◎宗教が戒律を作るのは人間を動物以下に扱っているから
出口王仁三郎が、猫ですら盗んできた餌は隠れて食べるように、自分のやったことの善悪を知っているとする。いわんや、人間をや。
以下、出口王仁三郎の弟子との問答。
『問「良いと思う方に向かって、どんどん進みさえすれば良いのですか」
答「人間として自分の言行に対しては、良いか悪いかは皆分かっているはずだ。猫が鰹節を盗んだ時には隠して食う。鼠を捕った時は、主人の前に持って来て褒めてもらって食う。犬でも猪を捕った時は、主人の前に持って来て手柄顔して尾を振っているが、鶏を盗んだ時には藪の中にすっ込んで食う。人間に盗むな、怒るな、姦淫するな等と戒律を作るのは人間を動物以下に扱っているのだ。それは学校の倫理科で教えている。それを世帯を持った一人前の人間が、説教を聞いて随喜しているのはおかしい。宗教と倫理とを間違えているのだ。宗教の目的は、平和と幸福を万人に与えるためである。』
(出口王仁三郎全集 第1巻 皇道編 第6篇 愛善の真意義 人類愛善の真義/出口王仁三郎から引用(旧かな使いを新かな使いに修正しました))