アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

勝海舟の禅

2023-07-05 16:51:56 | 丹田禅(冥想法8)neo

◎虚心坦懐、事変に処す

(2017-08-26)

 

勝海舟は、19か20の時、島田先生から、剣術の奥義を極めるためには、まず禅だと言われて、手島の広徳寺に行って、大勢の坊さんと一緒に禅堂で坐禅を組んだ。

すると和尚が棒を持ってきて、いきなり坐禅をしている者の肩を叩く。すると片端から仰向けに倒れる者が沢山出た。

坐禅していても、金のこと異性のこと、グルメのことなどいろいろなことを考えて心がどこかに飛んでしまっているから、そこを叩かれるので、びっくりして転げるのだ。

海舟も最初は、ひっくり返る仲間だったが、だんだん修行が進むと少しも驚かなくなって、肩を叩かれてもただわずかに目を開いて見る位のところに達したので、4年位真面目に修行した。

この坐禅の功と剣術の功が土台になって、勇気と胆力となり、後年大変役に立った。明治維新で万死の境を出入りする時に、遂に一生を全うしたのはこのためだった。当時は随分刺客に襲われたが、いつも手取りにした。

 

危難に際会し、逃げられないと見たら、まず身命を棄ててかかった。そして不思議に一度も死ななかった。

ここに精神の一大作用が存在する。人、一たび勝とうとするに急なれば、たちまち頭は熱し胸が躍り、やることは却って顛倒して、進退度を失することになるのを免れない。

反対に、退いて防御の位置に立とうとすると、たちまち退縮の気が生じてきて、相手に乗ぜられる事になり、大なり小なりこの法則のとおりとなる。

 

海舟は、この法則を悟了し、いつも先ず勝負の念を度外に置き、虚心坦懐、事変に処した。それを、小は刺客乱入の厄を逃れ、大は、明治維新前後の難局に処し綽綽として余裕があった。これは禅と武士道の賜物であると感謝している、と。

勝海舟は、幕臣でありながら、明治維新に際しては、世渡りがうまく立ち回ったこずるい人物のように見られがちであるが、大悟したようではないが、それなりに冥想修行には打ち込んでいた。

「勝負の念を度外に置く、事に際しては逃げない、自分を棄てる」、というのは簡単な理屈ではあるが、実際に行うのは容易ではない。

 

夏の高校野球で優勝した花咲徳栄高校岩井監督が、決勝で広陵高校の本塁打6本の中村奨成選手に対する心構えとして、「逃げるな」をアドバイスしたのは、勝海舟に通じるところがあった。

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自分を守らない勝海舟

2023-07-05 16:48:23 | 冥想アヴァンギャルドneo

◎身に寸鉄を帯びず逃げない

(2020-07-11)

 

勝海舟は、剣の達人だったが、あの薩長と攘夷派などが入り乱れて暗殺合戦している時代に、身に寸鉄を帯びずどこへでも出かけて行った。これはなかなかにできることではない。

鳥羽伏見の戦いの時は、勝海舟宅を官兵が取り囲んだこともあった。勝海舟は幕臣だったが、幕府の中にも勝海舟は幕府を売る者として殺そうとした者は一人や二人でなかった。

彼が官軍の西郷隆盛と品川で談判した帰り、赤羽根橋を過ぎたあたりで銃弾が鬢をかすめていった。だが海舟は、あわてて駆け出したりせず、馬を降り轡をとって、静かに歩き、四つ辻から再び馬に乗って帰った。

 

また彼は、しばしば脱走した歩兵を説得することがあったが、九段の靖国神社あたりで説得している時に、銃弾が提灯を貫いた、続いて目の前の歩兵が別の銃弾に倒れ、自分の身代わりになったこともあった。

また彼の家には護衛も壮士もおらず、代わりに女中2、3人がいるだけだった。その理由は、女性ならば襲いはすまいということだったと説明しているが、わが身のガードをしていないということには変わりはない。

こういう日常生活は、誠に生死一髪。勝海舟は写真を見ればやさ男だが、若年から生死を見切った人物であって、見性くらいは楽にしている人物だと思う。

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立川武蔵のシャクティ・パット

2023-07-05 12:46:39 | 密教neo

◎不用意にチャクラを開かぬようよくよく用心すること

(2013-07-29)

 

密教学者の立川武蔵氏は、1994年12月のある日、ある女性にチャクラを開けてもらった(マンダラ瞑想法/立川武蔵/角川選書P157-163に記事あり)。その女性が言うには、チャクラが開けば次の世に輪廻することはないのだそうだ。

彼は素直にそれを受け入れて、輪廻したくないとも思わなかったが、彼女に開いてもらった。それは印堂と頭頂であって、アジナー・チャクラとサハスラーラ・チャクラである。

そうしたら、以後立川武蔵氏の印堂が非常に敏感になって、それまで手で感じていた-感じていたと思っていた-のを、そのスポットで感じるようになった。更に何か物体が眉間(印堂)の近くにくると痛みに似た感触を覚えて眼を開けていることが難しくなってシャックリのような声を出すようになった。

 

シャクティ・パットとは、一般には、チャクラを開けるだけのことである。分析的に見るならば、開いたというチャクラは、エーテル体のそれか、アストラル体のそのれか、メンタル体のそれかということがある。

この行為がいわゆる霊道を開けたということなるかも知れないが、それに伴うリスクは高い。

チベット密教の学識経験者であるクショグ・ワンチェンが、霊的なものへのコンタクトを適切な指導なくして行うことの危険を指摘しているが、知らぬが仏の部分はある。霊的なものを語るのはクンダリーニ・ヨーガであって、只管打坐では、一切そういうものを相手にしない。

