◎大悟覚醒と前世記憶
OSHOバグワンは、前世記憶はいたずらに覗きにいくものではないと言っている。今生の思いだけでもアップアップなのに、その上に前世記憶を受け容れるなど、泣き面に蜂もいいところだからである。
その説明の中に心のキャパシティに関する説明がある。これは、大悟覚醒のための準備の一つであるとも見れる。
OSHOバグワンは、さる女性教授に前世記憶をオープンにしてくれるようしつこく迫られていた。それも4つの過去世だ。OSHOバグワンは、それが愉快な結果を生まないことを承知していて、そういう説明もしたが、根負けして彼女に過去世記憶をオープンさせた。
まずいことにその女性教授は、日頃から自分が敬虔で一点も曇りもない女性だと信じこんでいた。
『それでなくても、ひとつの人生の記憶だけでも耐え難いのに、三つも四つもの過去世の記憶が垣根を破って押し寄せてきたら、人は気が狂いかねない。だからこそ自然はわれわれが過去を忘れてゆくように仕組んだのだ。自然は、思い出せる以上のことを忘れ去ることができるという偉大な能力を授けてくれた。そのおかげで、心(マインド)が持ち運べる以上の重荷を背負いとむことはない。心(マインド)の受容力が増大してのちはじめて、重荷に耐えることができるのだ。この受容力ができあがっていないうちに記憶の重みがのしかかってきたとき、問題が起こる。だがその女性教授は頑固だった。わたしの忠告には耳もかさず、実 験へと入っていった。
ついに過去世の記憶の洪水が襲いかかってきたとき、夜中の二時ごろだったが、女性教授はわたしのところへ飛びこんできた。混乱のきわみ。すさまじい苦境におちいっていた。彼女はいった。「なんとかしてこれをくい止めなければ。物事のこんな面は見たくもないわ」
しかし、ひとたび破れ放たれた記憶の潮を押しとどめるのは容易ではない。打ち砕かれてしまった扉を閉めるのはひどく困難だ。扉はただ開くのではない。破れて開くのだ。――――およそ十五日かかった。 そしてようやく記憶の波はおさまった。何が問題だったのか?
この女性は、日頃から自分がとても敬虔で、一点の罪のくもりもない女性だと自称していた。前世の記憶に出くわしてみると、そこでは彼女は娼婦だったのだ。身を売っている場面が浮かびあがってきたとき、彼女の全存在が震えあがった。 現世における品性のすべてがかき乱された。
この種の啓示の場合、その光景は他人事のように見えたりはしない。貞節をふれまわっていたその同じ女性が、いまや娼婦としての自分を見るのだ。前世では娼婦だった人間が、つぎの生では徳の高い人 間になるというのはよくあることだ。前世での苦悩に対する反動だ。その女性を貞節な女性にするのは、 前世での苦痛と傷の記憶なのだ。』
(死・終わりなき生 /オショー・ラジニーシ/ 講談社P74-75から引用)
大悟覚醒とは、個人から全体への逆転のことだが、全体とはあらゆる生物無生物の現世記憶も過去世記憶も生も死も背負い込むということ。そのためにそれを受け容れるだけの心のキャパシティが必要となる。
ところが、未悟の者は、そんなことが起これば発狂しかねないから、自分の今生のことで、なおかつ自分が耐えられる出来事の記憶だけを持って生きることが多い。自分が耐えられない出来事は忘れるという素晴らしい機能があるから、平安な心を維持もできる。
この説明だけだと、悟りに向けて心(マインド)の受容力を増大させる冥想修行の方向性は、わたしの過去世記憶もあなたの過去世記憶も受け入れることができるようになることだと思いがちだが、そうではない。OSHOバグワンは、わたしもあなたもない先に大悟覚醒があるのだと説明している。