◎最初から霊や神仏が絶対的に居るなどということはない
肉体があって、霊があって、諸神霊・諸仏がいて、最後に仏あるいは神がいるというのは、霊がかり好きな人が採用したがる世界観だが、それですら無数にある世界観の一つに過ぎない。要するに最初から霊や神仏が絶対的に居るなどということはない。
だから、ヤキ・インディアンのようにトナールやナワールやイーグルや忍び寄る者などで世界全体を語る者もいれば、古代インドのように輪となった大蛇の上に大きな亀がおりその背中に複数の巨象がいるとする世界観もある。
つまり先に世界の骨子を成す道具立てがあるということではなく、ひたすら自分が世界全体をどう見るかということ。
それを確認するには、悟りを開いて、自分が世界全体にならねばならない。
ダンテス・ダイジが弟子との座談で、珍しく霊での世界の生成と消滅までを語っている。それは次のようなものである。(素直になる/渡辺郁夫編P155)
1.無の段階
2.霊の段階
3.霊の霊の段階
4.霊の現象の段階(霊が現象化している段階)
5.現象が霊と関わる段階(これが現代)
6.現象の現象の段階(完全に物質の中に入っている世界)
7.無の段階(最初に戻る)
ひと頃AIが暴走して人類を奴隷化したり、AIが人類を支配して絶滅させようとする映画が盛んに作られたが、生成AI、ChatGPTは、その現実化の走りとも見ることができる。将棋七冠の藤井聡太は、“現象の現象の段階”であるAIと人間が対抗できる最終ディフェンスラインを死守する最後の戦士みたいなものとも言える。勿論この連日の37度越えの猛暑の中、冥想修行に打ち込む修行者も同じような立場とも言える。“現象の現象の段階”とは、地獄であり、世界全面核戦争後の廃墟の世界であって、神はそれをほとんど許し給わぬことは、世界各地の神話や古伝承に出ている。
また七つの身体論で言えば、第六身体は世界全体宇宙全体だが、自分が世界全体宇宙全体であるサマーディ(有相三昧、サビカルパ・サマーディ)にあって、そこで世界全体が無から始まり、エーテル体から微細身レベルに展開し、最後はニルヴァーナなる無に進む。ただし、その進化の全ステップを確認できるのは、なぜか自分が第六身体と合一した体験を経てからだと言われている。要するに“未悟の99%以上の普通の人”と覚者の間で、その進化の過程に関する共通認識を持つことはできないのだ。
無から始まり無に終わる輪廻のことをカルパ・劫と呼ぶが、それを見ることは大変だが、それを知的に理解することはまだたやすい。現代人は、そのように知的に納得しないと真剣な冥想には入っていくまい。