◎ジェイド・タブレット-06-21
◎青春期の垂直の道-21
◎超能力者は邪険にされる
一言主神は、葛城の山の神であったが、役行者に頼まれた吉野金峯山-葛木山間に石橋を作る仕事が怠慢であったため、役行者から早く工事を進めるようにと責めたてられた。役行者のこの厳しい責めに思い余って、一言主神の信奉者たちは、「役行者は朝廷に対し謀叛の計画がある」と密告した。
捕手が葛城に向かって、役行者に強引に縄をかけようとすると感電したように動けなくなり、金縛りとなるためどうしても逮捕できなかった。また捕手の役人が大勢で向かうと役行者は空に飛び上がるので逮捕できなかった。
最後に役人は、卑怯にも役行者の母である白専女が道場茅原寺にいるところをつかまえ、人質にしてしまった。弟子の義覚、義元らは怒って奪い返しに役所を襲うと息巻いてもいたが、役行者は自ら役所に出頭して、母を釈放させたのであった。
文武天皇3年5月24日(699年)、役小角は、伊豆大島に島流しにされた。役行者の過ごした岩屋は、東海岸の泉津村にあり、高さ6メートル幅6メートル奥行き15メートルだが、満潮の時は、潮にさえぎられて人が近づけないところにあるという。
役行者の島にいた当時、毎夜三原山に怪しいあかり=龍灯がともったという。昼は大島にいたが、夜は、富士山頂、天城、走湯、箱根、雨降、日向、江ノ島などを飛び回った。
役行者は、後に許されるとはいうものの、政府が、在野にいて民間に人気のある超能力者を危険であるとみなして刑務所に送るのは歴史上よくあること。役行者の罪状はともかくとして、捕手から逃れることを繰り返しているので、冤罪であったことは間違い有るまい。
超大物の超能力者を粗略に扱う悪しき日本の伝統は、これほどの昔からあった訳である。