◎黄金変成の素材は入手したが、本人には何も起こらなかった
輔神通という者が蜀に住んでいた。幼くして孤児となり、人の牛を追って生活していた。牛追いのたびに、一人の道士とすれちがうので会釈をするようにしていた。そんなことが数年も続いたが、ある日、その道士が「わしの弟子にならないかね」と声をかけてくれたので、輔神通はすぐに応諾した。
道士は輔神通を連れて、「これから滝の中に入るから、わしの後についてなさい。こわがることはない。」といって、滝の中に入った。中には凛として清潔な部屋があり、薬袋と錬金術の竈があった。ベッドの下には「大還丹」(最高の金丹)が多数置かれていた。ここで輔神通は竈の火の番をさせられ、錬金術士の見習いとなった。
三年が過ぎ、彼も二十歳をすぎ、人の世が恋しくなってきた。そこでちょうど道士がいない 間に還丹を一つくすねて、別の場所に隠しておいた。道士が帰ってきてすぐにばれ、還丹をどこにやったか問い詰められたが、輔神通は白を切りとおした。
道士は歎息まじりに「わしはおまえに道の枢要を伝授してやろうと思っていたのに、こんなことでは、とても授けることができない。」といって、彼を他の信者達の手で追い出させた。 放り出された輔神通は大喜びで、洞穴にそってくねくねと進み、腹が減ったら還丹をかじりながら、七十日もかかってやっと人里に出た。
その後、何年かして世間が嫌になって例の道士を思い出すようになった。風の噂では、あの道士は 蜀の開元観に出入りするらしい。そこで願い出て開元観に道士として配置してもらった。あの道士が来たと聞くや、すぐに出て行ってみたが、つかまらない。また奥の院の小僧に大枚百金のチップを払って、あの道士が来たら走って連絡に来いと言いつけたが、それでもダメだった。 結局彼は例の道士にお詫びすることも、道の枢要を授かることもできなかった。
こんな道士だったが、蜀の知事の推薦で宮中に招かれ、玄宗の御前で「錬金術」の実演をした。土鍋で水銀を煮て、少量の還丹をそれに投じると、あっという間に黄金に変異した。玄宗はその錬金術を教わりたいと思っていたが、安禄山の乱でできなくなった。 (「太平広記』巻七二所引『広異記』)
これは、西洋錬金術のエピソードにも時々あるパターンで、本人には錬金の技量はないが、何かの拍子に手に入れた賢者の石(還丹)でもって黄金変成を何回か実現してみせるが、遂には還丹はなくなって元の黙阿弥に戻る話。
輔神通は、学識もなかったが、道士の方から人を見て、弟子に採用することはある。彼は還丹という錬金術の粋を入手できる立場にあったが、みすみす我欲の実現に消費してしまった。
道士からすれば、読み筋どおりだったのだろうが、いつか輔神通が黄金変成のテクニックを得る来世もあるのだろうと思っていたのだろう。輔神通と道士の縁はこれで切れ、今生で二度と会うことはなかった。
輔神通は世間がいやになったが、それはすべてを捨てる第一歩目の動機として貴重なことである。だが、正しい師に出会う縁は今生では終わっていたのだ。
輔神通は黄金変成が実在する技術であることを確認し、それを操る師にも出会うことができた。だが、その秘伝については、後一歩に迫りながら、授かることはできなかった。
正師の居所に侍者としており、還丹というエビデンスまで得ながら、輔神通はそのチャンスを浪費した。起こることは起きたが、何が起きているのかわからなかったということはある。
輔神通は、蜀に恵まれない境遇に生まれたものの、得難いチャンスにも遭遇したが、十分にそれを生かしきれぬ一生だったけれども、あまり他人の事とも思えない部分はある。