立川武蔵氏は、1996年までには、密教法具などには、手に取ると平衡感覚を失い言葉が離せなくなるなどの「念」のある不吉なものもあるということを感得したと言っているが、その程度だったのだろう。

人には受け入れる準備ができたイベントしか起こらないということがあると思う。しかしシャクティ・パットでチャクラを開けるみたいな、ともすれば生命に危険が及ぶことを気軽にやってはいけないと思った。

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逆さ吊りになっていない「吊るされた男」

2023-07-05 07:03:20 | 超能力・霊能力neo

◎シャクティパット

(2019-09-21)

 

金ラメのNefertariタロットの「吊るされた男」は、逆さ吊りされていないので、破格である。「吊るされた男」の正位置、逆位置などとして意味を採る人には困ったことになる。

22枚の大アルカナの順序でいえば、「吊るされた男」は「死」という全体の直前であり、個の極みという位置にある。それからすると、逆転してもらわないと話は進まないのだが。

この図案は、神が人の頭を王笏かこん棒で叩こうとしているか、あるいはシャクティパットをしている図と見える。

 

シャクティパットとは何か。シャクティパットには2説あって、ダンテス・ダイジは口を切るだけという説明であり、OSHOバグワンは、何らかのエネルギーを注ぎ込むという説を採る。

オウム真理教では、1回30万円でシャクティパットを教祖がやっていて、初期には受けた弟子がその効果(正邪の程は不明だが)はあったと証言している。ところがある時期から、シャクティパットで教祖が非常に消耗、憔悴するようになり、シャクティパットをやめて麻薬入りドリンクに切り替えたことが複数の関連書籍に書かれている。

シャクティパットとは手かざし系のグループでは時々見られるものであって、オウム真理教オリジナルのものではない。シャクティパットでは、「気」が入ることもあるのだろうが、「気」を入れる方は生命力が減衰し、長期的には内臓を痛めることも知られている。気にも正気あり、邪気あり。

シャクティパットがエネルギー注入だとするOSHOバグワンは、注入に適当な時節があることを示唆する。精神をいじるというのは、神聖なものであって、一片の邪心も許されない。薬物も含めて外的な力で精神を操作しようとしても、精神はデリケートなものであり、容易にバランスを崩しやすいものだ。

禅でもクンダリーニ・ヨーガ系(密教、気功、錬金術など)でも最後の一歩は自分で踏み出すことが要求される。誰かがひっぱり上げてくれるものではないのだ。

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シャクティパット・メモ

2023-07-05 06:56:55 | 開拓されるべき地平たち

◎男性はシャクティパットを受け取れない

 

シャクティパットには2説あって、ダンテス・ダイジは口を切るだけという説明であり、OSHOバグワンは、何らかのエネルギーを注ぎ込むという説を採る。

 

以下はOSHOバグワンの説明。

OSHOバグワンのシャクティパットの説明は、肉体、エーテル体、アストラル体、メンタル体の4ボディをクンダリーニ上昇させるための梃子であるというのが基本線。

 

さらにシャクティパットは、クンダリーニが目覚めていない場合に、第一身体に起こり、クンダリーニが目覚める。その場合、通常数か月かけて起こるクンダリーニ上昇が数秒のうちに起こるので、最初の三つのボディが十分に準備できていない人にとっては有害になることがある。

さらにエネルギーが妨げられないように三つの身体にはつながったラインが必要である。肉体で止まると相当な害があるが、エーテル体、アストラル体まで広がると害はない。

シャクティパットは、見神見仏のために、準備ができている者には、ある程度役立つが、準備ができていない者には害になる。シャクティパットは暗夜を照らす一瞬の雷光のようなものだが、それでその先の道程を一瞥できることは、準備のできた冥想修行者には大いに助けになる。一方、準備のできていない一般大衆に直接シャクティパットを与えるのは有害となる。ところがいつの時代もシャクティパットを希望するのは、一般大衆だという皮肉。

 

事前準備は重要であって、うまい話はない。それを、楽して労せず手に入れることはできない。ただほど高いものはない。ただで何かを得ようとしてはならない。シャクティパットも例外ではない。人は受け取るのにふさわしいものしか受け取れない。

しかし、シャクティパットの事前準備とは、大金を払うことでは絶対ない。

 

ここまで説明しておいて、OSHOバグワンは、重要な原則をいくつか挙げる(例外はあるとしている)。

  1. シャクティパットを与えられるのは男性のマスターに限る。女性のマスターはシャクティパットを与えられない。
  2. シャクティパットを受け取れるのは、女性に限る。男性は受容性がないからシャクティパットを受け取れない。女性は、明け渡しが容易。
  3. シャクティパットを受け取る際に、女性は男性マスターから直接受け取ることはできない。女性は必ず間に媒介を入れ、媒介経由でシャクティパットを受けとる。(OSHOバグワンは、媒介が何かを示していないが、よりまし、シャーマンのことを言うのだろうか。)
  4. 男性と女性では微細身の性別が異なる。

男性は、肉体-男、エーテル体-女、アストラル体-男、メンタル体-女。

女性は、肉体-女、エーテル体-男、アストラル体-女、メンタル体-男。

これを以て、男性は肉体で起こるシャクティパットを受け取れず、女性だけが受け取れるという。

 

OSHOバグワンは、シャクイティパットとは別に、人を究極に導く恩寵というのがあって、恩寵は第四身体メンタル体で起こるので、男性だけが受け取れ、女性は受け取れない。なぜなら男性の第四身体は女性であって受容的だが、女性の第四身体は男性であって受容的でないから。

(以上参照:奇跡の探求Ⅱ/和尚の“シャクティパット-生体電気の神秘”の章)

 

またこの図式は、古神道で変性男子、変性女子という説明でもある。

世にシャクティパットを与える話は多いが、その真偽はよく考えるべきだろう。

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