◎カルロス・カスタネダの記憶すべき出来事
カルロス・カスタネダは、ずっと貧しかった。学生の時もそうだった。彼は二度の同棲経験があるが、その同棲の時期も金は主に同棲相手が出していた。求道者は、往々にしてそんな人生になることがある。
師のドン・ファン・マトゥスに命じられ、カルロス・カスタネダは、無数の出来事のうちで記憶すべき出来事として“鏡の前の踊り”を思い出せる限り克明に思い出し、語ることになった。
カルロス・カスタネダがイタリアの美術学校で彫刻を学んでいる時に、あるスコットランド人と親友になった。そのスコットランド人エディーは専門が美術批評だが、その土地の売春婦一人一人について実に詳しく知っていた。ある日エディーが、売春宿でえらく奇妙な体験をしたので、彼が金を出してくれるということで、カスタネダも体験しに行くことになった。
それは、鏡の前の踊りである。
薄汚いおんぼろの建物の前に、二人の
うさんくさい黒髭の男が立っていた。エディーとカスタネダは、階段を二つ上がって112号室に入ると、マダム・ルドミラがいた。
彼女は、背が低く肉付きがよく、白茶けたブロンドの髪で、赤いシルクのローブをまとっていた。年の頃は40代後半か。エディーは、部屋を去ってカスタネダだけになった。
マダム・ルドミラが“鏡の前の踊り”を見たいかと訊いてきたので、カスタネダはうなづくと、彼女は“鏡の前の踊り”は前戯にすぎず、気持ちが高ぶってきて、あっちがその気になったら、やめるように言ってちょうだいと言い、それから先は隣室のベッドで行われることを示唆した。
二人は、暗くて薄気味悪い小さな電球に照らされた部屋に入り、彼女は蓄音機でサーカスの行進曲のような悩まし気な曲をかけた。そこで二台の大型衣装ダンスの両開きの扉を開けると、中には全身を映す大きな鏡がついていた。
マダム・ルドミラは、赤いローブを落とした。肌は白く、大部分が張りがあったが、腹が少々たるみ、豊かな胸も垂れていた。顔もあごやほほのあたりにたるみがある。鼻は低く、唇を真っ赤に塗って黒いマスカラをつけている。それでもどこかあどけなさ、少女みたいな自由奔放さと信じやすさと優しさがあった。
カスタネダは、既に深く心を揺さぶられた。
マダム・ルドミラは音楽に合わせ、片足を高く蹴り上げ、次に反対の足を上げ、独楽のようにくるくる回り、「お尻、お尻」と言って、裸の尻をカスタネダに向けてカンカンのように踊った。これを彼女は何回も繰り返した。
カスタネダは、彼女が旋回しながら遠ざかりどんどん小さくなっていくと感じた。ふと絶望感と孤独感が心の奥底から浮かび上がり、カスタネダは、椅子から立ち上がって部屋を出て狂ったように階段を駆け下り外に出たのだった。
ドン・ファンは、このエピソードについて、あらゆる人間の心の琴線に触れるとし、われわれは老いも若きも誰もが“鏡の前の踊り”を踊っているのだと解説している。『彼らがどんな人間であろうと、あるいは彼らが自分をどう考えていようと、さらにはまた彼らが何をしようと、彼らの行為の結果はつねに同じだということが明確に理解できるだろう。そう、鏡の前の無意味な踊りだということがな』
(無限の本質/カルロス・カスタネダ/二見書房P43から引用)
“鏡の前の踊り”で、プラトンの国家7巻の洞窟の影絵を思い出す人もいるかもしれないし、空性の悟りを思う人もいるかもしれないし、色即是空を思う人もいるかもしれない。私は、閻魔大王が用いるというその人の人生すべてを映し出す浄玻璃鏡を思うのだ。