◎ジェイド・タブレット-06-19
◎青春期の垂直の道-19
役行者について、出口王仁三郎が公式に見解を述べたものはほとんどない、だが、
1.奈良の大仏
役行者は20年かけて全国を渡り歩いて全国の金鉱の地図を作製し、奈良の大仏の下に置いてある金板に地図がある。これは奈良の大仏を鋳つぶしてしまわないと出て来ない。
「よき人のよくぞよくみて よしといひし よしのよくみよ よき人よくみつ (聖武天皇)」
(出典:新月の光 下巻/木庭次守編/八幡書店P63)
これは、出口王仁三郎によれば仏の終わりにならぬと判らぬということで、みろくの神に渡すということだそうな。
京都の空襲などがあった後、大仏も鋳つぶされる時節があるのだろう。
2.役行者
聖武天皇が役行者に勅命で、日本金鉱地図を作らせた。20年かけて夜に金気の昇るのを見て作った。吉野の金峯山にははな(露頭)が出ている。
(出典:上掲書P114)
これが、役行者の超能力の達者なところだが、時の最高権力者が恣意的に使える金鉱脈でなかったところが、垂直の道らしい。
3.吉野山
出口王仁三郎の師匠大石凝真澄は、吉野山の金鉱脈は厚さ三寸、幅三里、長さ13里と見ていた。それでもって宮内省に行って、宮様以上はみろくの世になれば、金の柱の家に住まれると申し出たら狂人扱いされたそうだ。出口王仁三郎もその場に居合わせたが、バカらしくなって帰った。
後、出口王仁三郎が吉野に見に行き、吉野山にはない、金峯山や八幡山にはあることをチェックした。しかしその鉱脈は、現代では出ない。みろくの世になってからである。UFOの反重力装置みたいに次の時代にならないと出ないようだ。
(出典:上掲書P105)
これは、塩沼亮潤大阿闍梨が見た、身長三メートルくらいのぼろぼろの衣を着て杖を持った仙人が空中に出現し、「金(かね)の御嶽(みたけ)金の御嶽と言う愚か者どもよ、ここは神の御嶽なり」と言うなりすーっと消えていった話につながる。その仙人は役行者だったか。
関連歌:いろは神歌(雑誌神霊界54号から引用)
『○むかしより花に名高き吉野山、八幡の山の奥深く、ミロクの世まで隠されし、音姫どのゝ御宝の、在所尋ねて千代八千代、動かぬ御代の大本の、千歳の松の神の子が、
鶴殿君に従ひて、未だ散り終えぬ八重桜、日本心の大丈夫が、高天原を立出て、折も吉野の上市に、一夜を明かし妹背山、吉野の川に隔つれど、誠心の隔てなき、浅野、豊本、牧、村野、梅田、秋岡、出口王仁、星田、多慶子や金谷の、清き身魂は吉野川、
流れに添ひて上り行、十里の道も山吹の、一重の花に引かされて、神の教へのかしこくも、早柏原に着にけり。
雲井の空の神人と、ひなに育ちし賤の男が、深山の奥に手を曳きて、峻しき山を辿りつゝ、御国の為に赤心を、尽すも神の引き合せ、黄金の山の奥深き、神の経綸は白雲の、花の吉野の水清く、治まる御代の礎を、踏み固めたる千代の鶴、八千代の亀の末長く、開け行く世を楽しみに、松まの長き真鶴の首。』
(冒頭に御宝のありかが。)