◎水平の悟りと垂直の悟り
6.水平の悟りは、生の側から窮める。垂直の悟りは、死の側から窮める。
以下ダンテス・ダイジ講話から。
『ダンテス・ダイジ「水平の悟りを選べば、水平の悟りっていうのは、面の皮が厚くなることも含めてだよ。鈍感になることも含めてだよ。
垂直の悟りっていうのはまた違った次元に出ることだ。これは決定的に違った次元だ。まさに信じられないような次元だ、死後とは。」
弟子「そのとき、横と縦の次元が完成したとき、立体的に生きる。」(笑い)
ダンテス・ダイジ「理論的にはそうなるよ。』
水平の悟りでは、鈍感になるが、垂直の悟りでは繊細になる。
ダンテス・ダイジの以下のハタ・ヨーガの定義からもそのことが裏付けられている。
『主に、無数のアサナとプラーナヤーマとムドラーによって、デリケートな感受性と柔軟性を実現していく。その結果、各ボディのブロックも徐々に消えていくわけだが、現代の生存競争と現代物質文明に必須の粗雑な自己防衛機能も消滅するエゴの危険も覚悟しておいたほうがいい。』
(アメジスト・タブレット・プロローグ/ダンテス・ダイジ27-28から引用)
※ムドラー:冥想姿勢または体位
水平の悟りとは、生きている人間であるからには素直に選ぶべき選択肢かと思いきや、無数のあらゆる生命たちの、生きるということに対する神秘とその努力から来る渇望感を感じるが、それは恐ろしいことでもある。
垂直の悟りは、クンダリーニ上昇からニルヴァーナを目指す死の世界の道だが、自己防衛機能も消滅するエゴの危険があって、却って生きづらくなるリスクもはらむ。
さらに一般法則として、冥想法とその結果について二重の不確実性がある。
水平の悟りと垂直の悟りが交差するのが冥想十字マップだが、その図式を実体験する道は言うほど簡単ではない。