胎長養となる。

例の雑念、想念を消す修行は、第五牧牛の序(慈遠禅師)に「ある意識が起こるやいなや、後から他の思いがくっついてくる。本心に目覚めることによって、真実を完成するのであり、それを見失っているから、迷妄なのだ。対象のせいでそうなるのではなくて、自己の心が起こしているに過ぎぬ。牛の鼻の綱を強く引くことだ、もたついてはならぬ。」と、出ているが、チベット密教とは違い、さも自分のコントロールで雑念、想念を消せるが如く書いているのは、単刀直入な禅らしい風情である。

※訓読
「前思わずかに起これば、後念相随う。
覚に由るが故に以って真となり、迷に在るが故に而も妄となる。
境によって有なるにあらず、唯だ心より生ず。
鼻索牢く牽いて擬議を容れざれ。」

第七忘牛存人では、牛は自宅に隠れ姿を見せない一方で、自分は、天地創造以前の一筋の透明な月の光で改めて仏を確認できている。だが、まだ見ている自分が残る。
頌に「紅日三竿猶お夢を作す。(朝日が高く昇るころになっても、まだ人はゆめうつつ。)」とあり、まだ夢を見ているようでは、完璧な悟りではなく、見ている自分を残している。熟眠中に夢を見ないという課題が達成できていないのだ。

第八人牛倶忘でようやく自分個人と世界が逆転。第八人牛倶忘では、いままでの人と牛の分離はまるで最初からなかったかのように、また世界全体と一体化するという神秘体験もまるでなかったかのように説明している。だから、未悟者にとっては、自己と世界全体の逆転ということは、十牛図を見渡してもともすれば気がつきにくい。
 
『第八人牛倶忘
   
序(慈遠禅師)
迷いの気持が抜け落ちて、悟りの心もすっかりなくなった。仏のいる世界に遊ぶ必要もなく、仏のいない世界にも足をとめずに通り抜けなくてはならぬ。凡聖のどちらにも腰をすえないので、観音の千眼さえ、この正体を見てとることはできない。鳥が花をくわえてきて供養することなど、顔の赤らむ場面だ。

頌(廓庵禅師)
鞭も手綱も、人も牛も、すべて姿を消した。青空だけがカラリと遠くて、音信の通じようがない。真っ赤な溶鉱炉の炎の中に、雪の入り込む余地はない。ここに達して初めて、祖師(達磨大師=中国での禅の始祖)の心と一つになることができる。』

逆転ということで言えば、南泉斬猫の故事がある。
禅僧南泉が弟子たちに「誰かが悟りとは何かを言えれば、猫を斬らない」と宣言したのに、誰も言えなかったので、猫を斬殺した。翌日高弟趙州がこの話を聞くとすぐに、はいていた草履を脱ぐと頭にのせて出ていった。草履を頭に載せるのは逆転の表現。

禅では、逆転のことをあまり言わないのは、教えてあげないことの親切の一環だと見ているのだろうか。

あるいは、世界全体・アートマンと一体化してその精妙なるディテールに遊ぶというステップが、クンダリーニ・ヨーガ系ならあるべきだが、禅ではその段階をすっ飛ばしていきなり第八ニルヴァーナに入るのが禅らしいということなのだろう。

つまりクンダリーニ・ヨーガ系ならば、第七忘牛存人と第八人牛倶忘の間にもう一段階設けるだろうということ。そのもう一段とは、既に宇宙全体と自分の逆転が成ったが、何もかもなし、モクシャ、ニルヴァーナまではまだ進んでいない段階のことである。
それがないのが、禅らしい。

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偽のサマーディに気をつけよう

2022-10-28 06:54:31 | 無限の見方・無限の可能性

◎サマーディとは個人の体験ではない

 

サマーディとは三昧のことであり、ディヤーナ=定とは全く異なる。定は人が出たり入ったりできるが、

サマーディは人が体験するものではないので、サマーディに出たり入ったりすることはできない。

 

サビカルパ・サマーディ(有相三昧)は、いわば世界全体のことであって、個人ではないので出たり入ったりするというのはない。

 

ニルビカルパ・サマーディ(無相三昧)は、ニルヴァーナのことであって、個人ではないので出たり入ったりするというのはない。

 

だから世間でサマーディに入るとか出たとか言っている場合は、眉唾物の可能性があると思う。

 

大雑把に言えば、水中でサマーディは抱朴子の葛玄、火中でサマーディは慧春尼、標高7千メートルの低酸素低温の高地でのサマーディは崑崙山脈の仙人

封鎖洞窟でのサマーディはチベット密教の修行者たちがあり、水中火中土中などいろいろな悪条件下のサマーディはあるものだと理解はしている。

 

