◎弟子も世間も嫉妬で一杯
(2013-07-02)
OSHOバグワンがオレゴンのコミューンで所有していた96台のロールスロイスは彼の金満の象徴として、また偽宗教家の証拠として、しばしば批判の的にさらされる。
しかし考えてもみよ。覚者が貧乏人で生活に困っていた場合、あるいはファッションがイマイチだった場合、そのことを理由に、その聖者が偽物だと思い込む人のなんと多いことか。
OSHOバグワンの96台のロールスロイスは、そうした俗人の卑しい心情を刺激するという点では、同根である。
以下は彼の側近の著述。
『多くの人にとって、この九十六台のロールスロイスが、彼らと和尚とを隔てる壁になりました。彼らにはその先にあるものが見えなかったのです。
スーフィーの師(マスター)は、自分のしていることに気づかれたり、探求者ではない人々と無駄に時間を過ごすようなはめに陥らないよう、自分の姿を偽るものだと言われています。
「九十六台のロールスロイスが必要な理由などまったくない。九十六台のロールスロイスを同時に使うわけにはいかない。それに同じ型の同じ車だ。
だが私には、はっきりさせたいことがあった―――― あなたがたは、一台のロールスロイスを手に入れるためだったら、真実への、愛への、そして精神性への欲求をすべて喜んで放棄するということだ。
あなたがたが嫉妬を感じるような状況を、私は意図的に創造したのだ。
師(マスター)の役目とはとても奇妙なものだ。あなたがたが自分の意識の中身を理解するのを助けなければならない。それは嫉妬でいっぱいだ。[・・・・・]
車は役目を果たしてくれた。アメリカ全体に、あらゆる超大金持ちのあいだに、嫉妬をかきたててくれた。
彼らに充分な知性があったなら、私の敵になるよりはむしろ、私のところに来て自分の嫉妬を落とす方法を見つけようとしていただろう。嫉妬こそが彼らの問題なのだから。嫉妬はあなたを焼く炎、ひどい火傷を負わせる炎だ」
「Beyond Psychology」
「私が人生で行ったすべてのことには、ひとつの目的がある。
それらはあなたがいまだに気づかぬなにかを、あなたの内面から引きだすための方便だ」――和尚』
(和尚と過ごしたダイヤモンドの日々/マ・プレム・シュンニョ/和尚エンタープライズジャパンP165-166から引用)
人に出会ってファッションや面貌やアクセサリーを真っ先に気にするという心性は、それだけで実はアウトなのだ。
魏伯陽も同じようなことをやっている。