◎西郷隆盛、勝海舟、山岡鉄舟
明治維新では、幕府方と薩長がいがみ合ってしばしば収拾がつかなかったが、それをまとめたのは、禅で悟った人物たちであった。
具体的には、西郷南洲、勝海舟、山岡鉄舟であった。三者とも見性は済んでいる。
西郷隆盛は、28歳までに、故郷誓光寺の無三和尚に参禅し見性した。誓光寺跡には彼が坐った坐禅石が残っているという。
勝海舟は、墨田区向島の弘福寺で修行。あの幕末の物騒な時に帯刀せず、生涯無刀だった。その結果、剣客に二十回も襲われて、その時の傷痕が、体中に残っていたが死ななかった。自分が死ぬとか傷つけられるということはどうでもよく、他人を傷つけたり殺したり決してしないということに徹していたのだろう。これは覚者の証拠である。
山岡鉄舟は、最後は明治天皇の侍従までやった人。静岡市にいくと西郷隆盛が薩長軍を率いて江戸城攻撃に赴いた際に、山岡鉄舟が幕府方の交渉相手として登場して、江戸を焼き討ちせず無血開城がここで決まったという立て看板が立っている。当時山岡鉄舟は、徳川慶喜の側近として交渉に当たった。剣の達人にして、禅も何回か大悟している。その際の歌。
晴れてよし 曇りてもよし富士の山
もとの姿はかわらざりけり
禅は川口市長徳寺の願翁和尚や、三島の龍沢寺の星定和尚に参じた。
明治維新ドラマと言えば、外国人の暗躍や薩長と幕府方の対決ばかりスポットライトを当てられがちだが、廃仏毀釈の嵐と欧米列強の圧力の中で、敵味方の区別なく人材を活用し、仏教を護持していった禅者たちの活躍はほとんど伝えられることはない。
今、再び世上は騒がしくなりつつある。そうした時代に生きる若い人の中からは、こうした剣と禅あるいは格技と冥想で、勇気と胆力を備えた人物が続々と出て来るのではないかと期待している。
それにしてもあまりにも、スマホ、マスコミなど広義のマインド・コントロールが厳しく、またカルトと詐欺グループの攻勢が厳しく、そうした人物が育ちにくい環境になってしまってはいる。
青少年教育の基本は、愛を信じて他人を信頼し傷つけないというポジティブな姿勢だと思う。だが、時代がここまで落ちれば、青少年といえども、世界にいくつかのネガティブな勢力があることは、スマホを手にした年齢から承知しておくべきだろうと思う。
一つは、世界全体、人類全体を核戦争や人口減少などで滅亡させようと図る勢力。
一つは、日本と日本人を、滅亡させようとする勢力。これは一般には反日教育をしている三か国だが、アメリカを含む欧米、グローバリズム勢力ですら油断できない時代となっている。
今後言論・思想の自由のない時代や軍人内閣の時代があることも予言されている。