◎未発の中
(2006-07-19)
日本の政治は薩摩長州というのは、戦前だけではなく、戦後も連綿とその影を落としている。一例として、安倍晋三は長州閥代表である。
さて明治維新の大乱の中で、利害得失について大局観を失わずに物事を進めていくためには、個人や一国という人間を超えた立場、己れを捨て去った立場に立たないとならないものである。そこで、幕府方の一人が禅を極めた山岡鉄舟であり、かたや倒幕勢力の薩摩の西郷どんが、これまた禅に打ち込んでいたことはあまり知られていない。
禅なくして、明治新政府の時代を先取りした舵取りの一定の成功はなかったことだろう。新知識、新技術が洪水のように導入されたが、それがそれなりに成功したのは、禅によるバランスのとれた判断力があったと見るべきだろう。
西郷隆盛は、17歳から28歳までの間、一日も怠ることなく、誓光寺の無三住職について禅をしていた。大山巌が、朝早く西郷隆盛の家を訪れると、既に西郷は無三住職の下から帰って来ていたものだという。
ある日西郷隆盛は、無三和尚に言われた。
「貴下の学んでいる儒書には、喜怒哀楽の未だ発せざる、これを中という、とあるが、未発の中とは何か。」
南洲(西郷隆盛)は、さっそくいろいろと説明した。
すると和尚はすかさず言った。「それは文字の講釈じゃ。朱子や王陽明など古人の残り糟をなめる死に学問だ。おまえさんの活きた本物を出して見せなさい。」
南洲は茫然自失し、唖然として答える言葉がなかった。それから一週間、猛然と禅に打ち込み、ついに未発の中を大悟した。
昨今は、知識だけつけて、良い大学に入りさえすれば、将来が開けるとか、難しい資格試験の勉強をして良い資格をとりさえすれば、一生安泰だと思っている人が多い。
ところが資格や高学歴の前に、人生の一大事である『何のために生きるか』について、一つの回答を持っていなければ、人生行路の途中で『うつ』になったり、心身のバランスを崩したりすることが多いのではないか。内面に出なければ、家庭崩壊などの外面に出ることもあるのではないか。
人は、人生のあらゆる局面を「資格」や「学歴」や「知識」や「金」で解決できるものではない。
あの大西郷ですら、10年以上『何のために生きるか』という大問題と格闘した。いわんや市井の凡人ならもっと努力が必要だろう。その方法は、何も臨済禅に限る必要はないけれど、自分にあった冥想によって、納得できるまでアプローチしていく人が増えなければ、日本の未来も、世界の平和も、個々の家庭の安穏もあるまい。