アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

OSHOバグワンの96台のロールスロイス

2023-07-15 11:06:12 | 時代のおわりneo

◎弟子も世間も嫉妬で一杯

(2013-07-02)

 

OSHOバグワンがオレゴンのコミューンで所有していた96台のロールスロイスは彼の金満の象徴として、また偽宗教家の証拠として、しばしば批判の的にさらされる。

しかし考えてもみよ。覚者が貧乏人で生活に困っていた場合、あるいはファッションがイマイチだった場合、そのことを理由に、その聖者が偽物だと思い込む人のなんと多いことか。

OSHOバグワンの96台のロールスロイスは、そうした俗人の卑しい心情を刺激するという点では、同根である。

 

以下は彼の側近の著述。

『多くの人にとって、この九十六台のロールスロイスが、彼らと和尚とを隔てる壁になりました。彼らにはその先にあるものが見えなかったのです。

スーフィーの師(マスター)は、自分のしていることに気づかれたり、探求者ではない人々と無駄に時間を過ごすようなはめに陥らないよう、自分の姿を偽るものだと言われています。

「九十六台のロールスロイスが必要な理由などまったくない。九十六台のロールスロイスを同時に使うわけにはいかない。それに同じ型の同じ車だ。

だが私には、はっきりさせたいことがあった―――― あなたがたは、一台のロールスロイスを手に入れるためだったら、真実への、愛への、そして精神性への欲求をすべて喜んで放棄するということだ。

あなたがたが嫉妬を感じるような状況を、私は意図的に創造したのだ。

師(マスター)の役目とはとても奇妙なものだ。あなたがたが自分の意識の中身を理解するのを助けなければならない。それは嫉妬でいっぱいだ。[・・・・・]

車は役目を果たしてくれた。アメリカ全体に、あらゆる超大金持ちのあいだに、嫉妬をかきたててくれた。

彼らに充分な知性があったなら、私の敵になるよりはむしろ、私のところに来て自分の嫉妬を落とす方法を見つけようとしていただろう。嫉妬こそが彼らの問題なのだから。嫉妬はあなたを焼く炎、ひどい火傷を負わせる炎だ」

「Beyond Psychology」

 

「私が人生で行ったすべてのことには、ひとつの目的がある。

それらはあなたがいまだに気づかぬなにかを、あなたの内面から引きだすための方便だ」――和尚』

(和尚と過ごしたダイヤモンドの日々/マ・プレム・シュンニョ/和尚エンタープライズジャパンP165-166から引用)

 

人に出会ってファッションや面貌やアクセサリーを真っ先に気にするという心性は、それだけで実はアウトなのだ。

魏伯陽も同じようなことをやっている。

 

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覚醒者を沢山出していくグループとは

2023-07-15 07:03:31 | 人と神の「実際のところ」

◎ワンパターン教義では大衆に教えは伝播しない理由

 

一律・繰り返しのワンパターン教義では、覚者を増やせない理由は、やや複雑である。

まず、覚醒・悟りは、最後の一歩は一人で履むものだというが、その直前においては、師匠と高弟を含むグループで冥想修行が行われるということ。つまり高弟のグループが「覚醒・悟りをまさに今や起こすべし」と一緒に頑張って、その勢いがさらに高弟たちを高みに押し上げていく。また一人が悟れば他のメンバーの励みにもなっていく。

高弟のグループ内では、一般の平信徒にはわからない内なる理解と内なる誓願があるものだ。それは、高弟相互に覚醒・悟りを起こさせるために最善を尽くすということであり、またそのグループには独自の技法があるということ(未知への扉/和尚ラジニーシ/メルクマールP14)。

その内なる理解とは、メリットを求めて冥想をしてはいけないとか、人間は死から出て死に帰るとか、生の世界を極めれば死の世界もわかるとか、善行を行う瞬間に見返りを求めてはいけないとか、自分を捨てて他人に尽くすものだとかであって、世間の社会常識、宗教常識からすると逆の共通認識。それを当たり前に持ち、当たり前に行う連中が高弟グループ。そうした連中でも一転生で大悟できるものとは限らないが、何回かの転生の中で釈迦の時代の高弟はほとんど大悟済で、まだの人はほとんどいない由(OSHOバグワン)。高弟グループは何転生かを展望して修行に取り組む。

 

また高弟グループは、生活力はないものだから、やがて貧窮に苦しんで冥想修行どころではなくなる時期があるもの。そこでこの時代では、一緒に生活してくれるパートナーが生活支援するのが依然ベストなのだろう。

釈迦は、高弟グループの支援のために平信徒の僧団を組織した。ところがそういう三重構造(マスター、高弟、平信徒)は、末法の21世紀にもなると、その構造だけを利用して信者全体から金を吸い上げまくるが、一向に覚者は少々しか出ない。挙句、他の宗教カルトにまで金集めノウハウが応用され、堕落してしまっているといわれても仕方がない。

OSHOバグワンの教団もOSHO在世時ですら、資金は豊富に集められ、ロールスロイス96台も買えたほどだったが、多数の覚者を出すというところまでは至らなかった。アメリカ官憲に追われ、世界を転々とし、最後は結局インドに戻らざるを得なかった。

某元首相暗殺事件で話題になったカルトや地下鉄サリン事件を起こしたカルトのように、現代では一旦巨額の金が集まれば、周辺のステークホルダーが寄ってきて、まともな宗教として多数の覚醒者を出す教団としてやっていくのは、不可能なのだろうと思う。

以上の事情は、ワンパターン教義では大衆に教えは伝播しない理由でもある。

 

またマスターを含む高弟グループは、集団転生であって、同時代にまとめて転生してくるらしいこともダンテス・ダイジは示唆している。よく霊界探訪ものに書いてあるが、同質な者たちは同一の霊界ドームに居住するというのがそれ。

このように消去法の結果、この時代にベストの冥想修行環境は、一緒に生活してくれるパートナーが生活支援するという形なのだろう。大々的にはできまい。

これから言論思想宗教圧殺の時代もあるのだろうが、それも含めてまともな求道者たちは、奥山の渓流のように細々と修行を続け真理を伝えていくしかなのだろうと思う。

 

OSHOバグワンが指摘しているが、釈迦の技法もイエスの技法も2千年経過し、古くなり過ぎて今の時代には通用しないとする。何が変わったかと言えば、人間は腹人間から頭人間(知性人間)に変わった。知性人間なら、まず頭で覚醒に至る条件とメカニズムを理解し、然る後に真剣に冥想修行に取り組むのが順路なのだろうと思う。

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