アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

自己へ入って行くとすべてがある

2024-08-10 03:33:45 | 人と神の「実際のところ」

◎"わたし"も"あなた"も消え、〈すべて〉が残る

 

OSHOバグワンは、自己へ入って行くとすべてがあると説明するが、なぜどうしてそうなるかは説明しない。

自己へ入って行くとすべてがあることを逆転と云い、タロットでは、吊るされた男

すべてとは、既に天国も地獄も超えている。

 

『非常に興味深いことには、自己へと入っていった人間は、突如としてすべてに通ずる入口をみつけるのだ。自己への扉は万物への扉なのだ。自己に入ってゆくやいなや、人は自分がすべてへと入っていったことに気づく。というのも、われわれは外面的には異なっていても、内面的には異なってはいないからだ。

外見上すべての木の葉は互いに異なっている。だが、もし人間がわずか一枚の木の葉のなかに浸透してゆけたなら、すべての木の葉がひとつに融けあうその木の源にゆき着くことだろう。一枚一枚を見ると木の葉はそれぞれ異なっている。しかし、一枚の木の葉をその内面性において知ったとき、あなたは 源へ、そこからすべての木の葉が生じ、そこへとすべての木の葉が帰ってゆく源へ、たどり着いているのだ。自己へと入ってゆく者は、同時にすべてへと入ってゆく。"わたし"と"あなた"という区別は、われわれが自己の内側へ入ってゆかないかぎり、消えることはない。"わたし"のなかへ入っていった日に"わたし"は消え、"あなた"も消える。そのとき残っているのが〈すべて〉だ。』

(死・終わりなき生 /オショー・ラジニーシ/講談社P104-105から引用)

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