◎大宇宙己が所有と為すときは心にさやるなにものもなし
人間の本質は神の宮。肉体を生きかわり死にかわりして人間は、永久に生き続ける。
釈迦と仏教者は人生を苦と見るが、肉体人間が永久に生き続ける場合は、苦に始まり苦に終わるので、解脱あるいは苦の卒業がなければいささか都合が悪い。
出口王仁三郎は、人間の本質は、精霊、神の宮であって、神と人間が合一した立場にあって、そこで人間も神も永久に生き通しと説いているように思う。
出口王仁三郎の歌集言華より。
『あめ地に神なきものとほこりつつ
まさかのときに手を合す曲(まが)
衣食住これより外に望みなき獣のはばる世こそさびしき
日の本の国の名のみは残れども外国人やけもののみ住む
くにの為め世人の為めと言ひながら世の大方は身のためにする
霊肉の分離したのを死と言へど
その本体は生き通しなる
人の世のあらゆる艱苦をなめつくしはじめて悟る神の大道
大宇宙己が所有と為すときは心にさやるなにものもなし
百千千に乱れからみし人ごころそろへて救ふ一すぢの道
善き事にあしきことあり曲ごとに善き事まじる現世の道
有りがたしかたじけなしと朝夕におもひ暮せば曲事のなし
片時も神をわすれぬこころこそ天国にいたる栞なりけり
逝く年を心にかくることなかれ不老不死なる魂と生れて
八百萬千萬の神ことごとく綾の高天に集ふ御代なり』
(出口王仁三郎の歌集言華より引用)
上掲『大宇宙己が所有と為すときは心にさやるなにものもなし』が、神と人間が合一した立場を示す。第六身体。
上掲『人の世のあらゆる艱苦をなめつくしはじめて悟る神の大道』とは、ダンテス・ダイジの言うところの、悟るということはあらゆる実感を経るということ。
上掲『八百萬千萬の神ことごとく綾の高天に集ふ御代なり』は、上掲『大宇宙己が所有と為すとき』には、時間のない世界のことだから常にそういう目出度き御代であるのではないかと思う。