◎のっぴきならないリアルな現実
あなたは、最愛の愛人と大親友が目の前で溺れている時に、どちらか一人しか救えないとしたら、どちらを救いますか?
ダンテス・ダイジの講話は、未悟の者が漫然と聞いていると半分以上はわからないで終わる。
以下の話は、過去一度は読んだことがあったが、その恐るべき重要性に今頃になって気がついたので出してみる。
ダンテス・ダイジの講話テープから。
『ダンテス・ダイジ「そうではない。たとえば、A女(最愛の愛人)とB男(大親友)が両方とも溺れていて、どっちを救うかっていったら、どっちを救ってもいいんだ。近い方を助ければ。
共産主義っていうのは、これに立脚しなかったが故に、駄目になっちゃった。こういうクレイジーな智恵に。
それは恐るべき知恵だ。なぜならその瞬間、自分が決断して、そして自分が一番大切なものを失ったときの全面的な悲しみと、しかしそれでも一つの命を助けたっていうことに関する全面的な喜びとが、拮抗しあうだろうよ、多くの人にとっては。その瞬間だ、ジャンプする可能性があるのは!
が、水平の面から言えば、自分の一番近い人から助ければ文句なしだ。僕はどっちがいいとは全然言っちゃいない。ただ宇宙構造の話をしているだけだ。」
C男「そのときジャンプの可能性があるの?」
ダンテス・ダイジ「うん。」
C男「そのときなの?」
ダンテス・ダイジ「まさにそのとき。その決断を下した決断そのものに覚めている。通常の人間ならそこで葛藤が起こるだろう。だからクリシュナムルティっていうのは、ある意味でいえば、ハートより上でしか生きていない。彼は常にそうするだろう。一番近い人から助けるだろう。どちらが大切ということはないと言い切るだろう。でも俺は、全部を生きてるからね(笑い)。時と場合によってどうなるか分からない。俺は七つ(のチャクラ)全部で生きてる。」
C男「クリシュナムルティは、胸から下で生きるとやばいからそうしてるの?」
ダンテス・ダイジ「ではなくて、胸から下で生きたら人類が破滅することを知ってるからだ。一方的に自分が胸から上、ハートから上の世界に生きなければ示しがつかないっていう。自分一人だけでも頑固に。」』
この対話で最ものっぴきならない部分は、大悟覚醒がまさに発生するタイミングが【自分が一番大切なものを失ったときの全面的な悲しみと、しかしそれでも一つの命を助けたっていうことに関する全面的な喜びとが、拮抗しあう】タイミングだと述べているところ。
※水平の面:これは、水平の悟りと垂直の悟りがあって、おおまかに言えば、禅的悟りが水平の悟りで、クンダリーニ・ヨーガの悟りが垂直の悟り。冥想十字マップ参照。
※胸から下で生きる:下方三チャクラで生きることを言う。