だが、苛酷な条件下で冥想することがサマーディではないだろう。つまり、既に神人合一して、宇宙全体が自分と一体となり『宇宙が自分だった』という実感にあっては、『サマーディに出入りする』などという表現はしないものであり、またなにもかもないニルヴァーナにあってもそれを『サマーディに出入りする』という言い回しはしないのではないだろうか。

 

かつまた葛玄も慧春尼も、水中に何日いたから偉いとか火中に何時間いたから偉いとは思っていないのではないか。そういった苛酷な条件の冥想継続時間をサマーディとはいわないのだろう。

 

肉体からそのエッセンスの状態に往復する時間は、私の印象では、せいぜい数秒なのであって、数時間とか数日は、エッセンス・タイムではないと思っている。

 

苛酷な条件の冥想時間の話ではないが、OSHOバグワンは、偽のサマーディについて詳しい説明を残してくれている。多くの人が偽のサマーディに騙されている可能性はあるのではないか。

 

『理解しておくべき、見せかけのサマーディもひとつある。それは第四身体で起こり、サマーディのように見えるが、そうではない。日本の禅僧の言葉によると、それは「さとり」だ。これは見せかけのサマーディだ。それは、画家や彫刻家や音楽家が、完全に芸術の中に没頭している時に到達する状態だ。彼らは大いなる至福を体験する。これは第四身体―サイキックな 次元―で起こる。朝の太陽を眺めたり、メロディーに耳傾けたり、ダンスを見たり、花が咲 くのを眺めたりしている時、マインドが完全に出来事の中に引き込まれると、見せかけのサマーディが起こる。こうした見せかけのサマーディは、睡眠や偽りのシャクティパットによっても、引き起こされる。アルコールや、マリファナ、LSD、メスカリン、ハッシシなどの麻薬によっても引き起こされる。』

(奇跡の探求Ⅱ/和尚/市民出版社P414-415から引用)

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テトラビブロスとエーテル

2022-10-22 07:08:28 | 無限の見方・無限の可能性

◎無数にある世界の見方

 

占星術の古典であるテトラビブロスが和訳されたので、読んでみた。これは、グノーシス的世界観盛んなりし時の産物であって、地上界(物質界)とエーテル界と天上界の三つに世界が区分されているというのが前提になっている。

 

曰く、宇宙の力はエーテルを媒質にして地上に伝搬する。つまり、宇宙あるいは霊界パワーは、半物質たるエーテルを媒介に現実を変容させていく。エーテルは、地球の周りに拡散、浸透しており、世界は、地水火風+エーテルの五元素で構成され変化している。

 

太陽、月、古代五惑星は宇宙あるいは天上の側に存在し、日々人間に影響を与え続けている。

 

当時の人間は、頭人間でなく腹人間であったとしても、人間の側に肉体は勿論、エーテル体あり、霊体(アストラル体、メンタル体)があるという説明にしなかったのは奇妙である。

 

神を知るあるいは宇宙全体を知るということは、特定の世界観にこだわらないという、人間の無限の可能性に生きるということだから、テトラビブロスの時代は、そのような人と天上は別物であって中間にエーテルもあって、天意・神意を知るには、天体の動きを契機に自分の中を覗き込みましょうということにしたのだろうと思う。

 

今や七つの身体論は知られるようになったが、七つの身体論のよくできた説明ですら、無数にある世界全体や人間についての説明の一つにすぎないという。

 

それは何を示唆するかと言えば、えり好みをしない、好き嫌いをしない、先入観を打破するということであって、世界の見方は無数の見方が可能だが、その一つにこだわってはいけないということ。

 

この表現には、万人が六神通のような超能力が使えることが前提になっているようにしか思えない。悟りを超能力獲得のステップとして考えるのはまずいが、逆に超能力には、そういう側面が見え隠れする。

 

さて道教の修行者だった笹目秀和は、崑崙山脈の7千メートル付近に行くのに素手でつかまりながら巨大な鶴(鶴仙)に乗った。これは明らかに超能力だが、どうすれば鶴仙に乗れるようになるのかと崑崙山の仙人に問うと、先入観を持たないことというようなニュアンスのことをアドバイスされるシーンがある。

 

人生を卒業して、転生を終了し、あらゆる先入観を捨てることが、求道の前提であることを真摯な修行者なら知っている。その結果が、大悟覚醒だが、それには、超能力発現も伴うものであって、俗人には想像もできぬ世界観で生きることになるらしい。

 

そこから出る説明が、エーテルと天体と地上連動のテトラビブロスの世界観であったり、えり好みをしないとか、先入観を持たないという誰でもわかる平易な言葉になるのだが、その奥底には未悟の者には想像もできぬ含意があるのだろうと思う。

 

OSHOバグワンが、青いオームの字を目撃する話は、常識として知っておくべき話の一つだろう。

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