アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

サキャ・パンディタ格言集から-1

2023-06-17 06:02:30 | 浅い霊感から神人合一まで

◎現象をよく理解し三昧に心を静め、過失とそのもとを捨て去れば仏になる

 

サキャ・パンディタは、13世紀チベットの人物。その格言では、覚者の処世術を述べるが、オーディンの箴言や、ベン・シラの知恵、ソロモンの知恵のように、表面は単なる古老の経験談に見えて、実は真理の信じられないような深淵から来るところの知見が混じっているものだ。

サキャ・パンディタの格言集から

『441

瞑想すれば聴き学ぶ必要はない、と

愚かで度量の小さい人は言う。

聴き学ばずに瞑想だけに

励んだところで畜生の修行である。

 

442

因果の法には例外はない、とは

一切智者のすぐれた教えである。

学ばずに全智に至るなら

因果の法がどうして真実か。

 

443

聴き学ばない瞑想は

暫くは成就してもすぐだめになる。

金銀はよく溶けても

火から離せばすぐ硬くなる。

 

444

智恵によって深く観察し

過ちの原因を捨てるのが瞑想である。

身体の汚れを洗うように

瞑想しても永いことすると元通りになる。

 

445

すぐれた因果が完成しなければ

たとえ無我を理解しても仏にはなれない。

最高の方便で達成しなくても

真実を見るものは阿羅漢である。

 

446

それゆえもろもろの現象をよく理解し

三昧に心を静め

過失とそのもとを

捨て去れば仏になる。

 

447

智恵がなければ

いい論書でも誰が手にするか。

宝をちりばめた金の飾りは

美しくても牛が見ようか。

 

448

賢者がすべての格言は

真実だと分かりつつ

実践しないのなら

論書を分かってもなにになろう。

 

449

自分に必要な論書は

一日一句覚える。

蟻塚と蜜蜂のように

またたくまに賢者になる。』

(サキャ格言集/岩波文庫P192-195から引用)

 

441について:スマホの時代になって、検索はするが長い書物で学ぶことは以前より少なくなったのではないか。大概の覚者はよく本を読んでいるものであって、冥想だけする者は、邪見に陥りやすいのだろう。

 

442、443について:覚者は、冥想フリークであるだけでなく、よく古典を学んでいるものだ。霊感だけでは、心もとないものだ。

 

444について、現代人は冥想不足で勉強不足だが、ここは当時のチベット僧院の冥想はするが不勉強な様を嘆いている。

 

445について:すぐれた因果の完成とは、精神の成熟をいう。また、ここは知的理解だけでは無我を知ることはできず、見ている自分を残しているが見仏のほうがましだとする。仏になるのは、その先。

 

448について:因果の理法を知っていても、そのとおり善だけを行い悪を行わない人物もいるのだろう。

 

449について:こうした箴言集でも一日一句覚えて、行動を徐々に改めていけば、賢者になり、今生かどうかわからないが、いつか覚者になる。

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